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「車でお遍路」第77番札所 道隆寺(高僧3大師が住職を務めた札所)

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、77番目のお寺は、

桑多山そうたざん 明王院みょうおういん 道隆寺どうりゅうじ


76番札所の善通寺から約4.0㎞、車で約10分の場所、

道隆寺は、五ヶ寺の札所がある善通寺市から多度津町へ、県道を瀬戸内海方面へ向かうと住宅街の中に佇んでいる。

この道隆寺、驚くのはその住職の歴史。

第2世住職朝裕公ちょうゆうこう弘法大師より授戒第3世住職真雅法光大師)、第4世住職円珍智証大師)、第5世住職聖宝理源大師)。

これまで日本の大師は18名しかいないのに、道隆寺は高僧4大師が関わったお寺。(ご参考:第76番札所金倉寺の記事「大師について

そして圧巻なのは、255体もあるという優しく美しい観音様

薬師如来を御本尊とする札所が74番札所甲山寺から4札所続いたことも面白い。

では、4大師ゆかりの札所「道隆寺」へ参りましょう。

本堂 山門から両側に観音様に見守られながら向拝へ進む
大師と懺悔の気持ちを表す衛門三郎像


ご詠歌

ねがいをば 仏道隆に 入りはてて 菩提の月を 見まくほしさに


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 和銅5年(712年)、絹の生産地として辺り一面桑園だったこの地の領主和気道隆わけみちたか(金倉寺を開基した智証大師の祖父である和気道善わけどうぜんの弟)が、桑の木を切り薬師如来を彫り一堂を建立、安置して開基したのがはじまり

  • 大同2年(807年)道隆の子である朝裕ちょうゆうは、弘法大師より授戒、第2世住職となり先祖から引継いだ全財産を寄進して七堂伽藍を整える
    また、唐から帰朝した弘法大師薬師如来を彫り、その胎内に道隆の薬師如来像を納めて御本尊とし、寺号を創建の父の名「道隆寺」とした

  • 第3世住職は、弘法大師の実弟である真雅法光大師)が務め23坊を建立

  • 第4世住職は、和気道善の孫、弘法大師の甥である円珍智証大師)で五大明王、聖観世音菩薩を彫り護摩堂を建立

  • 第5世住職の弘法大師実弟真雅の入室弟子|聖宝《しょうぼう》理源大師)の代には宝祚祈願所ほうそきがんじょとなる

  • その後、寺は繁栄

  • 貞元元年(976年)、讃岐大地震により堂塔倒壊

  • 康平3年(1060年)天正年間、兵火により焼失

  • 興亡を繰り返すも、現在は再興され法灯を守り続けている


和気道隆公の伝説

和気道隆は、自身の桑畑を散策していると、夜な夜な怪しく光る桑の木を発見。その方向に矢を放ち、その場所に行って見ると光は消え、矢で射抜かれた乳母が倒れていた

道隆は、このことを嘆き悲しみ懺悔して供養をするため、その桑の木で薬師如来を彫り一堂を建てて祀ったという。


寺号について

  • 山号について
    ・・・「桑多山」の由来は、お寺周辺が桑畑だったことからと思われる

  • 寺号について
    ・・・第2世住職となった道隆の子朝裕ちょうゆうは、このお寺を創建した父の名をとり「道隆寺」とした


ご利益

  • 御本尊の薬師如来
    ・・・
    大医王仏だいいおうぶつ医王如来いおうにょらいとも呼ばれ、十二誓願じゅうにせいがん現世利益げんせいりえきの仏さま(病気平癒、他)

  • 潜徳院殿御廟せんとくいんでんごびょう眼なおし薬師如来
    ・・・眼病平癒

  • 五鈷杵
    ・・・静かに撫ぜると身にまつわる諸々の因縁や押し寄せる諸悪運を防ぐという

  • その他、観音様、、愚痴きき地蔵


御本尊・ご真言

御本尊:薬師如来
ご真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか


見どころ

  • 本堂
    ・・・高僧3大師が住職を務めた寺院であり、御本尊に二体薬師如来(弘法大師作の薬師如来の胎内に開祖道隆公作の薬師如来が入る)を安置
    本堂前では五鈷杵を撫ぜることが出来る

  • 日本百観音(255躰の観音像)
    ・・・境内参道には西国・坂東・秩父など日本全国の観音霊場の御本尊などを祀る

  • 潜徳院殿御御廟
    ・・・眼病平癒の「眼なおし薬師如来」を祀る

  • 多宝塔

  • 衛門三郎像
    ・・・大師堂前で大師に懺悔している像(衛門三郎についてはこちら

  • 巡礼七福神
    ・・・大師堂前には「寿老人」

愚痴きき地蔵さんに愚痴を聞いてもらいましょう
秘密は守って貰えます


写真


次は、第78番札所郷照寺ごうしょうじへ参ります。

2022年8月4日投稿
2022年10月11日改訂

合掌

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