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「なんとなく」を言葉にすること。~淡い雲をとどめて その2~

※この「淡い雲をとどめて」という企画は、筆者が日々のなかでなんとなく考えたことをそのまま書いたエッセイのようなものです。論拠など乏しいところはありますが、「こんなこと考えてるんだな」ぐらいのスタンスで捉えていただけると幸いです。


〇2023年の回想を

アオリイカのげそ唐揚げ・蓮根の唐揚げ。

 早いもので2023年も残り数時間です。皆様、今年はどんな1年だったでしょうか。個人的には、とても変化の多い年だったと思います。

 会社での部署移動、それに伴う勤務時間や休日形態の変化、それによって学生時代の友人と実際に会う機会が増えたこと、ライブにたくさん行けたこと、先輩2人の転職、出張で初の海外経験、車・冷蔵庫・スマホの買い替え、久しぶりの稲刈りの手伝い、Vtuberを見るようになったこと…などなど大小様々です。なかでも大きかったのは、祖父が二人とも、しかもひと夏のあいだに天に行ってしまったことでしょうか。「自分の生命もいつかなくなる」という有限性を改めて感じました。

 そしてJ.S.A SAKE DIPLOMAの取得。加えて、日本酒と三重の食材を使った自炊料理のペアリングを考察する「日本酒ペアリング研究会 報告書」をスタートさせたことも大きいです。この2つは今年最大の目標だったので、達成できて嬉しいです。また、日本酒飲んでみたい方にむけた「日本酒 端緒帳」という企画も立てていますので、来年のうちにできたらいいですね。それも含めて、日本酒に関する記事は月1-2本ペースで投稿できたらと思います。「日本酒ペアリング研究会 報告書」は以下リンクにまとめています。


〇感覚を言葉にする難しさ

お酒は「作 穂乃智」と「るみ子の酒 生酛」。もう少し辛口のが合ったかなと思います。

 こんなふうにペアリング記事を書いているわけですが、実は思うようには進みませんでした。いちばんの壁だったのは、タイトルにもある「なんとなく」を言語化することです。

 選んだ料理は2回とも比較的作りやすく、普段からよくやっている料理です。さらに、お酒も普段からよく飲んでいるものです。そして、もちろん何回も一緒に合わせて食べているので、これらの料理とお酒は絶対に合う確信はありました。しかし、「なぜこの料理とお酒は合うのか」という部分はずっと「なんとなく」でした。自分の味覚や嗅覚といった感覚では分かっている。でも、自分以外の他者にそれを伝えるには、やはり明確な言葉でその理由を説明しなければなりません。

 加えて、味覚や嗅覚は人によって違います。そしてそれらは、日常的には「美味しい」「いい匂い」というひとことで表すことがほとんどだと思います。つまり、誰とでも分かり合える統一的な表現方法など存在しないし、あまりにも日常とかけ離れた表現では誰にもわかりません。そういったことから、普段はほぼ言語化されない部分を、できるだけわかりやすい表現と論理で伝えなければならない。これがとにかく難しかったです。

 もちろん、J.S.A SAKE DIPLOMAやワインソムリエには比較的統一された表現があります。日本酒の香りなら、例えばバナナ・メロン・リンゴ・梨・桃など果実様の香り。他には炊いた米やつきたての餅、ナッツ、カラメル、ヨーグルトなどはわかりやすいです。しかし、アカシア・菩提樹・スイカズラ(すべて花の名前)、石灰、腐葉土、青竹、ヨード香、蒸れた感じなんて言われても、正直イメージしづらいです。

    一方で味わいに関しては、甘味・酸味・旨味苦み・渋みとその程度、ふくよかさ・淡麗さ、コク・爽やかさなど、比較的共有しやすいです。しかし、これは主観によるところも大きいので、普段飲んでいるお酒の味や体調などによって大きく変化したりします。日本酒の甘口ー辛口は特にそれが大きいですね。
 
 また、J.S.A SAKE DIPLOMAのテキストには日本酒と料理のペアリングの例がずらっと並んでいるだけで、「なぜその料理と合うのか」はあんまり言及されていません(なぜか焼酎はしっかり書いてありましたが…)。そういうところは自分で補ってこそなところもあるので、文句は言いませんけどね。
 
 それはともかく、これまでにあげた記事では、そういったことを含めて噛み砕いて、なんとか自分なりにわかりやすく紹介したつもりです。実際はどうだったでしょうか。「こういう表現のほうがいいよ!」「こんなふうに感じたんだけどどう?」というのがあれば、ぜひ教えてください…。これからもより皆様にわかりやすく、より「食べてみたい!」「飲んでみたい!」と思っていただける表現ができるよう、精進してまいります。
 

〇「独白」より

とらや 勝月さんの和菓子。「独白」には関係ないです。

 話は変わるんですが、僕は音楽ではamazarashiというアーティストが好きで、とても尊敬しています。そのamazarashiの「独白」という曲には、こんな一節があります。

「『言葉にならない』気持ちは言葉にするべきだ
 『例えようのない』その状況こそ例えるべきだ
 『言葉もない』という言葉が何を伝えてんのか
 君自身の言葉で 自身を定義するんだ」
(amazarashi「独白」より)

 かなり重たいですが、とても好きな曲です。他人が発する言葉、自分が発する言葉。良いも悪いもすべて含めたその言葉こそが「人間」を、「自分自身」をつくりあげる。そんな言葉というものの大切さや危うさ、そして自分の言葉によって明確な「自分自身」をつくり保っていくという決意を歌っている…と解釈しています。

 じゃあその「自分の言葉」とはなにか。そして「自分自身の言葉」で定義すべき「自分自身」とはなにか。おそらく、それがその「言葉にならない」「例えようのない」部分にあるのだと思います。つまり、「なんとなくそう感じる/こう思う」「なんとなく嬉しい/悲しい」「なんとなく合ってる/間違っている」という様々な「なんとなく」のなかにこそ、明確に表すべきものがある。ほんとうに表現すべきものがある。そして考えに考えてやっと表すことができたとき、その言葉こそが「自分の言葉」となる。そういう言葉を表した己こそが「自分自身」である。そういうふうに感じます。

 僕がそれを表現しきるには、まだ「言葉」がぜんぜん足りません。そういった「言葉」は、きっと書籍・漫画・映画・アニメ・記事など数々の表現作品や、人とのつながりや会話のなかにあるんだろうと思います。こんなことを考えると、自分の生まれてからの18年間がどれだけ空白だったかを思い知らされますね。

    …とまぁそんな個人的なことはさておき、これからもこのnoteでの企画を通して、皆様に僕の感覚を、「なんとなく」を分かりやすく楽しくお伝えできたら。そして、それが皆様にとってなにか良いものなれば嬉しいなと思います。頑張ります。それでは。



エッセイ企画「淡い雲をとどめて」のまとめです。ぜひに。


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