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『イザナギの黄泉がえりツアー』神社巡りが100倍楽しくなる古事記の話③【歴史の扉#7】

歴史の扉へようこそ!こんにちは。旅人です。

順調に国を産み、神々を産んでいたイザナギ・イザナミ夫婦ですが、火の神を産んだイザナミは火傷で死んでしまいます。

この後、イザナギがとった行動とは?今回はそんな、少し哀しいお話し。


未読の方は前回の記事もあわせてお読みください。

1.会いたくて震えるイザナギ

さて、最愛の妻イザナミを失ったイザナギ。彼は死んだイザナミに会いたくて会いたくて震えております。

いてもたってもいられず、イザナギは死者の国である黄泉国(よみのくに)へ妻を迎えに行きます。

ちなみに生き返ることを「よみがえる」というのは、黄泉国から帰るからですね。

イザナギがイザナミにともに帰るよう促すと、

「黄泉国の食べ物を食べたので帰れません。しかし、黄泉国の神々に相談するので、答えがでるまで決して私の姿を見ないでください。」

と返答が。イザナギはおとなしく待つことに。

2.「見るな」と言われると見たくなる人間の性

しかし、なかなか出てこないイザナミ。イザナギはいてもたってもいられず、ついイザナミの姿を見てしまいます。

すると、そこには体中にウジがわき、腐敗して醜い姿になったイザナミの姿が!

「よくも私の恥ずかしい姿を見たな」

イザナミは激怒し、黄泉醜女(よもつしこめ)という手下たちにイザナギを追いかけさせます。

逃げるイザナギ。猛スピードで追いかけてくる醜女たち。イザナギはなんとか黄泉と地上の境目黄泉比良坂(よもつひらさか)までたどり着き、桃の実など神聖な果物を投げて醜女を追い払うことができました。

3.生と死の誕生

最後にイザナミ自身が追いかけてきたので、イザナギは千引の岩(ちびきのいわ:千人で引かなくては動かないほど巨大な岩の意)で黄泉比良坂を塞ぎ、

「もはや私たちは夫婦でもなんでもない」

と告げます。

これを聞いたイザナミは、

「だったら、毎日地上の人間を1000人殺してやる!」

と叫び、イザナギは、

「ならば私は毎日人間に1500人産ませよう」

と答えました。

この夫婦喧嘩で人間の生と死が生まれたんですね。

4.黄泉がえりの禊で生まれた神々

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黄泉国から戻ったイザナギは日向国(現・宮崎県)の阿波岐原(あわぎはら)にて禊を行います。

すると、イザナギの

左目から天照大御神(アマテラスオオミカミ)

右目から月読命(ツクヨミノミコト)

鼻から須佐之男命(スサノオノミコト)

が生まれます。

この三柱は三貴子(みはしらのうずみこ)と総称される、古事記で最も重要な神々です。

イザナギはアマテラスに高天原を、ツクヨミに夜の国を、スサノオに海を統治するよう命じます。

また、海中からは

底筒之男命(ソコヅツノオノミコト)

中筒之男命(ナカヅツノオノミコト)

上筒之男命(ウワヅツノオノミコト)

の三柱の神が生まれます。この神々は住吉三神という海の神です。

大阪の住吉大社を総本社とする住吉信仰の神々はこの時生まれました。

5.イザナギ終焉の地


イザナギ終焉の地は、日本書紀では伊弉諾神宮、古事記では多賀大社とされます。

いずれの神社でも延命長寿の御利益があります。多賀信仰はここからですね。

6.まとめ

いかがでしたか。相思相愛のイザナギ・イザナミ夫婦は黄泉国にて別離することになりましたが、今も伊弉諾神宮・多賀大社で2柱とも一緒に祀られています。

この黄泉がえりの話って、個人的には古代人が実際に経験した話がもとになってるんじゃないかなと、勝手に思っています。

「古墳に埋葬された妻を忘れられない夫。妻に会いたいがために古墳に入り、棺を開けると、そこには腐敗し、ウジがわいた妻の死体が...」

という話を神話に取り入れたんじゃないかな、とか。ありそうじゃないですか?

もちろん神話はフィクションなんですが、こういった古代人たちの思想や価値観を垣間見ることができるような気がして、そこが古事記の一番魅力的な部分だと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます。次回は三貴子たちの物語です。乞うご期待!

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