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ちょっとした制限は、物事を面白くする可能性を秘めている

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こんにちは、旅人先生Xです。

今日は「ちょっとした制限」について書いていきたいと思います。

ぜひ、目を通していってみてください!


目次は、以下の通りです。


ちょっとした制限について

ゲームや日常生活の中で、「ちょっとした制限」をすることで面白くなることって実はたくさんあるという気がしています。

ゲームで言うと縛りプレイみたいなやつです。


私はよく子どもたちとしりとりをすることがあるのですが、普通のしりとりではなくて、「あいうえお」を言ってはいけないというちょっとした制限を取り入れています。

これが思いの外面白くて、結構オススメです。

あいうえおが言えないという制限を設けることで、やりにくくはなるのですが、そのやりにくさがゲームを面白くしてくれるのですから不思議だなと思います。

そして、このちょっとした制限には実は結構な可能性があるのではないかなと最近、考えています。



ちょっとした制限の可能際①ゲーム感覚の付与

ゲームのようなものに関しては、ちょっとした制限は軒並み有効そうだと思います。

制限の種類、内容によって難易度調整ができるわけですからね。

やる人たちに合わせて、制限を設けることで、より楽しみやすくすることができるはずです。


では、ゲーム以外の物事ではどうでしょうか。

今書いていて思ったのですが、ちょっとした制限を設けると大体の事柄は、多かれ少なかれ自然とゲーム感覚になってしまうものが多いような気がしています。

例えば、「夜21時以降はスマホをいじらない」といった行動制限はそこまでゲームっぽくはならないですが、締め切りを設けてそこまでになんとかやることなどを達成するという意味では、ちょっとしたゲーム感覚はあるかなと感じます。


ちょっとした制限は、見方によっては「ゲーム感覚で物事に取り組むきっかけになる」と言えるのかもしれません。



ちょっとした制限の可能性②制限なしの良さを知る

物事によっては、ちょっとした制限をすることで、不便さのようなものを感じることがあります。

当たり前のようにしていたこと、できていたことにあえて制限を設けるわけですから、当然かもしれません。


ちょっとした制限には、不便さのようなものを感じることで、制限が無い状態のありがたさや良さを再確認できるというはたらきも期待できるかなと思いました。

普段使っている自転車を1週間使わないという制限をした場合、自転車のありがたみが身に染みるのは容易に想像がつきます。


一方で、新たな経験の獲得にも期待が持てます。

自転車を制限して徒歩で移動したら、今までは気付かなかったことに気付いたり、目にしていたけど、通り過ぎてしまったものをよく見たりすることがあるかもしれません。

制限が新たな経験につながるというわけです。

実に面白いなと思います。


物は考えよう、やりよう、いいようです。

どうせなら、自分にとって「良いよう」になるようにしていけたらいいなと思っています。

ちょっとした制限というのは物事を「良いよう」に調整できる手段の一つといえるかもしれないですね。



今回は以上になります。

最後までお読みいただきありがとうございます😊

ではまた、次の記事でお会いしましょう。

みなさま、皆様、良い一日をお過ごしください。


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