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微笑みの国の「善意のリレー」

「おーい、おーい、止まれえー」
すっかり暗くなった通りで、山で遭難した人が救助隊を呼んでいるような勢いで、路線バスに大きく手を振る男性が3人。

場所はタイのバンコク郊外。バスの運転手さん2名と、たまたまバス停に居合わせたおじさんまでがなぜか協力して、走って来たバスを止め、わたしを乗せてくれた。

市民の足、通称「赤バス」。冷房がないので、窓は常に開けっぱなし。

「この人、日本人なんだけど、オンヌット駅まで乗せていってあげて!」
と運転手さんが大きな声で言うものだから、車内のみんなが一斉にわたしに目を向ける。ああ、いい年をしてはずかしい…。

その日わたしは、本格的な迷子になってしまっていた。乗り過ごしてしまった事情を知った路線バスの運転手さんが、市内に戻る方向のバスを止めて、「大きな迷子」を託してくれたのだ。

外国人とわかったせいか、いろいろな人が世話を焼いてくれた。「車掌さーん、オンヌットまでいくら? (わたしに向かって)英語わかりますか? 13バーツですよ」と、隣の席の若いお姉さん。近くに座っていたおばさんは、「わたしもスカイトレイン(モノレール)に乗るから、一緒に行きましょうね」と声をかけてくれた。明らかに困った状況にあるとき、タイの人たちは本当に親切で、温かい。

「民衆クーデター」で大混乱のバンコク

発端は、センセープ運河のボートが、いつもの船着場を素通りしてしまったことにある。市の中心部に出かけた帰り、ちょっと用事が長引いて、退勤ラッシュの時間にぶつかってしまった。ボートにはたくさん人が乗っていたのに安心してしまい、係の人に下りる場所を言わなかったのがまずかった。

「東洋のベニス」と呼ばれたバンコクは運河が多い。船は現役の交通手段。

ボートは渋滞がなくて便利だけれど、一度降りそこなってしまうと、橋があるところまで行かなければ対岸に渡ることができない。じりじりしながら次の橋の近くまで乗って、船着場でボートを降りた。

なぜわたしが運河ボートを使っていたかというと、このころ、バンコクの交通がまともに機能していなかったからだ。2013年11月、タイの首都バンコクでは、連日大規模なデモが行われていた。

国旗を振る人びとを荷台に乗せたトラックが、よく街なかを走っていた。

時のインラック首相は政治経験がなかったため、兄で国外亡命中のタクシン元首相の傀儡と目されていた。タクシン兄妹を批判するステープ元副首相を中心とする民主党支持者のグループは、首相の退陣を求めて、至るところでデモを展開していた。

官庁街に近い戦勝記念塔付近は、反政府デモ隊が占拠して事実上「解放区」のようになっていたし、数日前には、出かけていた先の近所にあった財務省の庁舎が、押しかけたデモ隊に占拠され、主電源を落とされている。市の中心部ラーチャプラソン交差点でも、さっきまでバスが走っていた道路がいきなり封鎖され、しばらくするとバイクに先導された大勢のデモ隊が到着して座り込むという具合で、交通は乱れに乱れていた。

にらみ合うデモ隊と機動隊。タイ王国警察本部前にて。

デモ隊を支持する人も中にはいたと思う。しかし大方の人びとは、当てにならないバスが来るのをじっと待ち、デモの影響を受けたくなければバスの倍額もするスカイトレインに乗って、なんとか混乱をやり過ごしていた。

今度はバスを降りそこなう

話を戻すと、いつもの船着場より先でボートを降りたわたしは、そこから路線バスに乗ってアパートメントに戻ろうとした。これが、二度目の失敗。

赤バスの車内。乗ると、席に車掌が来て、料金と引き替えに切符を渡す。

いつも見かける番号のバスだし、行き先を告げると車掌もうなずいてくれたのでそのまま乗ったのだが、どうも様子がおかしい。見慣れない場所を通っていると思ったときにすぐ聞けばよかったのに、車内が混雑していることもあり、反応が遅れてしまった。

タイのバス停には、路線図や時刻表がない。みんな、停留所でなんとなく待ってはいるけれど、次のバスがいつ来るかは誰も知らない。

バス停。通過するバスの番号はわかるが、時間と路線の案内はない。

だんだん暗くなってきた時間でもあり、幹線道路からはずれたところでバスを降りると、タクシーも拾えない、人にも行き会わない危険性がある。ええい、ままよ、と終点まで行くことにした。少なくともターミナルなら、バスの路線と運行スケジュールを把握している人が誰かしらいるだろう。

終点に着いたが、そこは

着いてみたら、そこはターミナルなどではなく、郊外の工事現場にちょっとしたテーブルといすがあるだけという、ローカルな終点だった。運転手さんたちが、たばこを吸ったり、ごはんを食べたりして時間をつぶす休憩所といった感じ。客らしき人は、もちろんわたしひとりである。

ここが路線バスの終点。ずいぶん郊外に来てしまったようだ。

都内に戻るバスは何時に出るのか、気になったので尋ねてみる。
「うーん、そうねえ、1時間後かなあ」
そうですか、ここであと1時間……。

たぶんわたしは不安そうな顔をしていたのだろう。車掌のおばさんたちは、おしゃべりに忙しい様子で、わたしのような片言の外国人と話すのがめんどくさそうだったけれど、運転手は気のいいおじさんたちで、アパートメントの場所や、どの辺りなら土地勘があるのか、辛抱強く尋ねてくれた。

なかにひとり、少しだけ英語がわかる人がいて、わたしのアパートメントの大家さんに電話もかけてくれた。バスを間違えて別の場所に来てしまったけれども、これから正しい行先のバスに乗せて帰すから、家族に心配するなと伝えてほしい、というようなことを説明してくれたのだと思う。なぜか盛大な身振り手振りつきで。

しばらくして、やっとバスに乗りこんだら、今度はエンジンがかからない。
……わたし、今日中に帰れるのかしら。

数えきれないほどの「ありがとう」

出発を待っている間に、運転手さんは、わたしが乗るべき路線バスの番号と、降りる場所をタイ語で書いたメモを用意してくれた。
「これを見せて、ここに行きたいって言うんだよ」
けれども、やはりひとりでは心配だと思ったのか、幹線道路までバスに乗せてくれたあと、そこから次に乗り継ぐバスを待ち受けて、止めてくれた。

とりあえず、アパートメントのある場所「エカマイ」は読み取れたけれど。

無人とはいえ、わたしたちが乗ってきたバスは、この間十分ほど路肩に停車。原因はわたしなので、どうこう言える立場ではないけれど、いいのか、それで。

せめてさっきの電話代をと思ったので、ほんの気持ち程度のお金を運転手さんに渡そうとしたら、「マイペンライ」(いいから、いいから)と受け取ってくれない。「コップン・マー・カー」(ありがとうございました)と握手して別れた。気のいいおじさん3人組は「じゃあねー」と窓の外から手を振ってくれた。

親切な運転手さんが「この人をよろしく」と乗り継いだバスの人たちに頼んでくれたおかげで、わたしは無事にオンヌット駅近くでバスを降りることができた。

バンコクのモノレール、「スカイトレイン」。

「一緒に行きましょうね」と声をかけてくれたおばさんは、バスを降りて少し歩いた先にある、スカイトレインの駅のホームまでわたしを送り届けてくれた。お礼を言うと、またしても「マイペンライ」(いいんですよ)。にっこり微笑んで、電車に乗って行った。

この日、わたしは何度「ありがとう」と言っただろう。その回数だけ、見知らぬ人たちに助けられたということだ。

歩き慣れたつもりでも、ひとつ間違うとわからないことだらけの外国。困ったことに出会うと少しは慎重になるので、「あまりうろうろしなさんな」とお灸をすえられたのではないかと思う。

親切なみなさん、本当にありがとう。お騒がせして申し訳なかったけれど、ご恩はきっと、日本にいらして困っている旅の方にお返しします。

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