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それは誰に届けたい文章なのか

ある時期、月刊誌に書評を書いていたことがあるので、それが宣伝であれ、批評であれ、本の紹介記事は気になる。

ときどき手にする情報誌に、不思議な書評欄がある。毎月6冊を取り上げているのだが、否定的な感想が目立つのだ。「当たり前のことが書かれていて、がっかりしました」「読み終える頃には、失望してしまいました」という具合。いったいどういう基準で本を選んでいるのか、不思議に思う。

半数以上が勧めない本になってしまう月もあるので、その書評を読んでも、本を買ったり読んだりする気になれない。評者の判断を信用するならば(わたしはそうではない)、つまらないと言われている本を避ける役にしかたたないのだ。書き手は文筆に関係する人ではないが、媒体の編集者はどういう意図でこの欄を運営しているのか、伝手があったら聞いてみたいくらいだ。

『出版年鑑』(出版ニュース社)によると、書籍に限っても、日本では年間
7万5千冊の新刊が出ている(数値は2017年)。単純に割って、一日200点を超えるということだ。

だから、月6千冊以上の中から、わざわざつまらない本を紹介する意味がわたしにはわからない。現在の流通システムでは、書店で棚に並ぶ機会がないまま版元に返品される本だって多い。言うまでもなく、新刊ではない本、雑誌、公刊された報告書などを含めたら、厖大な数の出版物があるのだから、本好きが知りたいのは、埋もれている良書ではないのだろうか。

書評者としての米原万里の仕事

ロシア語通訳でエッセイストだった米原万里は、一日平均7冊を読む読書家だった。『週刊文春』に「私の読書日記」を10年間連載していて、たいへんな量の本を読んでいる。「私の読書日記」ほか、米原が書いた書評を集めたものを没後にまとめたのが、『打ちのめされるようなすごい本』(文春文庫)だ。

「私の読書日記」は毎回数冊を取り上げるスタイルだ。その評から、批評している対象の本以外に、著者の代表作や受賞作、関連の著作にも米原が目を通しているのが感じとれる。本と向き合うのは、書き手の思想や感性と向き合うことだが、病に倒れても、米原が誠実な仕事をしようとしたのがよくわかる。

巻末には、作家の井上ひさし(米原の妹・ユリと結婚)が、追悼の色彩の濃い解説を書いていて、その中で米原が書評の仕事を最後まで大切にしていたと述べている。

「心の底からいい本だ、みんなに読んでもらいたい」という、あふれる思い

実は、本も同じで、適度にいい本だと、自分でも感心するほど手際よく的確に本の内容とその長所を紹介できるのだけれど、心の底からいい本だ、みんなに読んでもらいたいと思っている本に限って、溢れる情熱が上滑りしてしまって、本の全体像も推薦理由も要領を得ないみっともない文章になってしまうことが多い

と米原は嘆く。

なら、書評を書き易い本を適当に選んでお茶を濁した方が、私にとってのみならず、編集者や読者にとっても幸せなはずなんだけれど、やはり本命と心に決めた本を、簡単に諦められないというのも恋と同じなのだ。だから、私の下手な推薦文に惑わされずに、とにかく読んでみて! 読みなさい! 読むんだ! 読め! 読んで下さい!

と結ぶ。ちなみに、こんな風に米原に推された幸運な本は、斎藤美奈子の『読者は踊る』(マガジンハウス/文春文庫)だ。

本に対する、この熱い思いはどうだ。そう、時間は有限で、働くおとなは忙しい。本好きは、仕事や家事、子育て、介護に追われながら、ない時間をなんとか割いて読書に充てている人が多いはずだ。その限られた時間を、自分の書評を読むことに使ってくれていることがわかっているから、最大限の成果を手渡したくて、米原は厖大な量を読み、そして書いた。

文章は、読み手に向けた手紙のようなもの

書きたいことを書く、のは間違いではない。記録のために手帳に覚書を書き留めておいたり、気持を整理するために日記を書くこともあるだろう。それは自分だけのものだから、自由だ。

ただ、ひとに読んでもらうことを意図して書くものには、一定の敬意や配慮が必要だと思う。わたしは米原の文章に、本に対する愛情だけでなく、読み手へのサーヴィス精神も感じる。

配慮を示すには、読み手の時間を無駄にしないように中身を精査するとか、少しでも読む負担を減らす表現の工夫だとか、いろいろな方法があると思う。そうでなければ、意味のないことばを浪費するだけでなく、相手を「感情のごみ箱」のように扱うことにもなりかねない。

わたしは note で出会う人たちを、未来の友人候補と思っている。ほんの少しでも、読んでよかった、共感できると感じてもらえたらうれしいし、役に立っ部分があったならとてもありがたく思う。

それが、「ひとりぼっちではないよ」と本によって救われた、わたしがしてみたいことだ。


・米原万里『打ちのめされるようなすごい本』(文春文庫)文藝春秋、2009年。単行本は2006年に文藝春秋から出版されている。

*写真 タイの市場で売っていた蓮のつぼみ

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