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「気ままな旅」が許されるという贅沢

またやってしまった。どうしてこう、鈍感なのだろう。
想像力が足りなすぎる。なぜ、もっと早く気づけなかったのか。

カンボジアのプノンペンに滞在していたとき、大家さんが子どもと一緒に部屋を訪ねてきた。借りていた部屋にちょっとした不具合があって、状況を見てもらうための訪問だった。

大家の息子さんは小学生くらい。ちょうどわたしが開いていたパソコンに興味を示して、「これ、なあに?」と話しかけてきた。

夫と家主の話は少し長引きそうだ。
まだ小さい男の子には、大人同士の話なんて退屈だろうと思ったわたしは、note に投稿していた動物園の写真を見せながら、相手をすることにした。

「動物の写真だよ。見る?」
「うん。動物、好きなの?」
「大好き。動物は美しいもの。これ、なーんだ?」
「象! 大きいなあ」
「見たことある?」
「うん、あるよ。次は?」
「これはね、ねこ」

「うん、知ってる。これはたぬき?」
「ううん、これは赤パンダ。ジャイアント・パンダより小さいパンダ」

「次は、なあに?」
「これはペンギン。寒い国にいる鳥で、泳ぐんだよ」

「ふうん。僕、これ知ってるよ。なまず!」
「そうだね、この近くの市場で撮った写真だから、知ってるよね」

「これは?」
「コアラ。オーストラリアにいるんだよ」
「森が火事になったんでしょ? コアラは逃げられたの?」
「雨で火の勢いは小さくなったって聞いたよ。動物たちも助かるといいね」

わたしたちは写真を眺めながら、たわいのない会話を続けていた。

「いろんなところに行っているんだね」
ひと息ついてその子が言ったことばで、冷水を浴びたような気持ちがした。
そうは言わなかったけれど、羨望の響きがあったからだ。

動物の飼育には、莫大なお金がかかる。
堅牢な施設に餌代、動物の世話や医療に当たるスタッフが大勢必要だ。

だから、開発途上国の動物園には、自国や近隣国の動物しかいない。
設備に費用がかかるペンギンは、熱帯ではとても飼えない。
生息域が限られるパンダや、決まった種類のユーカリしか食べないコアラは、そもそも希少種だし、貸与のお金を工面できるのは、限られた国だけだろう。

何より、経済の差が厳然として存在するから、出稼ぎでもない限り、カンボジアの人が外国に出かけるのは難しい。行くとしても、それは気ままな旅行ではない可能性が高い。

動物が好きな同士、というつもりで見せた写真や、話したことばが、自分はそういう環境にいないことを、この子に感じさせてしまったとしたら。
どうしよう。わたしは無神経な見せびらかしをしてしまったことになる。
うらやましさは、心に巣食うと幸せな気持ちを陰らせる。

あちこちに旅したことを、さも得意げにわたしは言わなかったか。
自分の努力でもなんでもなくて、たまたま一定の経済発展を遂げた国に生まれたというだけのことなのに。
だいたい、用もないのにふらふら遊んで歩くこと自体、先進国の人間だけのお遊びだということを、いやというほど思い知らされたのが、あの長い旅だったはず。


いったい何を学んで帰ってきたのか。
後悔と申し訳なさが胸を刺す。

「またね。バイバイ」
家主と夫の話は済んで、父と子は並んで帰っていった。
男の子の笑顔に少し救われたような気持ちになったけれど、わたしの落ち込みはしばらく回復しなかった。
ごめんね、楽しくない気分にさせてしまったかもしれないね。

今度会うときには、君が知っている動物の話を聞かせて。
わたしが知らない鳥や虫、そうだ、蛇の話でもいいよ。
身近にいるから珍しいと思わないかもしれないけれど、ここには、熱帯にしかいない動物がたくさんいる。


今度はわたしが、知らない世界を君に教えてもらう番だ。

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