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①2001年ユーラシアの旅 (陸路一周): 10代女 旅に出る

まえがき

旅行記…ほど大層ではないが、ほぼ忘却の彼方となりつつある大学浪人中の10代末に始めた最初のバックパック旅行について、思い出したことを書いてみようと思う。懐古趣味かもしれないが、もし需要があるととても嬉しい。

最初は『深夜特急』みたいに、ユーラシアの西端まで完全陸路海路で行くプランだったのだが、うっかりさんのために都合ユーラシアを陸路海路で一周する羽目になった。

それ以来旅行にハマりすぎ、ひたすら海外で不良日本人や沈没者をやっていて、結局大学は4年のうち2年しか通学せずに卒業した(出席のいる科目を2年に詰め込み、2年は海外にいて試験の時だけ帰国したひどい「あ法学部生」であった)。

その後は法科大学院をドロップアウトしてまた1年間旅をしたり、インド、オーストラリア、カナダ、ドイツに住んだりして(NYも住めるかチェックした)、そして現在イギリスに住みつきかけている。自称日本からの「社会的難民」であり帰国は未定だ。

もし需要があるなら、あまり日本人になじみのない、ここ数年の旧ソ・コーカサス・地中海の島々のことなども書いてみるかもしれない。過去20年で約75か国を訪問し、A to Zではアフガニスタンからイエメンまで女一人で乗り込んだ。北極南極以外の大陸は一応踏み込んでいる。

なお基本的に女一人旅のため、ブラック・アフリカは後述するかもしれないし、しないかもしれない理由で未踏である。いつか旅バディができたら行ってみたい…かもしれない。

2001年バックパッカーになる

2001年に私が海外浮浪者になったのは、大学受験の失敗がきっかけであった。

浪人生の私は、金銭的余裕がない家庭育ちなのに、親に飛行機代を出してもらって北海道の旭川まで大学受験に行ったにもかかわらず、圧迫面接で大失敗し、文字通り号泣しながら雪の積もる旭川の町を徘徊していた。

そこで見つけたのは銀色のかまぼこのような形の建物 ―― なんと地元で入り浸っていた大好きなヴィレッジヴァンガードであった。「旭川にヴィレヴァンがあるとは?!(失礼)」と救われるような気分で入り、そこで『バックパッカー読本』という本を手に取ったのがすべての(人生転落の)始まりであった。

今から振り返れば、オウム事件や酒鬼薔薇事件なども含め90年代後半は世紀末の影が強かったように思う(なお美術史の話になるが、西暦の数字を意識してか否か、19世紀末もやはり大変に世紀末的であった)。

アングラ、サブカルは普通で、今ではありえないような強烈なサブカル作家がテレビに出たり、火炎瓶や改造銃の作り方の冊子が普通に通販されていた時代で、高校生はバタフライナイフを振り回しており、私の古文教師は授業中に、人間を切るためだけに作られたという大振りの刀を含む7本くらいの大きなナイフを全身に装備して現れ、教卓で生徒に1本1本解説しながら見せびらかして、後日PTAから文句を言われていた(今考えると銃刀法違反だと思う。一応進学校だったので授業中にそんなことをやっているとは悠長であった)。

当時高校生だった私からするとヴィレヴァンはその(クールな)時代の象徴だった。


後日もちろん無事に大学の不合格通知を受け取った私は、春先から勉強したくない感と好奇心から世界中を見てみたくなった。『バックパッカー読本』のすすめに従い、『深夜特急』のようにユーラシアを完全陸路で横断してみたい。極東日本から、ユーラシア大陸の西端と言われるポルトガルのロカ岬を目指すのだ。

本のお勧めの装備を買い込み、The North Faceの30Lのバックパックに詰め込んだ。

当時は出版社「旅行人」がバックパッカーや個人旅行者向けに、超絶素晴らしい旅行ガイド本「旅行人ノート」を出版していた。そのシリーズの『アジア横断』『チベット』などを持って、バックパック1つで単身、大阪発・上海行のフェリー・新鑑真号に乗り込んだ。

…のだが、中国に着くまでに大失敗に気が付く。

To be continued...

【バックパックのお勧め】
バックパックのお勧めは要らないかもしれないが、いくつか長期で担ぎ回った私の経験上、錠前のかけられるダブルジッパー式のもので、外にもポケットがあるもの、なるべく縦型で、女性は容量35Lまでがお勧めである(最高でも40L)。上部を紐でしばるものは防犯上不安だし、モノをつい入れすぎて歩けない。ジッパーも鍵をかけていてもボールペン1本で一瞬で開けられちゃうけど。

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ユーラシア白地図

野宿出身、未だにおよそ野良ですが、まだサバイブしてます。