③2001年ユーラシアの旅 (陸路一周): 北京→シベリア鉄道
北京着
北京に着いて、雑居ビルの上階にある怪しい宿に行って粗末な部屋(安宿というより学生寮のような妙なところで、いかにも寮なシャワーは共同)をエノモトさんとシェアした。ど素人の私は気づく余地もなかったが、エノモトさんは受付で、どうせ分からないだろうと「小日本(シャオリーベン:蔑称)」と言われたと怒っていた。
初めての北京は都会で、デパートや広告が派手であった。マクドナルドやコカ・コーラの上手い漢字化(中国語)に感心しながら、早くも慣れたファストフードが食べたかったが、外資系は高価だった。この時「マクドナルドとかエサ」とエノモトさんに言われたことも時に思い出す(しかし思い出しながらも2020年8月のイギリスの外食推奨キャンペーンである 'Eat Out Help Out' で半額で何回かフィレオフィッシュを食べてしまったのは秘密)。
貧乏旅行者の私はエノモトさんと、地元感の半端ない裏路地の、怪しい食堂で怪しい定食を食べた。なぜ怪しいと2回言ったかというと、未だに何を食べたか分からないからである。大き目の皿に複数盛り付けられた食べ物のうち、クラゲ???寒天???のような半透明の怪しい物体にはそれ以来今日まで出くわしておらず、それが何だったかは20年経っても分からない。
なお中国の印象としては、「(安い)中国の中華料理はおいしくなかった」である。
前回書き漏れたが上海では、船で同乗した13歳の女の子の、エリート大学に通うリッチな中国人のお友達シャーリーたちと上海でイケイケのクラブに行き、ちゃんとしたお店で火鍋なるものを始めて食べた。これは美味しかったはず。
北京では連休中の人の多い天安門広場や紫禁城に行った。映画「ラストエンペラー」の溥儀役のイケメン、ジョン・ローンのファンだったからである。私は次に述べる理由で万里の長城には行けなかったが、行ってきたエノモトさん曰く凄い人出だったそうだ。
さて、チベットに向かっていたはずの私はなぜ上海から北上したのか。
シベリア鉄道に乗るためである。
到着前から中国にビビッてしまった丸腰(ガイドブックなし)の私は、中国横断をしてチベットに至ることをあっさり放棄した。
そこで、エノモトさんに見せてもらった英語ガイドブックのロンプラをなんとか半泣きで解読し(私はいまだに英語は苦手です)北京でロシア大使館に行ってビザを申請し、シベリア鉄道でヨーロッパに渡ることにしたのである。与謝野晶子のアレか…という感じのイメージしかなく(今だと『坂の上の雲』を挙げるだろう)、もちろん番狂わせのためロシアのガイドブックも持っていない。
もちろんグーグルマップなんて存在しないので、ロンプラの地図コピーをもってしても北京でロシア大使館を探すのは難航し、路上で味のない饅頭を食べながら迷いに迷っていたところを近所の民家のなぜか英語を喋る少女に助けられ、何とかロシア大使館にたどり着けた。
ロシアの10日間トランジットビザはなかなか高価で、百ドル以上はしたと思う。<北京ーモスクワ>はシベリア鉄道で7日かかるので、滞在する余裕はない。また中国国内の満州里経由とモンゴル経由の2本があるので、モンゴルビザがない以上満州里経由をとると、週2本の運航だっただろうか。
そんなこんなでロシアビザとシベ鉄のチケット手配で駆けずり回って北京編も終わり、散々お世話になったエノモトさんに別れを告げ、ひとりモスクワ行きのシベリア鉄道「ボストーク」に乗り込んだ。
To be continued...
野宿出身、未だにおよそ野良ですが、まだサバイブしてます。