9年ぶりのベトナムの旅で、やっと手に入れたもの
どんな国でも、旅が終わる頃には、その国のことを好きになっている。
旅人としての僕にとって、それはほとんど唯一の、ささやかな特技と言えるかもしれない。
そんな僕にも、たったひとつだけ、旅をしても、どうしても好きになれなかった国がある。
9年前、20代の終わりに旅した、東南アジアのベトナムだ。
期待を胸に訪れたそのベトナムで、僕は大きく打ちのめされることになる。
この国だけは自分には合わない、と思ってしまったのだ。
まったりとしたベトナムの気候は良かったし、ホーチミンの美しい街並みも悪くなかった。
ただ、ベトナムの「人」に、僕は拒否反応を示してしまった。
街を歩いているだけで、馴れ馴れしく声を掛けてくるバイクタクシーの運転手たち。断っても断っても、彼らは巧みな日本語を使って、甘い言葉で勧誘してくる。
市場へ買い物に行けば、その店主たちは、1000ドンでも儲けたいがために、わざと高い値段を吹っかけてきた。言い値で買うのも悔しいし、値切るのも一苦労で、すべてが面倒になってくる。
なんて疲れる国なんだろう、というのが僕の素直な感想だった。
もちろん、ベトナムの人たちが悪いわけではない。彼らは、ただ懸命に働いて、生きているだけなのだ。
でも、僕には合わない国だと思った。すべてがちぐはぐなまま、ただ時間だけが過ぎていった。
どうやら自分にも、好きになれない国はあるらしい……。
その事実に打ちひしがれながら、ベトナムを離れるとき、僕は心の奥で思ったものだった。
この国を訪れることは、もうないのかもしれないな、と。
ところが、旅とは不思議なもので、9年近くが経ったこの冬、僕は再びベトナムに降り立つことになったのだ。
長い年月が過ぎたことで、今度こそ、という気持ちが芽生えていた。
もう1度ベトナムを旅すれば、今度こそは、好きになることができるかもしれない、と。
30代も後半になった僕が降り立ったのは、首都のハノイだった。
夜の空港をあとにして、旧市街のホテルへ向かうタクシーに乗っていると、前回の旅の苦い思い出がふと甦ってきた。
市街地が近づくにつれ、オートバイの数が増えてくる。街角の暗闇では、得体の知れない集団が、小雨の降る中でなにやら集まっていたりする。
窓の外に流れるのは、紛れもなく、あの好きになれなかったベトナムだった。
しかし、次の日の朝からハノイの街を歩き始めて、おやっ、と思うことになった。
僕の知っているベトナムと、何かが変わっているような気がしたのだ。
ホーチミンではなくハノイだった、ということはあるだろう。ハノイにも都会の喧騒があるけれど、どこか時間の流れはゆったりしている感がある。
バイクタクシーの勧誘が少なくなった、ということもある。最近は、「Grab」というスマホアプリでタクシーを呼ぶのが主流になり、しつこい勧誘がほとんどなくなった。
初めてではなく、2度目のベトナムだった、ということもあると思う。前回の旅で、一種の「免疫」ができたことで、今回はそれほど拒否反応が出なかった。
ただ、僕はなんとなく、ベトナムの「人」が、少し変わったように思えた。
もちろん、ちょっと短い旅をしただけの、一面的な感想にしか過ぎない。
でも、今回は不思議と、穏やかで、優しくて、温かな、そんなベトナムの「人」に出会うことが多かったのだ。
なかでも、僕の心を解きほぐしてくれたのは、若い人たちとの小さな出会いだった。
ハノイから足を延ばして、ニンビンという世界遺産の町を訪れたときのことだ。
夕方、古いお寺の建つ湖畔を歩いていると、純白のアオザイ姿で記念写真を撮っている、若い女性の3人組を見かけた。
すると、僕がカメラを手にしているのに気づいた彼女たちが、「写真を撮ってくれませんか?」と声を掛けてきた。
ライトアップされたお寺をバックに、物語の世界から飛び出してきたような、不思議な美しさの彼女たちを写真に撮った。
その別れ際、「写真を送ってくれませんか?」と、彼女たちは言った。
しかし残念なことに、辺りが暗くてブレてしまい、とても送ってあげられるような写真は撮れなかった。
僕がそれを伝えると、彼女たちはふふっと笑って、「わかりました」と言ってから、楽しそうにカフェへと入っていった。
その後ろ姿を見送りながら、こんなふうにベトナムの若い人たちと、気さくに当たり前の交流をしたのは初めてだな、と思った。
ニンビンから日帰りで訪れた、ナムディンという町でも、印象的な出会いがあった。
午後、美味しいフォーの店がある、と知って行ってみると、そこは地元の人で賑わっている小さな店だった。
なんとなく入りづらくて、僕が店の前で迷っていると、店主の女性が声を掛けてきた。
でも、ベトナム語のため、何と言っているのかわからない。
すると、店内で食事していた若い男性の2人組が、ベトナム語を理解できない様子の僕に気づいたらしい。そのひとりが、僕にもわかる簡潔な英語で教えてくれた。
「少し変わったフォーですけど、ぜひ食べてみるといいですよ。おすすめです!」
僕は彼らにお礼を言うと、店に入り、その「少し変わったフォー」を食べてみることにした。
出てきたのは、フォーではなく、サトウキビを麺に練り込んだ「バインダー」という一品だった。魚のフライが入っているのも変わっていて、あっさりした風味がとても美味しい。
彼らが店を出ていくとき、お互いに会釈をした。
もしかしたら彼らは、バインダー……なんて言っても、僕が混乱するだけだと思い、「少し変わったフォー」と教えてくれたのかもしれない。
いずれにしても、彼らのさりげない優しさのおかげで、その美味しい一品を味わうことができたのだった。
そんなニンビンやナムディンの小旅行を終え、列車でハノイへ戻る頃には、僕も気づいていた。
思いがけず、気持ちを和ませてくれた「人」との出会いを通して、ベトナムの人たちを、そしてベトナムという国を、ちょっとずつではあるけれど、好きになりつつある自分の心に……。
ハノイへ戻った僕は、ベトナム最後の夜、街の外れにクラフトビールの店を見つけて、のんびり呑むことにした。
その店もまた、若い店員さんが親切に、おすすめのビールや料理を紹介してくれる。
ジャスミンの香りが漂う、不思議な美味しいビールをひとり呑みながら、ふと思うことがあった。
あるいは、本当に変わったのは、ベトナムの人よりも、僕自身だったのかもしれないな、と。
いや、確かに、ベトナムの人たちも変わったのかもしれない。
でも、それよりも、穏やかな気持ちへと変われたのは、旅人としての僕だったように思えたのだ。
あの9年前、20代の終わりにベトナムを旅した僕は、旅というものに、特別な何かを求めていた。
人生を変えてくれる感動、素晴らしい出会い、誰かに語れるような経験……。
どこかにそれを探しながら、旅をしていたように思う。
ところが、そうして旅したベトナムでは、期待していた何かに巡り会うことはできなかった。いま思えば、ベトナムの人たちにまで、その何かを求めて、これではない、求めているものはこれではない……と思っていたような気がする。
あのときも、もっとありのままに旅していれば、良い旅はできたのかもしれない。
特別な何かを求めるよりも、たとえ期待とは違っていても、旅の偶然の出会いや発見を、ただ素直に受け入れて、旅のすべてを楽しんでいれば……。
きっと、旅人としての僕が変わったことで、ベトナムという国の面白さに、そしてベトナムの人たちの優しさに、初めて気づけたような気もするのだ。
翌朝、空港へ向かうタクシーに乗りながら、どこか爽やかな気持ちで、窓を流れるハノイの街並みを眺めていた。
9年もの長い年月はかかってしまったけれど、そのベトナムの風景に、自然な好意のようなものを感じるようになれたからだ。
たぶん、3度目のベトナムを旅する日は、もう9年なんて待たずに、もっと早く訪れることだろう。
またベトナムを旅したい、と心から思えることが、この旅の最高のお土産なのかもしれなかった。
それはまるで、あの頃は友達になれなかった誰かと、久しぶりに再会してみたら、やっと、仲良くなれるきっかけを手に入れたような気分だった。
旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!