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何かを探す旅から、いまこの瞬間に心動かされる旅へ

旅の経験が増えれば増えるほど、旅で味わえる新鮮な感動はだんだん薄れていく。

ずっと、そんなふうに思っていた。

たとえば、初めてヨーロッパへ旅に出たときは、すべての風景が輝いて見える。

中世のままの町並み、緑が揺れる街路樹、川に架かった石橋に、そこを行き交う人々……。

でも、2度目、3度目のヨーロッパになると、そんな風景も見慣れてきて、初めての頃のような輝きを感じられなくなってくる。

実際、僕も旅の経験が増えるにつれ、感動できる要素が減っていく自分を感じていた。

やはり、旅の経験と感動は、反比例してしまうものなのかもしれない……。

ところが、つい先日、何度も訪れている韓国を旅しながら、いや……と思い直していた。

そこに再び、旅のほんの小さなことにも感動できるようになっている、自分がいたからだ。

僕にとって、初めての海外への旅は、24歳のときの韓国ひとり旅だった。

釜山発、ソウル行き。バスを乗り継ぎながら巡ったその旅は、道端に落ちているゴミさえ煌めいて見えるような、新鮮な感動に溢れた旅だった。

すべてが初めてだった。異国の街を歩くのが初めてなら、自分が外国人になるのも初めてだった。

意味のわからないハングルの看板に、あちこちから聞こえてくる賑やかな音楽、そして街ゆく人々が発する韓国語。どこか埃っぽい空気の中を、嗅いだことのない匂いが漂ってくる……。

人生で初めて経験する、そんなすべてに五感を研ぎ澄ませながら、僕は1週間の旅をした。

後にも先にも、あれほど心震える旅は、他になかったように思う。

異国を旅する面白さを知った僕は、それをきっかけに、いろいろな国へひとり旅に出るようになった。

中国へ、東南アジアへ、さらに、アメリカへ、ヨーロッパへと旅に出た。

初海外の韓国ほどではないにしても、どこも初めて出会う風景がいっぱいで、いつも心を揺れ動かせながら旅していた。

でも、アジアの旅が4度目、5度目になり、ヨーロッパの旅が2度目、3度目になった頃、旅先で出会う風景に、ふっと既視感を覚えるようになった。

もちろん、同じアジアやヨーロッパといっても、訪れた国は違うし、それは初めて見る風景のはずだった。

だけど、いままでの旅で見た風景と少し似ていて、以前のような心の震えを感じなくなった。

風景だけではない。旅先での人との出会いやちょっとしたハプニングにも、新鮮な感動を抱けなくなっている自分がいた。

すでに僕は、旅人として、多くのことを経験してしまっている。そのことが、かつてのような感動を、奪ってしまっている気がした。

どうしよう。このまま旅を続けても、あの頃のような、感動に溢れた旅はもうできないかもしれない……。

突然のウイルスの流行によって、海外への旅が途絶えたのは、そんな迷いを抱き始めた時期だった。

ようやくウイルスの流行もピークを過ぎると、僕は再び、海外へ旅に出るようになった。

ギリシャへ、フィンランドへ、そしてカタールへ。

久しぶりに異国の風に吹かれながら、ちょっと不思議な気持ちに包まれた。

アテネの遺跡で、ヘルシンキの市場で、ドーハのモスクで、まるであの頃のように、豊かに心を震わせている自分がいたからだ。

でも、久しぶりの海外だからかもしれない、と思った。

実際、長く海外へ行けなかった日々が、再び旅を輝かせてくれるようになった……、そういうことはあるだろう。

だけど、つい先日、韓国を旅しながら、それだけではないのかもしれない……と思うようになった。

ソウルから、釜山へ。初海外のときと逆ルートを辿ったその旅で、僕は確かに、見る風景に、すれちがう人に、いつも心を動かされていた。

バスの車窓を流れる街並み、繁華街を行き交う若者たち、列車に乗り遅れたハプニング、港町を包む紫色の夕暮れ……。

もちろん、その感動の大きさは、以前より少し小さくなっているかもしれない。

でも、1度は忘れかけていた、旅先のなんてことない光景や瞬間に、再び、素直に心が動くようになっている自分がいたのだ。

この感覚、久しぶりだな、と思った。

そして、ふと気づいた。

年齢を重ねたことで、心動かされる何かを探す旅ではなく、いまこの瞬間に心動かされる旅へと、変わっていったのかもしれない、と。

20代の頃は、感動できる何かを探して、いつも旅していた。それでも最初の頃は、何もかもが初めてだったから、感動なんてすぐに見つかった。

だけど、旅の経験が増すにつれ、簡単には感動が見つからなくなってしまった……。

30代のいま、感動を探さなくても、目の前にある風景に、過ごしている時間に、心動かされることができたなら、それだけで十分なんだ、ということがよくわかる。

そして、いま旅しているこの瞬間を、ありのままに愛せている自分を感じる。

きっとそれが、20代の若さと引き換えに、30代のいま手に入れることができた、新しい感動だと気づいたのだ。

旅の感動もまた、幸せと同じで、探すものではなく、ただそこで感じるものなのかもしれない。

確かに、旅を続けていれば、失ってしまう感動はある。

でも同時に、新しく得ることになる感動もあるから、やっぱり旅はやめられない。

そしてこれからも、ほんの何気ない風景や出会い、瞬間……、そんな小さなものに心動かされる旅人であり続けたい、と思うのだ。

旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!