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異国の旅は、どんな自分も素直に認めてあげられる場だと思う
気づけば、30ヶ国以上もの国々を旅してきて、だいぶ旅の経験は積んだはずなのに、いつまでも自分は成熟しない旅人だと感じることがある。
いまだに、どこの国を訪れても、つまらないことで失敗をしてしまったり簡単なはずのことに戸惑ったり、思い通りに旅が進まないことがよくあるからだ。
もしも、僕が旅している様子を誰かが見たら、まだ経験の浅い旅人のように思われるかもしれない。
でも実際、レストランでの注文に手間取ってしまうこともあるし、大事な観光スポットを見逃してしまうこともあれば、悪い人にあっさりと騙されてしまうこともある。
たぶん、これだけ旅をしてきても、僕はまだ成熟した旅人になれていないのだ。
だけど、それでもやっぱり、旅というものに心惹かれてしまう自分がいる。
思い通りにいかないとわかっていても、知らない異国へ、また新たな旅に出たくなる。
それはきっと、旅という時間には、普段の生活では味わうことのできない、不思議な心地良さがあるからだ。
たとえ失敗しても、それすらも認めてあげられるような、優しい心地良さが……。
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この秋、トルコのトラブゾンという町を旅していたときだった。
日帰りでリゼという町へ足を延ばし、夕方、トラブゾンの町へと戻るミニバスに乗った。
すっかり日が暮れ、窓の外に流れる風景も暗くなった頃、不意にバスを停めた運転手さんが、僕に向かって言った。
「トラブゾンなら、ここで降りるんだよ」
なんとなく、知っているトラブゾンの風景とは違う気がする。でも、運転手さんが言うからには、ここがトラブゾンなのだろう。
僕がお礼を言って降りると、すぐにミニバスは走り去っていった。
ところが、周りの風景を見渡しても、見知った町並みがまったくない。スマホでGoogleマップを開いて現在位置を確認すると、思わず唖然とした。僕が降りたのは、トラブゾンの中心街から4km近くも離れた、町の外れのエリアだったのだ。
目の前には、駐車場を備えた巨大なショッピングモールがある。おそらく運転手さんは、僕がここに行くものと勘違いしていたのだろう。ここも確かに、トラブゾンであることに変わりはないのだから。
あのままミニバスに乗り続けていれば、たぶん中心街の広場まで行ったはずだった。僕がちゃんと運転手さんに確認しなかったのが悪かったのだ。
どうしよう、と思った。たまに目の前を路線バスが通り過ぎていくけれど、とんでもない方へ行くバスに乗ってしまいそうな気もして、よくわからないまま乗るのも不安だ。
秋の夜の空気は、涼しさを通り越して肌寒さを感じるほどだった。でも、中心街まで4kmということは、なんとか歩いて行けば1時間ほどで着く距離ということになる。
いまさらタクシーに乗るのも気が引けて、僕はその4kmの道のりを、歩いて帰ることにした。
車がヘッドライトを煌めかせて走っていく横の歩道を、ただひたすらに歩いて行く。こんな暗い時間に、町の外れの寂しい道を歩いているのは、ほとんど僕ひとりだけだった。
その4kmの道のりは、想像していたよりも、はるかに長く感じる時間だった。
ふと、自分はいったい何をしているんだろう……と情けない気持ちになってくる。
異国の暗い空の下、面白いものなんて何もない夜道を、ただひとり、黙々と歩いている。
あのとき、安易にミニバスを降りてしまったばかりに、こんな寂しいだけの時間を過ごすことになったのだ。
でも、その失敗を後悔すると同時に、ふと、こんな気持ちも湧き上がってきた。
いま自分は、確かにこうして、異国の町を旅しているのだな、と。
そして、この旅こそが、誰のものでもない、たったひとりの自分だけの旅なのだな、と。
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結局、1時間近くも歩き続けて、ようやくトラブゾンの中心街へ帰ってくることができた。
冷え切った体を暖めるように、僕は町中のレストランへ入ると、夕食をとることにした。
迷った末に注文したのは、トラブゾン名物の魚のスープと、牛肉とトマトの煮込み料理。
やがて運ばれてきたそれは、素材も味付けも素晴らしく、気持ちまで温めてくれるような美味しさだった。
満腹になり、いつものように食後の一杯のチャイを頼むと、ウェイターの若い男性が言った。
「バクラヴァもいかがですか?」
トルコの甘いバクラヴァは大好物だったけれど、さすがに今夜はもう食べられそうもない。そう伝えると、ウェイターの男性も理解したようだった。
ところが、グラスに注がれたチャイと一緒に、彼はなぜかバクラヴァも運んできた。すると、彼が言った。
「うちのバクラヴァはすごく美味しいんだ」
どうやら、そのバクラヴァは彼のサービスのようだった。
お礼を言って、自慢のバクラヴァを美味しく味わっていると、心が静かに安らいでいくのを感じた。
今夜はつまらない失敗をしてしまったけれど、もう自分を許してあげていいのかもしれない……。
その失敗こそ、何も格好つけることなく、素のままの自分として旅をした、本当の結果なのだから。
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トルコの旅から1ヶ月が過ぎたいま、あのトラブゾンの町で、ひとり黙々と歩いていた夜道の光景を、ふっと思い出すことがある。
それも、忘れたい思い出ではなく、忘れたくない、ひとつの良い思い出として。
旅はいつもそうなのだ。どんなにくだらない失敗をしてしまっても、気がつけば、それも不思議と輝くような思い出に変わっている。
たとえ思い通りにいかなくても、僕がまた旅に出たくなるのは、それを知っているからなのかもしれない。
僕にとっての旅は、素のままの自分に還らせてくれる、大切な時間なのだと思う。
もちろん、その自分は、必ずしも格好いい自分とは限らない。
ときに寂しかったり、情けなかったり、悲しかったり、悔しかったり、格好悪い自分であることも多い。
でも、着飾ることもなく、背伸びすることもなく、ただありのままの自分で生きるだけの時間は、やっぱり宝物だ。
どんな失敗をしてしまっても、そんな自分を素直に受け入れてあげることができる。
だって、それが自分なんだから仕方ないよね、と。
たぶん、無理して格好つける自分よりも、無理せず格好悪いままの自分の方が、僕にとっては心地良い。
そんな自分に還りたくて、僕はまた、知らない異国の町へと旅に出るのだ。
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![手塚 大貴](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/5868495/profile_c3e0cd35ff2040d3f23cf1974361e992.jpg?width=600&crop=1:1,smart)