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大学生日記 乱高下

 今の日本は、GWだなんだと騒いでいる。私の場合は就活などもあり、そんなに関係ないから別に気持ちの大きな高揚などは特にないのだけれど…ただ空を見れば、晴れたり、曇ったり、雨が降ったり、風が強く吹いたりを速く繰り返している最近だった気がする。

 とあるマスメディアは、GWを終えることを「現実に帰る」的な表現で垂れ流していた。編集者の意図は、そういうところにあるようだ。クソみたいな現実(は言い過ぎだと思うが)が返ってきたよ日本国民の皆様、とでも言いたいのだろうか。はてさて。

 「現実」を、辛いもの、過酷なもの、つまらないもの、観光のように風光明媚でないものと表現すること自体は別におかしなことではない。ただ私が、その表現に少しイラッと来ただけである。つらい時間、そうでない時間というのはきっとあると思う。でも、なんか違うなぁと…楽しい現実だってあるだろう。旅行から帰ってきたら、過酷な日々の繰り返ししか待ってないというのは(そこまで言ってないかもしれないが)、違うだろうて。

 けれど、「余暇」「旅行」「観光」というものは、時間をある種の二項対立に置くことを前提にしている。「労働」があるから、その「余暇」がある。今ほとんどの人が思い浮かべるような「旅行」というのは、そういった近代的な労働と余暇の二項対立を背景にしている(と学んだので)。

 だから、根底の歴史的な背景を考えれば、マスメディアの言うような文言にいちいち角を立てる必要もないか(笑)と思った。「現実に帰る」、これは編集者の意図によって生まれた表現というよりかは、観光や旅行がたくさん行われるGWという現象の、その元々の背景によって形成されたものかもしれないと思うと、ちょっと面白くさえある。なんの個性もない、ただの背景を反映したような表現だ。

 日常生活にコントラストをもたらすGWのことなど露知らず、私は大学生としての生活を淡々と歩んでいく。嫌いじゃない。

    youtubeのムダ毛処理の広告がうざい、出会い系アプリの広告がうぜぇということを少々どころか大分意識しながらも、毎日が続く。けど、こういう日常が続いていくのが、きっと幸福なんだろう。最近石川県あたりで地震が起こったりで、そこでは平穏な日常を取り戻すのに、途方もない努力がいる。当たり前を取り戻すことに、とてつもないほどの努力がなされるなら、まず今あるこの変化の少ない日常を愛していくことも、きっと大切なことだ。

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