見出し画像

年齢より若く見える人はキチガイなんだってさwww

「貴方はまだ若いよね?」

この言葉をかけられて「嬉しい派」の人もいれば「嬉しくない派」の人間もいますが、この言葉は相手を著しく傷つける言葉でもあります。


仕事が終わり、夕飯を済ませ、ほっと一息しているとき、動画サーフィンをしていると、時折発達障害関係の動画がインプレッションすることがあります。

ADHDやASDといった発達障害に該当しない人が健常者だの言われているとのことですが。。。


健常者…つまり定型発達とは、

  • 集団の中で行動が出来る

  • 他人と上手くやっていける

  • 社会慣習に従うべきとの価値観がある

  • 時代の風潮に合わせることが出来る

  • 組織という小さな集団の中で自分の地位を確立することが出来る

  • 自分は社会という集団の一人であり、建前でもって周囲と調和する

  • 曖昧な表現を多用

  • ブランド志向がある

このような性質が挙げられます。

一方、発達障害の特徴は…

  • 自分は自分と割り切っている

  • 常識外れ

  • 年甲斐もなく若いファッションに拘る

  • 0-100思考

  • 集団に適応することが苦手

  • 化粧っ気がなく中性的

  • 年齢より若く見える

  • コミュニケーションが苦手

  • 衝動的

  • 不注意で仕事のミスが多い


発達障害は脳の障害であり、薬物療法で治療可能…てな事を謳っている病院もあるわけです。


しかし、この健常者を定義した人ってどいつなん??

おみゃーは神様なのか??


最近ではブラハラという言葉があることから、血液型で判断する風潮は少なくなったものの、定型発達型のタイプは昔でいう血液型がA型の特徴で、それに反する発達障害と言われるタイプがB型気質のようにも感じとれます。

時代が変わるにつれて、A型は内向的で几帳面で暗い人…て一方、B型は楽天的で明るくて…と言われるようになり、「アタシは血液型がA型だけど、性格は明るいからB型よ!」とマウントを取っている輩もいるものです。


発達障害にしろ、定型発達にしろ、宗教間の争いのレベルじゃね?って思いますがね。


これは障害という言葉の捉え方にも個人差があるのかもしれません。


発達障害関係の動画のコメ欄を見ると「障害の診断を受けて安心している」というコメントは少なくありません。

しかしながら、少数ではあるが、「障害者として扱うのは差別と偏見じゃないの?」と反論する人もいます。

健常者…つまり定型発達と言われる人からのコメントには「発達障害の人に仕事を教えても全然通じなくてムカつく🌋」と。


子供は残酷なもので、足に障害を持っている人の歩き方を見ては、指で指して「変な歩き方~ww」と罵ります。

流石に大人になって障害者を指さして罵ることをする人はいませんが(いるかもしれませんが)、大人になれば理性が働くようになるので、態度には「あの人って変」と示しません。しかし、本心では「変」と思わない人は少ないでしょう。

ADHDやASD等、発達障害のタイプは更に細かく分類されていることを謳っている動画もあるわけです。

発達障害は注意力散漫だと言われるけど、生まれてから一度もうっかりミスをしたことがない人っているのでしょうか。。。?

何でもかんでも障害にかこつけることって気に入らない人間を差別するための口実なの?とも感じ取れることがあり、感情論と捉えてしまいがちです。

クレイジーを障害と表しているのであって、クレイジーはクレイジーなんでしょう。



ハラスメントの加害者は健常者

「私は発達障害があり、上司にパワハラを受けてうつ病に罹りました」

そんな書き込みもあるわけだけど、関わってはいけない定型発達の特徴が以下の通りです。

  • ミスをした時の理由や改善策が明らかではない

  • 自分の基準でしか話すことが出来ない

  • 指示、指導が抽象的

  • 話が回りくどくて長い

  • 頭ごなしに否定する

これが発達障害が苦手な言葉とされるもの。

しかーし!健常者って呼ばれている人も病んでね?って思うのは私だけでしょうか。

虐めに遭うのは虐められる側に責任がある

発達障害や定型発達に対する偏見があるからじゃね?と言われればそれまでだけど、そもそも他責思考そのものが稚拙かと思います。

今や、犯罪者やハラスメントの加害者をただただ裁くのではなく、相手を殺めた原因を心療的に突き詰めるようになってきています。


犯罪ほどではなくても、虐める、マウントを取る行為は、相手を攻撃するものです。

相手にマウントを取る人はコンプレックスの塊と言われるし、本当に心が健康な人間は、人を虐めることはしません…で・す・よ・ね?


2人に1人が癌に罹患する


昔はここまで癌の罹患率が高くなかったのですが、食の欧米化が進んでから、急激に伸びて、このように言われています。

食品添加物、農薬、界面活性剤、PM2.5…経皮経口問わず、今は有害物質との共存と同然の世界。

恐ろしい時代だ…と言うか、CMで惹かれて購入した商品の真実が、この情報化社会を通じて明るみに出たといった方が正しいだろう。

癌の原因を単刀直入に言うと、血液の酸性化。

ジャンクフードや超加工食品、お菓子の日常的な摂取、汚染された食品が多いのも確かです。

それ以上に罹患率を左右するのがマインド的なものです。

人生を主体的に生きるか?他責思考で生きるか?

赤信号、皆で渡れば怖くない

というように、日本人は同調圧力に弱い傾向が強いですよね?

大人になることは社会進出することであり、社会進出とは企業に所属すること。所謂、社会的要求を満たすことになります。
社会集団の一員となり、その集団のルールを順守することで、自分が守られ、社会的地位を保持する。目上の者を尊重し、例え意見が違っても本音を剥きだしにせず、報告連絡相談を密にして上司からの信頼を獲得し、常に保身に回れるように確保する。
社会集団という籠の中で体験したものが唯一正しいものであり、このルールに反する者は非常識で見解が狭く、頭がおかしい。

(総理の真似をすれば、典型的な健常者なんスよww)


現代人の多くは、義務教育やテレビ、メディアの影響を大きく受けています。

授業で習った歴史は正しい…テレビでCMを見れば、薬の効果に惹かれたり、レトルト食品を食べたくなったりと…よくあることです。


しかし、ここ数年のパンデミックな出来事により、価値観が二分化されました。

一方は社会的集団に頑なに所属し、一方は違和感を感じて真実を知るために情報収集するというように。

前者が他責思考、後者が自責思考。


もし、あなたが健常者であるなら…

  • これまでの常識と言われてきたことは順守しなければならない

  • 病気に罹れば病院に行って薬を処方してもらい、薬物療法をして症状を抑える

  • 社会集団に所属し、上司に従い、当該集団の中で自身の地位を固める

  • テレビやCM、公的機関からの情報は正しい

  • 集団に馴染むことで、建前で生きていく

この概念を曲げることはないでしょう。


でもって、この話は一見癌とは関係ないように思えます。


癌の原因は、実を言うと…自分の中にあるのです。

その心は「~しなければならない


この他責思考から自責思考に切り替わるには、まず、健常者の概念という蛹から抜け出すことになります。

とは言っても、発達障害と言われる人達が必ずしも癌に罹患しないとは限りませんが。

しかし、定型発達という自分の価値観を切り替えることは「発達障害」と言われる世間から蔑まれる存在になることであり、自らクレイジーになること。

とても勇気のいることです。


ここ数年の日本の動向を見ると、大惨事世界大戦的な死亡者数といい、輸入する食品の残留農薬量の基準値の大幅な緩和、認可されている食品添加物の数が莫大であることといい、定型発達の人生を歩むことは危険と隣り合わせになります。

勘の鋭い人はお解りのことかもしれません。

この真実に気づき、我が道を進もうとする者は障害者の部類にされてしまうわけです。

自分を捻じ曲げれば健常者としての扱いにはなるけれど、自分に嘘をつく生き方は潜在意識と顕在意識のギャップを大きくします。

癌をはじめとする病気は、メンタルの影響を大きく受けると言われますが、偽りのマインドで生きることは、身体にとってそれだけリスキーと言えるでしょう。



古き良きものと古き悪しもの


謙虚で目上の人を尊重する在り方…

日本人の大きな性質と言えます。

元来、日本には、数多くの素晴らしい文化がありました。

食や医療に関するものもその一つと言えるでしょう。

現代医学は薬物療法や手術を中心とする西洋医学が主流となり、医師の養成課程においても、治療は薬物療法や切開手術しか勉強しないと言われています。

自然治癒力に着目した東洋医学的な考えは時代遅れのものとして淘汰され、診療報酬による利益を獲得するために、手術と薬物処方でビジネス的にお金を稼いでいるのが、今の医療の現状です。

食料事情は社会事情が相まっている部分もあるでしょう。

私が子供の頃は、一家の大黒柱である夫は外から家庭を守り、妻は専業主婦として家事や育児に専念し、内から家庭を守る時代でした。

この考えを古臭いと批判する者もいますが、身体的なことを考えると、理に適っていると思います。

母親が専業主婦としての時間があるということは、食事の準備に時間をかけられるし、子育てにおいても子供にじっくりとコミュニケーションを図る時間を作ることが出来ます。

家で提供する食事は食品添加物に頼らずに作れるし、子供は親の愛情を十分に受けることで、心身共に成長することが出来ます。

時代は女性の社会進出に移行して現在に至っています。

女性も働かないと、家計を支えることが困難な世帯が多いのが現状です。

夫婦共々お金もなければ時間もない。

忙しい共稼ぎ世帯をターゲットとした商品が開発されていることは有難いけれど、安くて簡単に済ませられるとなると、食品添加物が使用された商品に頼らざるを得ない状況に追い込まれます。

日本の食生活は1975年をターニングポイントに、食の欧米化が進みました。

当時は、欧米化した食事はナウいものとし、昔ながらのおふくろの味と呼ばれる家庭料理はダサいものとして卑下されました。

この時点で、気づかぬうちに過ちを犯してしまっていたのです。

更に、一時、給食費を払わないだの騒がれていた時代もあったのですが、その当時の家庭の食糧事情は酷いものでした。

3食の食事が、お菓子とカップラーメンとファーストフード。

そのような食生活の中で子供が育てられたのです。

その子達も今は成人するような年頃にまで成長してきていますが、今の若い子にいまいち覇気が見られなく、免疫力が弱いのは、こういった背景が影響しているからでしょう。

そう…ナウいと思って起こした行為が、体質劣化に繋がったこと…


福祉の世界では「地域密着」というキーワードが着目されるようになっていますが、昭和の時代であれば地域密着は当たり前のことでした。

当時の大人達からすれば、近所づきあいが面倒な部分もあったのかもしれません。でも、子供達からすれば、夏祭りや盆踊りのイベントに参加することは楽しみの一環でした。

近所のおばさんに話しかけられて、元気をもらったこともありました。

って考えると、皮肉にも、古き良きものが失われ、古き悪しものが残されてしまった世の中だなぁと思います。


現在、企業では片仮名の横文字を並べて最新システムを謳っているところが増えていますが、「同調圧力」「長いものに巻かれろ」といった根本は全くもって変わっていません。

そのくせ、謙虚さはやや失われている感があるように思います。


相手をマウントすることは健常者の証


冒頭で「相手を若いと言うことは、相手を著しく傷つける行為である」ことを述べました。

発達障害を検索すると「発達障害、顔つき」がヒットすると言われますが、これは偏見や差別にすぎないもの。

外見で判断して「おまえアスペだろ?」と言われて不快に思った人もいたでしょう。

これは病院に行って検査をしてみないと分からないものではあるものの、脳はハラスメント等で言葉の暴力を受けると、細胞が傷つくと言われます。

見た目が若いと発達障害=基地外…

若いということは、相手を年下の人間として見下す行為でもあること。

相手が年上であろうと、見た目が若いことを理由に、先輩振舞いをするって失礼極まりない行為じゃあーりませんか??

このような輩がいう「貴方って若いよね?」という言葉の裏側にはこういった本音が秘められています。

  • ゆとり世代

  • 携帯ピコピコ世代

  • お前と一緒にするな!

  • 痛な人

  • ブス

  • ガキ

  • 化粧っ気がない

  • 色気がない

  • 自己管理が出来ない

  • 大人としての貫禄がない

  • 貧相

  • 家事が出来なそう

  • 料理が不味そう

  • 家が汚い

  • 基地外

  • 障害者

相手を尻に敷いて見下し、保身に走るって、卑怯だと思いますけどね。。。

どんだけ小っさいねん??


健常者は人として正しい在り方か?


この価値観は人それぞれだと思います。

人は何のためにこの世に生まれたのか?

幸せになるために生まれたのか?

この答えは間違っていないと思います。

それはお金持ちになって悠々自適な生活を送ることが人生の目標として考える人も多いですが、これって心の財産には繋がらないものなんです。

この世で人間として生きているということは、生まれた人間は誰もが未熟であること。それは障害あるなしにも拘らずです。

この世の人生を通して、自身の心を研鑽し、成長することが人生の醍醐味なのではないのでしょうか?

定型発達は優れていて、発達障害は劣っていて基地外だと判断することは、ちょっと短絡的ではないかと思います。

また、発達障害を受け入れる社会を作るだなんだ言っているけど、定型だろうと発達障害だろうと、考えの合わない者を排除する考えそのものが未熟であり、子供っぽいのではないのでしょうか?

人間を創造した者は何者か?

そこには人知を超えた存在、所謂サムシンググレートという存在によって、人間や植物、鉱物等が創られている…と考えると、人間は至って平等な存在であることが伺えます。

そもそも、誰が健常者で誰が障害者でという分け隔てがあること自体、未熟者の現れでもあります。

人間とは言っても、色んな性格、人種と様々な分類はあるものの、お互いが尊厳を持って接することが人間本来の在り方であり、これを実践することで、人として成長に繋げられるのではないのでしょうか。


定型発達が不気味に感じるのは?

定型発達という言葉が不気味に感じるのは私だけでしょうか?

マニュアル通りに育った人は正常であるって考えると、人間という名のロボットが機械的に量産されているようで、人に個性があることは悪のようにも感じるような??

まるで人形の如く、作り笑顔で振舞う某国のアリラン際の子供達の姿を思い浮かべてしまいます。

あれって自己不在の状態よね?

健常者=人形…これを信じてしまえば、今後、日本人はどうなるのか?



自分を異常者として認めること

これはこれで芳しくないと考えています。

HSPに関連する情報が蔓延している昨今ですが、実はアダルトチルドレンの症状だったりすることもあります。

アダルトチルドレンを克服するには、自分を変える位の覚悟が必要ですが、これをHSPとして自分を認めることにより、アダルトチルドレンの克服を阻害し、心を縛られたまま一生を終えてしまう危険性があります。

その人一人一人が持つ症状はどうであれ、自分を卑下することは、ストレスに呑み込まれ、免疫力を低下させるとともに、自身の成長を妨げる人生を歩むことになります。

自己を実現することはアホでクレイジーのやることなのか?

自己を実現するからこそ、本当の大人になれたのではないのでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?