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僕達は天才チューリングの死から何を学ぶべきか。

20世紀を代表する天才数学者アラン・チューリング。今私たちの生活に欠かせないものとなっている「コンピュータ」は、彼から始まったと言っても差し支えないかもしれません。

「機械は思考できるのか」
それが彼の生涯通してのテーマでした。

彼が社会にもたらした功績は大きく二つあります。
一つはそれまでの「情報」の概念を覆し、新しい概念を生み出したこと。
そしてもう1つは、「機械としてのコンピュータ」という発想を元に、暗号解読に挑み、世界大戦の終結に貢献したこと。

もし、彼がいなければ、現在の「コンピュータ」そのものの概念が存在していなかったかもしれません。プログラム内蔵のコンピュータを構想しその製作に取り組みます。そして、彼はその発想を人の脳や命の機能を担うことまで広げていきます。これが現在の人工知能人工生命という概念です。
また、戦争終結に関しても彼がいなければ、2年ほど長引いたと言われています。

人間性としては、シャイで1人を好み、天才肌で変わり者と言われていました。一方で、オリンピックの代表選考に選ばれるくらいマラソンが得意という活発な一面もあり、ユーモアに溢れた魅力的な人物だったと言います。
そして、ホモセクシュアルでもあり、そのことが当時の社会との軋轢を生むことになってしまいます。


そして、現在まで続く素晴らしいテクノロジーの礎を築き、また多くの命を救った彼は、41歳という若さでこの世を去っています。
稀代の天才の激動の生涯と、そんな彼を当時の社会はどう受け止めたのかについてまとめていきます。

万能チューリングマシンの提唱

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「脳と心の働きを合理的に説明できるのではないか」

幼少期にこの考えに魅了された彼は、その後成長するにつれて数学の虜となっていきます。そして、数学の基礎に関わる難解な哲学的問題を研究している中で、「万能チューリングマシン」を考えつきます。
人が数学の証明を考えるときにどのように論理を作っていくのかのモデルを作り、
脳が論理的に世界を認知していくメカニズム「チューリングマシン」という概念です。

数学についての研究を重ねていく過程で、彼は当時の大学の教授であるニューマンから、数学の「系統的手順」は全て機械がこなせると説かれ、彼は衝撃を受けてこのことに熱中します。
当時の数学界の常識は、頂点に君臨していた大数学者ヒルベルトの

「数学では我々が知ることのない、つまり数学に不可知なものはない」

というものです。つまり、系統的手順に則りその各ステップをただ正確にこなすことができれば、誰でも関係なく実行できると考えられていました。系統的手順とは掛け算の仕組みのようなものです。そこに理由や創造力などは必要ありません。実際のビジネスでも何千人という作業員がこのような系統的手順を踏んで作業を実行していました。
ちなみにこの作業員のことをコンピュータと呼んでいて、当時はコンピュータという言葉は機械ではなく人のことを指していたのです。

当時にはチューリングの他に既に、ゲーデルが不完全性定理を唱えたことが大きな話題を呼んでいました。

不完全性定理:
どのような形で演算の公式規則を規定しても、その規則からは証明できない真理 2+2=4のような簡単な真理のより複雑な仲間 があると説明されます。
つまり数学には真ではあるが、証明できないことがある。

そして一方のチューリングは、研究を重ねて、万能コンピュータの概念を生み出します。
「計算可能な数について」という論文の草稿で万能マシンの案を打ち出します。
それは、無限の紙テープと書いたり消したりできるポインターを用いることで、当時の人間の計算係が実行できるどんな手続きも実行できました。当時でいう人間コンピュータを高度に抽象化したものです。
そして、このことが、数学にはテープで永遠に計算を続けても、解けない問題があることを証明することにも繋がりました。
ゲーデルがヒルベルトの「数学で証明できないものはない」という考えを崩し、チューリングが万能マシンでも解けない問題があることをより広範に特定したのです。彼らが当時の主流であるヒルベルトの意見を崩したのです。

ただ、チューリングにとってはあくまで、この万能マシンの概念を実現できるかどうかが大切な問題で、そのためのテクノロジーを追い求めていきます。その同時期頃から暗号解読の仕事に携わることとなります。
その仕事をしながら、学んだのは、この万能マシンの秘訣が電子工学にあるということでした。
「電子バルブ」や「真空管」と呼ばれるものは可動部分が電子のビームのみなので、スピードが他のテクノロジーと桁違いでした。驚異的なスピードで動く電子式の万能コンピューティングマシンを目指すことになります。


イギリス・ブレッチリーパーク「暗号解読」の戦い

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第二次世界大戦時のドイツ軍の通信手段は無線でした。
そしてあらゆる情報を当時の最先端テクノロジーであるエニグマを用いて暗号化していたのです。
その変換の総当たりは天文学的数字とも言われています。ドイツはそれをあらゆる拠点に導入して様々な場面で活用していました。そのため各国はかなりの苦戦を強いられました。
しかし、その暗号化された情報を解読できれば、逆に戦況を大きく優位に進めることができました。
それができるかどうかが大きく結果を左右していたのです。

そんな中、ブレッチリー・パークで暗号解読の仕事に従事することになったチューリングは、まず、ドイツ海軍のエニグマに挑みます。当時、大西洋でのUボートという潜水艦に、北米からイギリスに向かう大量の食料や弾薬を積んだ護送船団の多くが沈められてしまっている状況は深刻でした。暗号化されたUボートの位置を知ることができれば、それを避ける航海ルートを見出すことが出来ました。
特に不可能だと考えられていましたが、誰も挑んでいないのなら自分が挑みたいと、チューリングはこれに挑むことになります。
そして、エニグマという高性能な機械に対して、同じく機械を立ち向かわせようとしました。それが「ボンブ」という試作機械です。それを用いて、ブレッチリー・パーク一丸となって暗号解読に挑みました。Uボート以外の対策にも使われていくのです。


戦争のカギを握っていたのは、暗号を解読できるかどうかでした。エニグマが有名で、映画でも中心に描かれていますが、その後もドイツ軍は更に高度な(ローターの数が大幅に増えている)暗号機「タニー」などを用いています。その度に各国は挑んでいます。
それを解読したのがビル・タットであり、世界初のコンピュータ「コロッサス」を作ったのはトミー・フラワーズという人です。様々な人の多大なる功績がありました。
しかし、そのアルゴリズムの中心にあったのは、チューリングが生み出していた「チューリング式」という技法です。

「デルタ=イング」:
「横向きの」加算を行う方法。例えばABCDという文字列がある場合、AとB、BとC、CとDを足す。そのことで他ではわからない情報が分かるというもの。

また、証拠の断片を重み付けしながら評価する「バンブリスマス」という技法も大きく寄与しています。その意味でやはり、彼がいたことで戦争終結は早まったと言えます。

これだけの功績を残した数々の機械の多くは、機密保持を理由に破壊されてしまいます。もし戦争のために利用した機械を他にも活かせると国が判断できていれば、コンピュータの歴史はまた違ったものになっていたかもしれません。

ここでの大切なポイントは、彼らでしか成し遂げられなかったということ。その優れた能力はもちろんですが、その絶対的な自信によるところも大きいと思います。当時のイギリスに蔓延していたのは「敗北主義」です。どうせ解けるはずがない。そういった考えが蔓延する中で彼らは絶対的に自分を信じていたのです


人と知性と機械

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戦争中に電子式計算のポテンシャルに気づいた彼らは、秘密保持法を守りつつ、研究を重ねていきます。
彼らが目指していたのは、全電子式のチューリングマシンです。
同時期のアメリカの電子式コンピュータENIACなどとの違いは、蓄積プログラム方式だったということです。適切にデザインをすれば命令を忠実に実行することができるものでした。
チューリングにとってのコンピュータデザインの哲学は極力ハードウェアを少なくして、それをプログラム(ソフトウェア)で補うことです。現在のRISCの先取りと言えます。

また、「機械の頭脳」という観点でもチューリングは時代の先を行っていました。コンピュータをプログラムして、脳のように振る舞わせることを真剣に目指していたのです。

そんな中、彼は私的な生活で危機を迎えます。公的な場でホモセクシュアルであることが明らかになってしまうのです。イギリスでは、1967年までホモセクシュアルは犯罪でした。そして2つの選択肢を迫られます。刑務所に収監されるか、「治療」を受けるかというものです。刑務所に入れば、仕事を失うことになり、彼の夢は道半ばで終わってしまうことから、治療を選択します。その治療とは、1年間、女性ホルモンを大量に投与するというものでした。戦争終結に大きく貢献した愛国者的性格のあった彼はいつの間にか、当時のセキュリティ上問題のある人物になってしまったのです。

その治療を乗り越えた後、生命に対しての研究を進めます。彼の理論は遺伝的物質がどのような科学的過程を経て、独創的なニューロンの形を形成するのかという観点に関するものでした。その理論を「反応=拡散」と呼んでいます。

反応する化学物質が複雑な波面を作りながら拡散して、胚を成長させてその成長を形成する。成長のシミュレーションは科学物質の流れが最も密な状態から始まる。

彼がコンピュータを用いて生き物を研究したことは現在では「人工生命」と呼ばれる分野です。人工知能と人工生命の結びつきも提唱しました。仮想的なニューロンのネットワークを作って訓練することを提案していたのです。これは現在でもシミュレーションとして多くの分野で活用されています。

ただチューリングは、コンピュータと脳にはまだ違いがあると考えていました。それが彼のいう「主導権(イニシアチブ)」です。この計算可能性を超えた何かについて詳しい言及はしてはいません。
この分野について、ロボットやコンピュータが「考えられる」かどうかを判断するテストとして提案していたのが「イミテーション・ゲーム」、チューリング・テストです。

このテストでもそうですが、知性で行なっていることは機械的である部分もありますが、問題はその知性が全くの機械的だと言えるかどうかです。チューリングにとって、知性があるマシンに対応するのであれば、それが変容した後は、別のどんなマシンに対応するのかという知性の変容の部分に興味を示していました。そこに学習と発見が関係していると考えていて、その過程の具体的な部分に、果たして計算不能な何かがあるのかどうかを追い求めていました。

その矢先、彼は42歳になる前に亡くなってしまいます。


チューリングに対する社会のふるまいから目を背けてはいけない

彼は常に時代の先をいっていました。そして、私たちの世界を一変させました。


近年、少しずつチューリングの見ていた世界が見えてきたのかもしれません。だからこそ今一度彼が何を目指していたのか、そしてそんな彼に世界はどう接したのかを考えていくべきです。

もし彼が天寿を全うしていたら、彼の個性を受け入れることができる社会を作ることができていたら、そんなことを考えてしまいます。

実際、彼の死については今なおはっきりとした原因は分かっていません。

しかし、当時の社会が彼に与えた仕打ちが許されるわけではありません。それは事実です。
今になって、コンピュータの父、悲劇のヒーローと彼を褒め称えるだけではなく、これから僕たちはどんな社会を作っていけるかを考えていくべきです。
多様性の欠けた価値観が漂う社会で今も誰かを傷つけてしまっているのだとしたら、僕たちは改めなきゃいけません。

個人的には、そんな多様性の欠けた社会は嫌です。
だからこそ僕たちはより良い社会を作るために過去から学び続けていきたいです。

だからこそどんなに時間がかかろうとも僕は彼の考えた数式もきちんと理解すべきだと考えています。平易な言葉でだけで理解した気にならず、これからも向き合っていきたいと思わせてくれました。そんな魅力に溢れた人物です。


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