承徳観光あれこれ 避暑山荘 普陀宗乗 磬錘峰 須彌寺之廟
河北省の承徳に学校のツアーで旅行に行ってきました。
清朝皇帝の避暑地だったそうですが、冬に行きました。現地は零下6度とかなってて寒かった。
見学したのは、避暑山荘皇帝の避暑地で夏の政務場所でもある。中国と諸民族の建築が立ち並び、庭園には国内の名所を模したものがいくつもある。外周10キロの広大な庭園である。
避暑山荘の建て始めは清王朝の康煕皇帝 42 年(1703 年)から、乾隆皇帝 57 年 (1792 年)まで、89 年間をかけ、建て続けられました。 その後の2百年間で、この地は北京の紫禁城についで、清時代の第二の政治 の中心地と見なされました。敷地面積は 564 ヘクタールです。中には、厳かな 宮殿区、湖景色、谷間交錯の山地、生い茂った草原が配置され、中国国内で残 された最も完璧で、規模の一番大きい皇室庭園といわれています。1994 年、避 暑山荘及びその周辺の寺院はユネスコによって世界文化財リストに収められて います。
と公式が言っている。
そして次の日には須彌寺之廟と普陀宗乗之廟に行きました。
まずは、普陀宗乗
この廟宇は、1767 年に建て始め、1770 年に完成しました。敷 地面積は 22 万平方メートルで、外八廟の中でも一番大きいお寺です。こちらは 重要な宗教式典や、臣下との会見を行ったところです。「普陀宗乗」はチベット 語で「ポタラ」の意を示し、チベット、ラサのポタラ宮を真似て建立したもの です。この小ポタラ宮は五世ダライラマの一時住まいとして、1770 年に乾隆皇 帝の 60 歳の誕生日を祝い、加えて、翌年の乾隆帝の母 80 歳の誕生日祝いに、 内外モンゴル、青海、新疆からの少数民族首領の祝賀招待のために、建立した ので「小ポタラ宮」とも呼ばれているのです。
らしい。
須彌寺之廟、ここはパンチェンラマが乾隆帝の祝いに来た時に宿舎として建てられた寺である。
須弥福寿之廟はパンチェン・ラマが住むタルシンポ寺を模して造られたお寺である。須弥福寿之廟は全国重点文物保護単位。承徳避暑山庄の北にある獅子溝の麓にあり、お寺の中の石碑に記録したことによって清乾隆四十五年(1780年),弘歴七十歳の誕生日の時にチベット政治、宗教の首領の六世班禅額尓徳尼は避暑山庄へお祝いに来て、乾隆帝は非常に大切し、ここに班禅の住んでいるシガツェ(日喀则〕のタシルンボ(札什伦布)寺を真似て、須弥福寿之廟を建てた。
らしい。
こんな感じで世界遺産を大変楽しめましたとさ。おわり。