第5話 『デスデスとピッツェリア』
① 登校初日の大誤算
今日はいよいよイタリア語学校の登校初日。
ここイタリアで不自由なく日常生活をおくるためにも、あわよくば就職先を見つけるためにもイタリア語の習得は不可欠ですので当面の間は語学の勉強に全力を注ぐつもりです。
勉強は苦手ですが自分の夢を実現するためとあらば否が応にも気合がみなぎります。
余裕をもって早めに出発し、指定時間の少し前くらいには昨日確認していた門扉の前へ到着しました。
予測通り門扉が開放されていたので悠々と中へ入って行くと、そこは単なる駐車用のガレージスペースで学校などではありませんでした。
おお、何やらかわいい車を発見♪…などと、のんきに写真なんて撮っている場合ではありません。
目的地の学校は絶対ここにあると思っていたのに、まさかの大誤算です。
大慌てで地図を再確認し、改めて探し歩くものの、昨日2時間も探して見つからなかった建物が急に出現するはずもなく、あたふたしているうちに30分が経過してしまいました。
登校初日からいきなり遅刻です。これはシャレになりません。
もはや自力での発見は不可能と判断し、少し離れた場所にあった公衆電話から学校へ直接電話をかけてみることにしました。
電話に出た女性に『学校はどこですか?』と電子辞書で調べたイタリア語をそのまま伝えてみるも案の定、相手が返してくる言葉が全く理解できません。
困り果てていると突然、電話の相手が変わり「モシモシ?」と男性の声。
『おお!!日本語!』
どうやら電話に出てくれた男性は少しだけ日本語が分かるらしく、たどたどしい怪しげな日本語ながら、どうにか学校の場所を教えてくれました。まぁ、日本語が怪しいのはお互いさまなので特に気にしません。
彼の説明によると驚いたことに、なんと学校はその公衆電話の目の前でした。
レンガ壁に落書きだらけの古びた木製の扉があり、近づいてみるとその住居人プレートの中の1枚に直径5ミリ程度の小さな文字で学校名が刻まれているではありませんか。
『こんなもん、分かるかい!』
関西人代表として突っ込まずにはいられませんでした。
男性に説明された通り、建物内に入って大きな階段を登ると2階の奥に僕らが1年間通うことになっているイタリア語学校『クルトゥーラ・イタリアーナ ボローニャ校』の看板がありました。
ここへ通っている他の生徒さんたちは本当に自力でここまで辿り着けたのでしょうか。だとしたら、なんてすごいヤツらなんだと敗北感しかありません。
中へ入り、呼び鈴を押すとおそらく電話対応をしてくれていたらしき事務員の女性が出てきて広い待ち部屋へと案内してくれました。学校というよりは中規模の学習塾や英会話教室といった雰囲気です。
通された待ち部屋にはジュースやクッキーが置かれてありましたが、かなり遅刻してきた手前、誰もいない部屋で勝手に手を出す勇気はありませんでした。
ちなみにファンタオレンジが置いてありますが、これはイタリアのナポリで開発された炭酸オレンジジュースが元祖で、ファンタという名称はドイツの会社が付けた商品名だそうです(※今はアメリカのコカ・コーラ社のものです)。てっきり日本生まれの商品だと思い込んでいました。
隣の部屋では同じ日に入学するらしき外国人が数人ほど英語で説明を受けているようでしたが、僕らは遅れて来たので別の部屋で最初から説明を受けました。
もちろん何を説明されているのかほとんど分かりませんでしたが、どうやら現時点でイタリア語がどのくらい分かるのかという口頭テストも兼ねられていたようです。
夫婦そろって問答無用のスーパー初心者クラスに割り振られたことは言うまでもありません。
学生証を受け取り、この後すぐに初日の授業が始まるということだけは伝わりました。
クラスメートは僕と妻の他にニュージーランドから来たスチュアートという男性の3人だけでした。
イタリア語でイタリア語を習うなんて無理難題だと心配していましたが先生のカーティアはとても感じのいい女性で授業は重い緊張感もなく楽しく進んでいきました。
イタリア語が全く分からないことを前提としてジャスチャーやイラストなどを多用しながら丁寧に授業を進めてくれるのでアホな僕たちにも分かりやすくて助かります。
教えてもらったイタリア語で自己紹介をしていると僕が最年長で妻が最年少であることが判明しました。
僕 → スチュアート → カーティア先生 → 妻
先生は最初から若そうに見えたのでともかくとして、スチュアートの髪型がなかなか、その…なんといいますか、いい具合にブルース・ウィリス(!?)だったので、てっきり僕よりも年上だと思っていたのですが実際には僕の弟と同い年でした。
でも、外人さんってハゲでも(…あ、言っちゃった!)男前に見えるから別にいいですよね…と、謎のフォローが通ります。
僕らと同じクラスということは、このスチュアートのイタリア語レベルも相当低いということなのでしょうが彼は英語を話せる分、僕らより何倍も有利です。
なぜなら分からないところを英語で質問し、先生も英語で補足説明したりして何の問題もなくコミュニケーションが取れているからです。
僕らは英語が全くできませんし、先生もさすがに日本語は分からないので不明点の質問すらできません。その日に習ったことは帰宅してから日本語の参考書などで復習していくことにしました。
そうこうしているうちに初日の授業はあっという間に終了。
授業後、事務員の人から今夜『先生たちとピッツェリアへ行こう!』という自由参加イベントがあるという告知が回ってきたので人付き合いは最初が肝心だし…と参加することにしました。
どうせ僕らは今日習ったばかりの自己紹介くらいしかできませんし、他の人の会話内容も感覚でしか分かりませんが、なんせ同行者は他ならぬ語学校の先生方です。
いわばイタリア語の素人を扱うプロなわけできっと上手に先導してくれることでしょう。それに本場イタリアのピッツェリアなんて自分たちだけではまだ行きづらかったので現地人の同行者がいてくれれば安心です。
貧乏生活なので決して贅沢はできませんが少なくとも今日は予算をケチるべき日ではないと判断しました。
② マッジョーレ広場の散策
『先生たちとピッツェリアへ行こう!』企画の参加希望者は19時20分に学校近くのマッジョーレ広場内にある有名な『ネプチューンの噴水』前へ集合とのことでしたので、今度こそ遅刻しないよう場所だけはしっかり事前確認してから帰宅することにしました。
マッジョーレ広場とはボローニャの中心地にある大きな広場でガイドブックによると周囲はサンペトロニオ聖堂(すごく大きな教会)、中世に建てられた市庁舎(市役所みたいなもの)、ポデスタ宮殿(?)、エンツォ王宮殿(?)などボローニャの歴史的建造物によって取り囲まれています。
その片隅にあり広場のシンボルとして、ひときわ存在感を放っていたのが今夜の待ち合わせ場所でもある『ネプチューンの噴水』でした。
多分、渋谷のハチ公くらい分かりやすかったです(大阪出身なので知らんけど)。
噴水の水もキラキラと透き通っていてきれいです。
彫刻を見上げながら『…こんな筋肉の感じとか全部、石を彫って作ってるなんてすごいよなぁ!こういうの見ると芸術の国イタリアやな~って思うわ!』と感想を述べると妻も率直な感想を一言。
『おっさん、ええケツしとんなぁ!』
僕は思わず『…お、おぅ。』となりました。
③ デスデスとピッツェリア
集合時刻。
周囲も結構暗くなって幻想的にライトアップされていた噴水の前に小さな人だかりがあったのでおそるおそる合流してみました。
本日のイベント参加者総勢11名が集うと先生の一人が持参したスパークリングワインがその場で開けられ、配布された紙コップで乾杯をしました。
そのメンバーの中にナオコという日本人女性がいました。
僕らよりも1週間ほど早く到着したらしく、同じAbbicciの留学サイトを経由して来たとのことです。
親切に対応してもらった留学サイトの管理人さんの話などで盛り上がり、妻と年齢が近かったこともあって、すぐに打ち解けることができました。
そんな彼女の口ぐせは『デスデス~!』。
どうやら『そうです、そうです』を略した言葉のようですが会話していると、とにかく頻繁に『デスデス~!』を連呼するのです。
僕『イタリア語って難しいよな~』
ナオコ『デスデスぅ…。』(そうですよねぇ…的ニュアンス)
僕『…まぁでも、そのうち慣れるかもね!』
ナオコ『デスデス~!』(きっと、そうですよ!的ニュアンス)
僕『早く自由に話せるようになりたいわ!』
ナオコ『デスデス。』(私もです。的ニュアンス)
…なんだろう、このアニメキャラと話しているような感覚は!
それから僕と妻の間で1年くらい『デスデス~!』が流行っていたことを彼女は知りません。
僕『じぶん、めっちゃデスデスって言うよなぁ~!』
ナオコ『デスデス~!』
なんて笑いながらみんなでゾロゾロと15分くらい歩き、先生のイチオシだというピッツェリアまで移動しました。
今朝、怪しい日本語で学校の場所を案内してくれた男の先生が僕の隣に座っていたので感動的に美味しいピッツァ・マルゲリータを食べながら、いくつかの心配事などを日本語で尋ねておきました。
突然、ナオコがデスデスではなく『どこかで携帯電話を落としてしまったみたい…!』と言い出しました。
先生たちは『あ~、それは仕方ないねぇ…残念!』といった感じの反応を一通りすると、再び何事もなかったように食事と会話を楽しみ始めました。
初めてのピッツェリアでの食事会はまだ始まったばかりでしたが、明らかに動揺して半泣きになっている彼女を僕らは放っておけず、日本語の分かる先生に『すみませんが先に帰ります』と告げて参加費を渡し、3人で早々に店を出ました。
『ナオコ、すぐに探しに行こう!今ならまだその辺に落ちてるかもよ!』
最後に確実に携帯電話をさわった記憶のある場所から彼女が通ったという道すじをキョロキョロしながら1~2時間ほど探し歩きましたが結局、携帯電話は見つかりませんでした。
落ち込むナオコを家まで送った後の帰り道。
妻に『これが日本だったら、きっと困ってる1人の仲間のためにみんなで店を出て探してあげると思うんやけどなー?』と話しながら、日本人として他人を思いやる気持ちだけはどこの国に染まっても忘れたくないもんだなぁ…なんてことを考えていました。
僕『ナオコの携帯、残念やったな』
妻『デスデスぅ…』
僕『お前なぁwww』
妻は常にマイペースです。
《つづく》
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