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第1話 『イタリア移住計画。』


先日、自宅PC内のデータを整理していたら、もうとっくに消し去ったと思い込んでいた『イタリア移住計画。』という名の古い圧縮ファイルが出てきました。

この『イタリア移住計画。』とは僕が2005年の秋頃から書き始め、イタリアで暮らしていた約1年3ヶ月の間も日々の出来事を現地からコツコツと発信し続けていたブログです。

最初は単なる日記のようなつもりで始めたブログでしたが、不思議なことにいつの間にか読者が爆発的に増え、2005年の夏頃には利用していた大手ブログサイトのアクセスランキングで全国2位を記録したこともありました。

多くの人に好評だったため帰国後もしばらくは放置していましたが、やがてコメント欄が業者の広告などで荒れはじめ、管理が面倒になってきたせいで閉鎖したように記憶しています。

毎回1枚の写真と400字程度の短い文章でイタリア生活の中で発見したことや日常のとまどいを綴っただけの薄っぺらい内容でしたが、改めて記事を読み返してみると忘れかけていた当時の心境が鮮明によみがえり、記事の前後にあった出来事や本当は書きたかったけれど字数の関係で断念したことなどを色々と思い出してきました。

今頃になって僕がこの『イタリア移住計画。』と再会したのも何かの縁でしょうし、現在でも当時と変わらずイタリアでの暮らしがどのようなものなのか興味をお持ちの方も少なからずおられるかもしれません。

そこで大量に残っている当時の写真思い出した記憶をもとに記事内容に補填なども加えながら、この note の片隅に再UPしていくことにしました。

これからイタリアへの語学留学や料理修行、移住などを考えておられる方にとっては参考になる内容も多く含まれていることと思いますし、現地へ行くつもりがない人にとってもイタリアでの移住生活を疑似体験できるドキュメンタリー的な読み物としてコーヒー片手にでもお楽しみいただければと思います。

① 僕がイタリアを目指した理由

本格的な現地生活の記事は次回の第2話からお届けしていくとしまして、今回は僕がなぜイタリアへ移住することになったのか、その理由について触れておきたいと思います。


[僕の人生を変えた大阪のおっちゃん]
僕がイタリア料理の世界に飛び込んで8年目

あと3年ほど働けば開業資金も目標額に到達し、小さなお店で独立できそうだと、それだけをに日々の仕事をひたすら消化していた時期のことでした。

当時勤務していた大阪のイタリア料理店常連だったおっちゃんから、ある日こんなことを言われたのです。

「兄ちゃんの作るパスタ、いつもウマいわぁ!やっぱ、イタリアにも行ってたことあんの?…え!?イタリア料理やってるのに行ったことないんや?そらあかんでぇ、俺でも行ったことあんのに。一回、本場のパスタ食べてきてみ?ウマすぎて腰ぬかすでぇ!」

その時、僕は愛想笑いを浮かべながらも心の中では巨大なハンマーでぶん殴られたような衝撃を受けていました。

・ イタリア料理の店を開業しようとまで考えているくせに実際のイタリア料理を一度も食べたことがないという矛盾。
→ 日本に一度も来たことのないインド人がインド国内で本やネットで得た知識だけを頼りに店を作り、『コレガ和食デス!』と言い切っているのと同じレベルの強烈な違和感。

・ 自らがこれまで自信満々に作ってきたパスタや料理が本場と違うというのであれば何がどのように違うのか具体的に知りたい。
→ 国内のトップシェフたちの店も食べ歩いてきた上で絶対的な自信を持っているペペロンチーノやカルボナーラですら本場では何かが違うのだろうか…という純粋な好奇心と探究心。

・ 単なるパスタ好きのおっちゃんですら行ったことのあるイタリアに、その道のプロを自称する自分が行ったことがないという劣等感や恥ずかしさ。
→ おっちゃんのドヤ顔に完全なる敗北感。

そして僕はその日のうちにそれまで貯めていた開業資金を全て費やしてでもイタリアへ行こうと固く決心していました。

大阪のおっちゃんの何気ない一言が僕という人間の人生を大きく変えるキッカケとなったのです。

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② イタリア永住への憧れ

どうせ行くならイタリアのレストランで料理修行もしてみたい。そのためにはまず言葉を覚えなければいけないので旅行のような短期訪問ではなく、語学留学をスタートに長期滞在しようなどと考えつつ、イタリア留学イタリアという国についての情報をかき集める日々が始まりました。

日本以外の国についてここまで興味を持ったのは初めてでしたが調べていくうちに僕はいつの間にかイタリアという国や街の雰囲気イタリア人の生き方や考え方食文化の魅力などに取り憑かれ、もういっそのこと現地に移住して現地で働きながら、もうこの先の余生をずっとイタリアで過ごしたいと考えるようになっていきました。

つまり僕の場合、キッカケこそイタリア料理の勉強が目的でしたが、途中からはもはや日本に帰ってくるつもりはなく、完全な現地での永住が目的となっていったのです。

計画としては語学留学のビザが有効な1年の期間中になんとか就職先を見つけて就労ビザを獲得労働滞在許可証をもらって現地でちゃんと税金なども納めながら6年以上暮らし、やがては永住権や国籍を取得しようという目論見でした。

僕はこの人生の一大プロジェクトを『イタリア移住計画。』と名付け、それがのちに開設した現地生活ブログのタイトルにもなりました。

最後にわざわざ『』を付けたのは、この計画は自分の人生の最後の日まで続くという意味での『決意のピリオド』を表したものでした。

イタリアへの憧れは日を追うごとに強くなり、出発直前には住民票さえもイタリア共和国へ移す手続きを済ませました。これにより僕は日本国内における自分の住所を正式に消失してしまったわけです。

国民年金住民税などの支払いも、この日を最後に全て止まりました

もう日本へ帰ってくるつもりがなかった当時の自分の強い意思と覚悟が伝わってきます。

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③ 計画の実行

僕はその後も計画に沿って黙々と準備を進めました。

仕事を辞め、生まれて初めてのパスポートを作成し、長期旅行用の大型スーツケース変圧器イタリア語対応の電子辞書など現地で必要になりそうなものをリストアップして揃えていきます。

イタリアでは歯医者は整形外科扱いとなり保険が効かないと聞いていたので日本にいる間に近所の歯医者へ通い、悪くなりそうな気配がある箇所は全て治療してもらっておきました

並行してイタリアへの留学日本語で無料サポートしてくれる神サイトAbbicci』を利用し、イタリアの中でも美食の都と呼ばれ、特に料理が美味しいことで有名な『ボローニャ』という都市にある学校1年間の語学留学を申し込みました(※Abbicciの管理人であり、長年アレッツォに在住されている由美子さんにはイタリアへ渡ってからも感謝しきれないほどお世話になりました。とても信頼できる方ですので安心して留学サポートをご依頼ください)。

公の場でこんなことを書くと領事館の人に叱られそうですが当時の僕の目的は語学留学ではなく、あくまで現地のレストランで調理の仕事を見つけて完全移住を実現することでした。

しかし、現地で最低限の語学を習得し、就活するための1年間という長期間を合法的に滞在するためには就学ビザを取得するのがもっとも手っ取り早かったのです。

語学校へ1年分の授業料を前払いすると語学校の校長から入学許可証が届きます。それと現地での1年分の生活費を持っているということを証明する預金通帳など必要な資料一式を揃えて在大阪イタリア総領事館(または在東京イタリア大使館)へ持参。ビザ発行の申し込みをします。


[戦慄の在大阪イタリア領事館]
領事館でのビザ申請は想像以上に厳しいものでした。今は知りませんが当時の大阪領事館の窓口対応口調もキツく、態度も冷たくて怖いネット掲示板では有名だったのです。

初回の申請では朝から2時間待ったにも関わらず、銀行の預金が十分でないといわれて30秒で突き返されて撃沈しました。

個人的には充分な額だと思っていたので『これで無理なら、いくらあればいいのですか?』と尋ねたら『あなたの生活費がいくら必要かなんて、こちらに分かるはずがないでしょう?』と冷たく言い放たれました。

そこで『分からないなら僕は現地で贅沢するつもりはないので、この予算の範囲内で足りるように生活していこうと考えているのですが…?』と喰いさがると『邪魔だからどいて。はい、次の人!』と強制終了

2回目親に頼んでお金を送金してもらい、また早朝から並んで朝一番で再申請しました。今度は通帳に急にお金が増えている理由を詰められたので『親からの支援です』と正直に応えると『では滞在期間中の経済支援を保証するという親の押印つき宣誓書を作って提出しなさい』さらに『支援できるだけの経済的な余裕があるという親の資産を証明する資料も用意しなさい』と言われ約1分で撃沈

本当にそこまで必要なの…?といった感じで気が遠くなりました。

それらの書類を全てそろえて挑んだ3回目でも、親の口座履歴を見てお金が振り込まれている理由など細かい部分を突っ込んでくるので『祖父からの遺産相続ですよ!次はじいちゃんの死亡証明書でも持参してくれば良いんですか!?』と半ばやけくそになって応じると、すごく不服そうながら、なんとか受理してもらうことができました

ビザを申請できる場所は日本国内では東京と大阪の2ヶ所しかありません。

僕は大阪在住だったのでまだマシな方でしたが、他県から新幹線や飛行機などに乗ってはるばる申請に来られている人は書類を突き返されたときのショックたるや計り知れないことと思います。

現場では僕と同じように秒殺で申請書類を突き返されて呆然と立ち尽くしている人も毎回たくさん見かけました

不法滞在者や怪しい目的をもったヤツ(僕のようなw)の入国をくい止めるためにも、おそらく長期滞在希望者には入国審査側も慎重になっているのだと思います。短期滞在希望者に対してはここまで厳しくはないのかもしれません。ちなみにビザは3ヶ月以上の滞在をする場合に必要となります。

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④ いざ出発!

航空機の切符は片道だけを購入するよりも格安ツアーの往復券を購入し、現地に到着後、復路のチケットを廃棄したほうが結果として安くなる場合があります。イタリアから日本まで飛べる航空チケットを捨てるなんて少しもったいない気もしますが最終的な金額が安いならば、そうした方が懸命です。

復路の席も規定時間までに空港へのチェックインがなければキャンセル扱いとなって他の人が利用できます。

既に利用料金が支払われている席に当日利用した人も重ねて料金を支払うことになりますので航空会社側にとっても得をすることはあれど損をしたり、迷惑がかかることはありません。キャンセル待ちをしていた人にとっても当日のフライトが確保できて助かるため、すべての関係者がWin-Winというわけです。

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自宅まで迎えに来てくれた友人の車に乗り込んで早朝の関西空港へ。

手荷物はスーツケース1台小さなリュックが1つのみです。

それなりに大きめのスーツケースを購入しましたが当然ながら1年分の生活用品や衣服を詰め込むのは物理的に不可能です。またスーツケース以外のカバンをいくつも所持したり、持ち運びに苦労するほど荷物が重いようでは移動先で小回りが効きません

イタリアも日本同様、普通に人々が生活している先進国なのだから生活に必要な物資は現地で何でも入手できるはず。僕はそう割り切って日本からの手荷物を限界まで減らし、可能な限り身軽な状態で旅立つことにしました。

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ただ現地に着いた後、日本の銀行口座からイタリアのお金(ユーロ)を両替出金できるようになるまで、どのくらい期間が必要になるか分からなかったため、現金だけは多め(20万円分ほど)に空港内の外貨両替所で両替しておきました。

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少し遅れて到着した両親と見送ってくれた友人に手を振りながら『次に日本に戻ってくるのは何年先だろう。場合によっては両親や友人にはもう二度と会うことがないかもしれない…。』なんてことを考えていました。

やっと憧れのイタリアへ渡る当日を迎えられたという高揚感と、これから始まる新生活への期待や不安。生まれ育った祖国を後にする寂しさ

複雑な思いが交錯する中、僕の突拍子もない人生計画に巻き込まれた妻と2人でエールフランス291便の搭乗ゲートへと真っ直ぐに歩いていきました。

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《つづく》

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