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第10話 『あの丘の上の大聖堂へ』


① ヒゲなしマリオとパニーニ

イタリアへ来てからというもの基本的に食事はパスタづくしの毎日です。

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僕はイタリアンのコックという職業柄、日々の仕事場でのまかない99%パスタ、また自宅の夕食でも月に数回はパスタ休みの日も勉強のために外食でパスタ…とイタリアに来る前から年間300食以上はパスタを食べながら生活してきていたので慣れっこなのですがは『もうええ加減、パスタ飽きてきたわ…』とごきげんナナメです。

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渡伊前には『パスタ大好きやから無限に食べられる!』と豪語していた妻ですが、まだイタリアへ来て1ヶ月も経っていないのに、すでに主食に飽きてしまったようで先が思いやられます。

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一応、名誉のために言っておきますと毎日、昼も夜もパスタを作っているのは僕ですが、一度たりとも全く同じメニューを出したことはありません

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味付けやソースや具材やパスタの種類などを使い分け、副菜のおかずやサラダなども色々と変えながらなるべく飽きがこないよう、それなりに創意工夫してきたつもりなのです。

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ただ、かくいう僕も日本にいた頃は昼食がパスタでも、夕食がパスタの気分でなければ自由に他の食事を選択できたからこそ、特にストレスを感じることがなかっただけともいえます。

イタリアでは日本で日常的に食べていたカレーや牛丼、ラーメンや焼きそば、おでん、焼肉、うどん、寿司、ファミレスなどの多彩な飲食店は見当たらないばかりか、それらを自宅で作るための食材や調味料さえも極めて入手困難であるため、食のバリエーションが極端に縮小してしまったのです。

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カップヌードル、明太子やツナマヨのおにぎり、コンビニ弁当など、ありふれまくっていたジャンクフードですらたまらなく恋しくなり、つくづく日本って食の選択肢に恵まれている国だったんだなぁ…と痛感させられます。

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そこで妻と相談し、週に一回は『パスタ食べないデー』を実施することに。対象日は朝から晩まで絶対にパスタ以外のものを食べると約束しました。

今日はその記念すべき初日です。

ランチに妻が目を付けたのは、いつも通学路の途中にあって気になっていた一軒の小さなバールでした。

ガラス張りの扉の奥にサンドイッチのようなものが列んだショーケースがチラチラと見え隠れしており、妻が前を通るたびに『なんか美味しそうやなぁ…』とつぶやいていたやや地味な雰囲気のお店です。

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語学校で買い物をするときのイタリア語は習ったのですが、いざとなると何も言葉が思い浮かばないし、こういった小さな店は店員と一対一になって会話するしかなくなるため、まだイタリア語初心者の僕としては入るのに抵抗があるのです。

やっぱり、また今度にしよっかぁ…?』と口にしかけた時、すでに妻は店の扉を勢いよく開けていました

たのもぉー!!』(…お前は道場やぶりか!)

店内には外から見えていたショーケースがあり(当たり前)、美味しそうな惣菜パンがたくさん列んでいました。俗にパニーニと呼ばれているイタリア版サンドイッチです。

店舗オーナーらしきヒゲのないマリオみたいなオヤジが『年齢不詳の子供っぽいアジア人が入ってきやがったな…!』とでも言いたげな目でジロリとこちらを睨みつけてきました。『こいつらイタリア語は話せるのか?』と僕らの出方を伺っている感じでもあります。

店内に入ってしまった以上、僕もいつまでも情けなくモジモジしているわけにはいきません。ここは男らしく、カッコよくスマートに決めたいところです。

まずは笑顔で『ボンジョールノ!』と言ってみると相手もボソッと『ボンジョールノ…』と限りなくローテンションながら返してきました。とりあえず挨拶はコミュニケーションの基本なので、これでつかみはOKなはずです。

問題は次に何を伝えるかです。

最近、学校で習った文法に『ヴォレイ…◯◯』という表現があります。これは『◯◯したいのですが…』と丁寧に希望を伝えるときの言い方で『買い物をする』という動詞はコンプラーレという単語なので『ヴォレイ・コンプラーレ・パニーニ・ペルファボーレ!』といえば、とりあえず『パニーニを買いたいのでよろしくおねがいします』といったような意味になるはず。厳密には少し間違ってるかもしれませんが今は意図さえ通じればよいのです。

よしっ!


い…いや、ちょっと待てよ。

仮にここが日本だとしても、そんなことをわざわざ店員に言うでしょうか。

パニーニを買いたいのでよろしくおねがいします

言わねーっ!! 絶対100%言わねーっ!

…とまた、あれこれ思考を巡らせていると『美味しそぉ!どれにしよっかなぁ!』とショーケースに張り付いていた妻が顔を上げ、おもむろにヒゲなしマリオに向かって『おっちゃん!!コレとコレちょーだい!…あ、あとこっちの白いやつもな!全部1個づつでえーわ!』と相手がたじろぐほどの勢いで普通に日本語で注文し始めるではないですか。

妻は振り返ると僕に『で、アンタはどれにするん?』と尋ねてくるので呆気にとられて思わず『…あ、同じのでいいです』と答えると『ほんならおっちゃん、やっぱ2個づつにして!意味分かる!?1個じゃなくて2個づつやで!!』とで数を示しながら強引にその場を取り仕切りました。

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そして見事に希望通りのパニーニを各2個づつゲットしました。

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す、すげぇ…男らしい

テーブルにつくと『やっぱ思った通り、めっちゃ美味しいやんコレ!』と何事もなかったかのように幸せそうにパニーニをほおばる妻。

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このあくまで『こっちは外国人やけど、お客なんやから店員のほうが要望を分かろうと努力すべきやろ!?』という、この自己中心的な姿勢を少しは見習わなければ…と妻に尊敬の眼差しを向ける僕でした。

たしかに考えてもみれば日本の飲食店を訪れた欧米人日本語で注文などせず、何のためらいもなく英語で注文してきますよね。外国人現地語を分からないのは当然なのですから、気持ち程度として最後の『ありがとう』くらいを現地語で伝えられれば充分なのです。

僕たちは食後に『ブォーノ!(おいしい!)グラッツェ!(ありがとー!)チャオ~!(さいなら~!)』と言って店を後にしました。これぞ正統派の『ザ・外国人客』なのです。

店の奥でヒゲなしマリオが少しだけ笑って手をあげてくれているのが見えました。


② ピッツァ職人と呼んでくれ

帰宅後、カポナータという色々な角切り野菜のトマト煮込みを大量に作り、半分は本日の夕食のおかず、残り半分は冷凍保存しておくことにしました。

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かんたんで栄養満点で美味しく、用途も広く日持ちもする便利すぎるイタリアン惣菜の王様こと『カポナータ』については、こちらの記事レシピをご紹介していますので良かったら是非お試しください。

育ち盛りの僕らは夕食がカポナータだけでは全然物足りないので今夜のメインとしてピザ(※イタリア語ではピッツァ)を焼くことにしました。

もちろん小麦粉をこねて発酵させ、生地から手作りします。他人の台所を扱うのは微妙に迷惑行為かもしれませんが今はここが自宅同然なので仕方ありません。ちゃんと掃除はしますので少しくらいは散らかってもご愛嬌ということで強行突破です。

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僕はことピザに関しては専門店イタリア料理店、合わせて計8年間の調理経験があり、パスタよりは人に披露する機会が少ないものの実はそれなりに得意だったりするのです。

まずは定番のマルゲリータから。これは焼成前の状態ですが、すでにガチな雰囲気が漂っているでしょ?

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ただ、事前に気付くべきでしたがガブリエッラ邸のオーブン一般家庭用であるため、高火力の業務用オーブン同じ要領ではうまく焼けませんでした。

焼成に時間がかかるため、生地がしっかりと焼き上がる頃にはバジルの葉が焦げてしまったので取り除き、最初からトッピングしていたモッツァレラチーズも煮詰まってしまいました。食べれないことはないですが完全に失敗です。あちゃー。

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まぁ、人様に提供する売り物ではないので気にする必要はありません。次回は先にピザ生地だけをタルトのように重りをのせて半分焼成し、焼き上がりの数分前にトッピングすれば完璧なのではないでしょうか…知らんけど

この失敗マルゲリータは今夜は食べず、明日の朝ごはん用にとっておくことにしました。

続いてジャガイモとベーコンのピッツァが焼き上がりました。こちらはマルゲリータの失敗に学び、加熱時間を計算して生のジャガイモスライスとベーコンをトッピングしたので仕上がりの状態もバッチリです。

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散りばめたバターとピリッとした粗挽きブラックペッパーがアクセントです。イタリアのジャガイモは甘いので日本で作るより格段に美味しくなりました。欲をいうならローズマリーもあれば、さらにハーブの香りも楽しめたのですが残念ながら今は手元にありません

予定外にマルゲリータを失敗してしまったので、その代わりとしてツナコーンとオニオンのマヨピザも焼きました。イタリアンというよりはアメリカンな印象のピザになってしまいましたが焼けた芳ばしいマヨネーズの香りマヨラーである僕らにとってはたまりません

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本当は余ったピザ生地を使ってツナコーンパンを焼き、それを明日の朝ごはんにまわす予定だったのですが急遽こちらを夕食用ピザに変更しました。どうせ朝は寝ぼけていて味なんて分からないので美味しいほうを夕食にするのが賢明な選択なのです。

『どや、ピザうまそうやろ? ピッツァ職人と呼んでくれ!
ビール飲みたいからパッと買ってきてや、ピッツァ職人。』
『なんでやねん!そもそもピッツァ職人をパシリに使うな!
『ついでにデザートのアイスもよろしくな、ピッツァ職人。』
ピザ関係ないし! 腹立つからピッツァ職人って呼ぶなっ!


③ あの丘の上の大聖堂へ

天気が良い日、語学校の上層階の窓からボローニャの街を見渡すと、はるか遠くの小高い丘の上にポツンとお洒落な建造物が見えるのですが、僕はそれが何の建物なのかずっと気になっていました

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そこで放課後に先生のフランチェスカに尋ねてみると『あー、あれはサン・ルカ教会よ!』と教えてくれました。

早速、今や僕の第二の生息場所と化しているPCルームにて『ボローニャのサン・ルカ教会』について検索してみます。

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ネット情報では『マドンナ・ディ・サン・ルカ大聖堂』という長い名称で紹介されていました。ボローニャの観光名所の一つでもある有名な教会だそうです。

これは是非とも行ってみなければ

かろうじて見えているくらいの距離だったら徒歩でどうにかなるっしょ!?という謎の根拠でバスや交通機関などは使わず、市街マップだけを手にレッツ・ゴーゴー!我ながら懲りないヤツらだなぁ…というバカの自覚はありますので何卒ご安心ください

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サン・ルカ大聖堂は標高290mに位置し、聖堂まで続く長い柱廊ポルティコ)は地元の人にとっては健康志向の運動を兼ねた定番の散歩コースらしく、ガブリエッラ邸からだと直線距離で片道6㎞以上あります。

さらに、そのうちの約3.5㎞はひたすら急勾配の登り坂ということですので後半に体力を温存しておく必要がありそうです。

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夫婦で『意味が分かると怖い話』と『意味が分かっても怖くない話』について真剣に語り合いながら大聖堂を目指して歩いていると、なにやら前方から二頭の大きな白馬が近づいてくるのが見えました。思わず『…何だアレは?』と立ち止まってしまい、その日本では見慣れない光景に目を奪われてしまいます。

道路の中央を威風堂々と歩いてくる白馬の背中には黒い制服を身に纏ったカラビニエーリ軍警察)の男女が跨っていました。

パッカ…パッカ…とリズミカルに響く蹄の音中世の古い街並みをバックにアスファルトの上を優雅に闊歩する彼らの姿はまるで映画のワンシーンのようです。こういうのを目にすると自分がヨーロッパに来ているということを改めて強く実感します。

妻『おおお…控えめに言ってカッコええやないけ!』
僕『んだんだ!』(←誰キャラ?)

僕も妻も生まれて初めてアンパンマンショーを観た幼稚園児のように目をキラキラさせて興奮しています。

いまだに滞在許可証を申請できておらず、不審者と疑われないかという心配も若干はありましたが思い切って近づき『フォトOK?』と尋ねてみると彼らは黙ったままうなずき、少しスピードを緩めてくれたので1枚だけパチリ

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グラッツェ・ミッレ!(めっちゃ、ありがとう!)』とお礼を言うと彼らはニコッと微笑んで僕らの横をゆったりと通り過ぎて行きました

それを見送る僕ら。

しかし、幻想的だったのもそこまででした。

せまい道路の真ん中をのんびりと歩いていく彼らの後ろには後続の車が次々と渋滞し始め、長い行列を形成。おまけに白馬大量のカッカ※前回記事参照)をボロボロと大量に垂れ流しながら歩いているのです。

それでも当の警察官たちは知らん顔でそのまま放置していくもんだから当然それを後続車がグチャグチャと次々に踏み潰して…って2話連続でカッカの話題ばかり…やめましょう!品行方正を絵に描いたような僕が下品な人間だと誤解されてしまうじゃないですか、まったく

日本だったら、きっと地域住民や市民団体から大苦情ものでしょう。買ったばかりの新車で踏まされた日には警察相手にタイヤ交換代まで請求する事態になりそうです。

さて、そうこうしているうちにサン・ルカ大聖堂の麓の門まで到着していました。

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門をくぐり抜けたその先にサン・ルカ大聖堂へと続く、柱廊の入口があります。

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柱廊をサイド側から見てみるといかに急勾配なのかが良く分かります。この角度の坂道を3㎞以上登っていかないと大聖堂にはたどり着けないというわけです。

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さぁ…気合を入れて、いざ登るぞー!

終わりが見えないくらい先の先まで長いポルティコの坂が続いています。

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壁面に掲示されている白いプレートにはごとにから番号がふってあり、これを666まで登ればサン・ルカ大聖堂に到着だそうです。

ひえ~先は長ぇぞ、こりゃ!

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事前の情報にもあった通り、地元の人たちウォーキングしているような姿もチラホラ目にします。たまに現れる階段段差幅が一定ではなく、さらにガタガタなので歩を進めるタイミングが狂わされて必要以上に疲れます

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登っても登っても終わりは見えず、まるで同じ場所をグルグル回っているかのような気がしてきて感覚がおかしくなります。

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やがて右手にサッカースタジアムが見えてきました。一時期、セリエAボローニャに在籍していた中田も、あのグラウンドでプレーしていたのでしょうか。

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ただ、あまりにも疲れすぎているため、もはや中田とか田中とか、どうでも良くなっている自分がいます。いや、ファンの方には本当に申し訳ない限りなのですが…。

ひたすら坂道を登り続けること1時間。ようやく頂上へと到達しました。

夢にまで見た柱廊のゴール地点です。

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つーかーれーたー!!

日頃からスーパー運動不足の僕らにとっては、まさに地獄のエクササイズでした。もう疲れすぎてピースしたり、ポーズをとる気力すらありません。身も心も真っ白に燃え尽きています。

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そして、これがずっと遠くから僕が眺めていた丘の上のサン・ルカ大聖堂です。

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ドドーン! 

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全体的に曲線が多く使われており、インドの建造物にも似たような不思議な魅力をもった建物ですね。

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聖堂内に入るのは有料だったので諦めました。無料だったら入ってみても良かったのですが僕は別に教会の内部に興味があって来たわけでもなく、まして祈りに来たわけでもなく、遠くから気になってた『アレ』がどんな建物なのか近くで確認したかっただけなので特に残念とかいった感情はありません

真面目にお祈りしに来ている人の邪魔はしたくないですし、僕としてはすでにメインの目的は達成したのです。

何よりこの素晴らしい眼下の絶景!これを味わえただけでも苦労して登ってきた価値はあるというものです。

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ひんやりと冷たい冬の山風が心地良く頬を撫で、疲れた体を癒やしてくれます。茶褐色の屋根で覆い尽くされたボローニャの街を一望しながら、しばし登頂の達成感に酔いしれます。

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そして、頭上に広がる吸い込まれそうな青空を見上げて大きく深呼吸

さぁて…と、帰る…のか?

つい10分ほど前に息も絶え絶えに死にかけながら登ってきた坂道を今から全戻りして、その後も3㎞以上歩いて家まで帰る道のりを想像するとリアルに昇天しそうなほど気が遠くなりました…ちーん

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《つづく》

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