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マルチタスクよりもシングルタスク


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最近になって読んだ本で「喫茶喫飯」という言葉を初めて知った。

これは禅の言葉らしいのだけど、お茶を飲む時はお茶を飲むことだけに気持ちを向ける、ご飯を食べる時はご飯を食べることだけに気持ちを向ける、といった意味になるらしい。

つまりは、「今この瞬間」に気持ちを向ける、ひとつひとつのことを丁寧にやるということなのかなと思う。

シンプルにいい言葉だなあと感じたし、それと同時に自分は「喫茶喫飯」が全くできていないなあとも感じた。

現代を生きていると、僕のようなぐうたらでもなんというか、どう効率的に時間を使うか?みたいなことをいつの間にか意識して暮らしているように思う時がある。

それは昔に比べても、生活が便利になり、楽しいことも増えたのもあって、時間がいくらあっても足りない、でもやりたいこととかやらないといけないことはたくさんあるからである。

なので、何かする時もマルチタスクというか、あれもやりながらこれもちょっとやるみたいなことをしていたし、まあどこまで効率的にやれていたのかは実際のところわからないにせよ、そうやって同時にあれこれやるのが時間をうまく使えているんだみたいな意識があった。

ところが、この「喫茶喫飯」という言葉を知ってから、果たしてそれでよかったのだろうかと考えるようになった。

確かにマルチタスクであれもこれも同時に行うというのは、時間をうまく使えているように見えるけれど、結局ひとつひとつのことをないがしろにしているんじゃないかとも思うようになったからである。

だから、何かをやっていてもどこか上の空というか、気持ちがあっちこっちに行っているようにも感じるわけである。

なので、普段の生活でやっていることも、ちょっとずつ「喫茶喫飯」を意識するようにしている。

例えば僕は普段からテレビを見ないのだけれど、夕食の時は家族がテレビを見るので、僕も猫とか動物の番組をやっているとご飯を食べながらついつい見てしまう時がある。

そうすると、ご飯を食べたり、時にテレビに顔を向けたりで、どちらにも気持ちがいっていないというかまあ「喫茶喫飯」からはほど遠いわけである。

なので、最近はご飯を食べる時は顔をテレビに向けずに、目の前のご飯を食べることに意識を向けるようにしている。

まあ始めたばかりなので、ついつい顔をテレビに向けそうになる時もあるけれど、実際にやってみると食べることに意識がいくことで、なんとなく食べていた食事がいつもよりおいしく感じるというかご飯をしっかり食べたなあという気持ちになる。

なんというか同じことをしていても、テレビを見ながら食べるのと気持ちを食べることに向けて食べるのでは、充実感というか満足感が違うように感じる。

これってもしかして他のことにも言えるのでは?と思い、いつも習慣にしていることも、ひとつひとつ気持ちを向けることを意識してやるようにしている。

なので、ラジオ体操をやる時は体を動かすことだけに気持ちを向ける、文章を書く時には文章を書くことだけに気持ちを向ける、寝る時はあれこれ考えず寝ることだけに気持ちを向ける(これは得意である)といった感じである。

いわゆるマルチタスクであれもこれもやってみるではなく、シングルタスクでひとつひとつのことに意識を向けて丁寧にやってみる。

まあこれが効率的かどうかはわからないけれど、気も散らないしやった時の達成感も大きいし、充実感もある。つまり心が心地よい。

なので、今はマルチタスクよりもシングルタスクを意識しながら日々暮らすようにしている。

何かやりながら他のこともやるって、これまで無意識にやっていたことだから、今は意識的にひとつのことに気持ちを向けて取り組むようにしているけれど、いつか自然と「喫茶喫飯」ができるようにコツコツとやっていきたい。



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