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晴耕雨読について
(※今日の内容を音声で楽しみたい方はコチラからどうぞ(^^)↓)
ここしばらくは天気が続いて、暖かくなるのも今年はなんだか早くて気持ちのいい日を過ごしている。
とはいえ今日からは雨で、天気予報によると、この先1週間ほどは雨模様らしい。
なので、この文章も雨音を聞きながら、のんびりパソコンでパチパチと書いている。
まあ、天気でいうと、太陽が出ていて家も外も明るくて特に何をしていなくてもなんだか気分がいいやという天気がやっぱり好きだけれど、雨の日も割と好きである。
確かに外でできることはほとんどないかもしれないけれど、なんというかいい意味で「雨だからしょうがないか」と、家でできることをのんびりやろうかみたいな気分もまたいいものである。
晴耕雨読という言葉があるけれど、今の僕にとっては理想の言葉であり、理想の生き方でもある。
まあ人生、そんな単純なものじゃないよと思われるかもしれないけれど、生きることって実はものすごくシンプルだったんじゃないかと近頃は思うようになった。
たまたま家族が見ていた海外の風景や生き物、そこに住む人々の暮らしみたいなテレビ番組(こういうテレビ番組は好き)をなんとなく見ていたら、どこかの民族の人々の暮らしにちょっと衝撃を受けた。
詳しいところはあんまり覚えていないけれど、モノも特に持たず、家すらも持っていない、食べ物とか水はまわりの自然から手に入れるという暮らしぶりでそれこそ体ひとつで生きているという感じだった。
なんというか、自分の普段の暮らしが普通と考えて生きているとこんなにもカルチャーショックをうけるというのか、自分は何にも知らないんだなあとつくづく感じるし、こういう生き方もあるんだと自分の狭い世界が広がるようにも感じた。
それと同時に今の自分の生活というのは、便利で快適なのは確かなのだけれど、なんというかものすごく生きることが複雑になってしまっているんじゃないかとも思ったわけである。
スマホひとつあればたくさんの情報やエンタメにアクセスできるし、テクノロジーの進歩はものすごくて、まあ楽しいし、便利なのだけれど、なんというかそればっかりというのも、生きるということから離れてしまっているように最近は感じるようになった。
と言いつつ、こうやってパソコンで文章を書いてアップしているわけだけれど、まあ体ひとつで何もなしで生きていくまでは難しいだろうけれど、天気が良ければ外に出て畑作業して、雨が降っていれば本を読むくらいシンプルな人生を生きてみたい。
普段の便利で快適な生活に慣れてしまっている自分は、それらがないと生きていけないくらいに考えてしまうくらい、自分の生きる力というのは弱くなってしまっているんじゃないかと思う。
けれど、今みたいな便利な暮らしより昔の時代でも、人々は暮らして生きてきたわけで、昔の暮らしに逆戻りということではなくて、今のような複雑な世界でもシンプルに生きる方法は何かしらあるはずである。
ここ最近は、そういう自分の生き方、暮らし方そのものを改めて考えるようなことがちょこちょこあって、ミニマルとも違うし、スマホひとつでオンラインで楽しく快適にというわけでもなく、かといって山にこもるでもない。
まだはっきりとはわからないけれど、ざっくりいえば、ほどほど原始的で、ほどほどテクノロジーなシンプルライフという感じである(自分でもよくわかってない)。
割と自分なりにシンプルな生活をしていたつもりだったけれど、まだまだできることはある、そう考えるとまた暮らすこと、生きることがさらに楽しくなりそうで今はなんだかワクワクしている。
なので、まずは天気の良い日は畑とかキャンプに出て、雨の日は雨音を聞きながらじっくり本を読むという暮らしをちょっとずつつくっていきたい。
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