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さあ準備しよう

準備って大事だな、と思うことがあった。

色々な事情があり、ここには具体的に書けないエピソードなのだけど「この場所に来るまでにもっと色々できたはずなのに、なんでそれをやってこなかったわけ?」と思ってしまうような出来事に直面した。



その具体的なエピソードはこれ以上詳らかにできないので、就職活動の面接をシチュエーションとして想定してみる。

「弊社を志望する理由は何ですか?」
この質問は、どんな面接でも100%聞かれる質問だ。

また、業種や職種によっては
「弊社の製品/サービスを利用したことはありますか?」
というのも定番中の定番の質問である。

なんでこれらの質問が重要なのか、ということを考えてみよう。

言葉の表面だけ見ればこれらの質問は、会社への志望度を測ったり、製品やサービスへの興味関心を見ていると思える。詳しい回答であればあるほど、その人の企業への応募の動機・業界への理解がより強く深いものだとわかる、という風に。

しかし、これらの質問やその回答は、情報のやり取りよりももっと深いレベルで機能する。

かりに求職者が「御社の製品/サービスには実はあまり詳しくなくて…でもこれから勉強しようと思っているんです」とか「使ったことありますけど、商品名が分からなくて…でもすごく良い製品だと思いました」とか答えたとする。

この時点で志望度が低く見られるのはもちろんだが、この受験者の一番悪いところは「準備不足」なことである。

面接と言っても、つい数分前に予定が決まったわけでもあるまい。
数日や数週間、面接に向けて準備する期間があったはずで、その間にホームページや雑誌・新聞などでいくらでも下調べができた。

嘘でもいいから「御社の●●という製品を使ったことがあります。●●は非常に~で、大変…であると同時に。。。であることは社会に対する////であると思いました」というような、紋切り型だが何かしらのエピソードが用意できたはずである。

それをしてこなかった時点で、既にほかの求職者からは大きく後れを取ってしまっているのは自明だ。

このやりとりは、その言葉で交わされる情報よりも深いところで「その人が〈準備できる人〉なのか」を試されていると思ってよいだろう。

試験の前には勉強をしておくことが当然であるのと同じように、面接でも準備しておくことが大事だ。

面接は「自分の能力や個性をアピールする場だ」と思っているとしたら、盛大な勘違いといえる。

能力や個性は、学歴や経歴としてある程度までは書類上で可視化できるが、パフォーマンスに際してどれだけ準備できるかは面接で初めて分かることも多い。
だからこそ、このド定番な質問が古今東西問わず使い続けられているのだろうし、面接という試験方法が無くならない理由なのだろう。



ただ、残念というか残酷なことに、能力や実績のある人は、これまで「準備をしてきた人生」だから、能力が高く実績を積むことが出来ているのである。
そういう人たちは「準備が大事だぞ」と言われなくても、とっくの昔から準備を続けている。
東大に合格する生徒が試験の何年も前から猛勉強しているのに、その試験1か月前に「勉強は大事だぞ」というのはほとんど何の意味もたないアドバイスである。

準備してこなかった人にこそ「準備が大事だぞ」と声をかけたくなるのだが、そういう人ほど、そもそも「準備の大事さ」に気づくまでに時間がかかってしまったりするものだ。
勉強を全くして来ずその重要性を自覚しない生徒に「勉強は大事だぞ」と言うのは、東大受験ガチ勢に勉強を促すのとちょうど対極でありながら、同じように無意味なことである。

こうやって差が開いていくのを目の当たりにすると、残酷だが、これが実力の差というやつかと、つい納得してしまう。



わたしが体験した具体的なエピソードからは遠く離れた就職活動や受験の話で例えてみたが、ニュアンスは伝わっただろうか。

というか自分が今転職活動中なので、つい面接の話でたとえてしまっただけなのだが。

とにかく「準備不足な人に出会った」ということが伝わればいいか。

人のふり見て我がふり直せ、で、自分の日々の準備不足を点検しよう、と思わされた出来事であった。

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