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ポーカーで世界を旅した2年間〜第五話:純粋な理性の世界へ〜

第四話:どこに行くのかはこちら
 
 秋葉原駅から末広町方面へと続く大通りを歩いていた。大きな道の両脇には7,8階建てくらいのビルが並び、ソフマップ、メイドカフェ、チェーンの飲食店などなど派手な色彩のお店が入居している。ビルが林立し似たような景観が続くため今どこを歩いているのか分からなくなりそうだ。まだまだ残暑が厳しい。Google Maps様様である。



 目的店舗が入居する雑居ビルに入りエレベーターで7階まで上がると、店の入口についた。店内はかなり広く、バカラ、ブラックジャックなどポーカー以外ゲームも行われている。仕組みはゲームセンターと同じで、換金することのできないチップを購入し、そのチップで遊ぶ。面白いことに、このスポットで働くディーラーはメイドの衣装を着ている。秋葉原の文化とカジノの文化が融合した不思議な雰囲気だ。

 僕らは受付でトーナメントの参加費を払いテーブルについた。1テーブルに座るプレイヤーは全部で9人。稼働しているテーブルは4,5台といったところで、この日の参加者は40人ほどだ。3位以内に入ると景品がもらえるとのことだ。
「15,000点スタートです。念の為、ご確認をお願いします。」
「ありがとうございます。」
 ディーラーからチップを受け取る。このチップがゼロになるとその場で退場だ。最後の一人が決まるまでチップを奪い合う。
 チップを触る。半年前にポーカーをしていた懐かしい感覚が蘇る。久々に感情が昂ぶっていることが分かった。



 3時間後、僕はサイゼリヤにいた。あっという間の3時間、結果は4位、すんでのところで入賞を逃してしまった。最後のプレーは、ブラフ(チップを賭けて相手に降りてもらおうとすること)オールイン(チップを全て賭けること)。後から考えれば下ろせるはずもないシチュエーションだった。自らのミスによって僕の敗退は決まった。
 ミスプレイをした直後から一人で反省をしていた。店を去った後もサイゼリヤで、友人と反省会をした。明らかなミスプレイだったため反省会と言うよりも、なぜそんなプレイをしてしまったのかと、ただ自分の愚痴を言う会でしかなかったのだが。
 サイゼリヤを後にし、電車で帰路についた。電車の中でも悔しさは消えなかった。帰宅後、シャワーを浴びる。悔しさは流れ落ちない。
 夕飯を食べ終え布団に入った。なかなか寝付けない。自分が犯してしまったミス、目の前で喜ぶ相手の姿が瞼の裏に浮かぶ。ただただ悔しい。

 こんなにも悔しい思いをしたのはいつ以来だろうか?

 ふとそう思った。これほど感情的になったのは久々だった。あの日以来、灰色だった感情が彩りを取り戻した。「生きている」ことを強く感じた。

 そうだ、何でもよかった。鬼ごっこでも、サッカーでも、魚捕りでも、テレビゲームでも。何かに熱中し毎日が楽しかった子供の頃を思い出した。社会が求める生産性とは無縁の、何の目的もない、行為自体が目的である”遊び”に夢中だったあの頃を。楽しく、刺激的で、いつの間にか日が暮れている、そんな日々を。ただただ、目の前のことを楽しむ、それだけで幸せだった。このままある日突然死ねればそれで良いのではないか。そんなふうに考えさえしていた。しかし、「大人になる」ということ、「社会で生きる」ということは、どうやらそういうことではないらしい。

 金融庁による検査を経て、社会と自分の間には大きな溝が横たわっていると感じざるをえなかった。この社会で生き延びるには、理不尽を耐え忍ばねばならない。

お前は社会に馴染めるか?

 そう、社会から問われている気がした。
 再び理解できない出来事に襲われるのではないか。そのたびに自分を誤魔化しながら、耐えていかねばならないのではないか。そんなことを考えると、この社会で生きていくことがより一層恐ろしいものに感じられた。僕は社会が要請する”社会人”になれる気がしなかった。両親を含め社会人と呼ばれる全ての人々にある種の尊敬の念を抱く一方、自分には無理なのかもしれないという悲しみが湧いてきた。

 「社会がおかしい!」と声を上げることもできるかもしれない。だが、そうするには僕は疲れ過ぎていた。諸般の事情を考慮すれば完全に白黒つけられるもののほうが少ない。怒りをぶつけることが正当化される場面はそうはない。社会というものの大きさと複雑さに圧倒された後、僕の頭を大きく占めていたのは外の世界への諦念だった。この社会に対して何か働きかけようという気には到底なれなかった。
 社会を変えるために行動をするわけでもない者が、社会に対してとやかく文句を言うのは格好が悪い。目と耳を閉じ、口を噤んで、孤独に暮らしていくしかないのかもしれない。


「専業ポーカープレイヤー」


 ぼんやりと抱いていた想いが、自分の前に立ち現れたのはその時だった。この世界に、専業のポーカープレイヤー、つまりポーカーをすることで生計を立てている人がいることは知っていた。彼らは世界各地のカジノを転戦し生活をしている。

・・・・ポーカーは、オレにとってやっと見つかったすげー貴重な『夢中で没頭できるもの』なんだ。ポーカーに熱中してたら世間は冷たい目で見るかもしれんがオレは気にしない・・・・でもオレの『全力』は太一がいたら2乗になって『マジで』やれる気がする。・・・マカオやベガスに行って食ったことないもの食って、・・・・会ったことないような世界の猛者と会って…オレのワクワクは膨らむばかり・・・

 半年前、親友に言われた言葉だ。あの頃は、就職するまでの半年間期限付きでポーカーに取り組んでみるという話に落ち着いたが、今、改めて彼の言葉を反芻している自分がいた。

 会社員をやめることで社会的な信用は失墜するだろう。ポーカープレイヤーとして生存するに足る実力がなく早々に破産するかもしれない。長期の海外生活だ、ポーカー以外のトラブルに巻き込まれて危険な目に遭うかもしれない。挙げようと思えば不安の種は尽きない。

 しかし、ポーカーは、勝つも負けるも自分次第であり、そこに余計な力が働くことはない。正しいプレイをすることができれば、勝利につながる。なんて純粋な世界なのだろうか!

 いつか世界を回りたいとも思っていた。行ってみたいところ、見てみたいものがたくさんある。

 専業ポーカープレイヤーになれば、大好きなポーカーをしながら世界を回ることができるのではないか。手元には100万円ほどある。ポーカープレイヤーとして生活を始めることは不可能ではない。 

 自らを、社会の大きな流れに巻き込まれた哀れな犠牲者と考えるか、新たな世界を足を踏み入れるきっかけをもらった幸運者と考えるか。そのどちらかを選ぶ必要がある気がした。

 世界を見て回りたいという好奇心、ポーカーを通じて得られる没頭感と生の実感への渇望、社会システムに接続されることへの拒絶感、理性的に処理することができ結果に関する責任は自分へ降り掛かってくるというポーカーの競技性・収益構造の純粋性への憧れ。
 それらに背中を押された僕は、純粋な理性の世界であるポーカーという世界に飛び込むことにした。

第六話:フィリピン着はこちら

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