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SBO(スタートアップバックオフィス)としての5年で得たものと、これからのSBO採用について

こんにちは、ノイン株式会社の総務人事部、部長の土屋です。社内ではつっちーと呼ばれてます。

最近Meetyを始めたのですが、カジュアル面談用にも管理部の採用にも、自己紹介になる履歴書的なnoteがあると便利なので、この機会に自分の履歴書を書くことにしました。

SBO(スタートアップバックオフィス)は採用する側もどんな人採るべきか悩むし、本人も結構キャリア悩むんじゃないかなと思っており、1年ごとにどんなことをやって、自分がどう成長してきたかを棚卸することで、その参考になるようなnoteになるといいなと思ってます。個人的なSBOについてのキャリア観の話も最後にまとめてます。良かったらTwitterのリプ欄等で感想などもらえると嬉しいです。あとスタートアップの方や経理・人事畑の人とつながれると嬉しいです。

前職(JAC)での経験について

前職の人材紹介会社であるジェイエイシーリクルートメント(JAC)には、08年の新卒として入社し9年勤めました。転職コンサルタントとして入社しますが、リーマンショックによる社内整理のタイミングで、2年目より経理に異動し以後その道を歩みます。結果的に、今はHRを担当しててコンサルタントの時に叩き込まれたこともめちゃくちゃ生きてます。感謝!

経理では一通りの実務をジョブローテで経験したのち、管理会計の道に進みます。新卒4~5年目くらいから全社の予算作成を担当させてもらい、CFOの服部さんにはリクルート式の考え方と仕事術を叩き込んでいただきました。

もうひとつのコアキャリアになったのはJASDAQから東証への市場変更プロジェクトです。プロジェクト開始当初は挫折を味わいましたが、Ⅱの部の作成、証券会社の公開引受との対応、引受審査の回答準備、東証との面談までのほぼ全てを、実務の責任者(プロジェクトマネージャー?)として任せていただき、一回のスケジュール変更なく東証1部への市場変更を完了できました。

さすがに東証で鐘を鳴らすことは叶いませんでしたが(執行役員~経営陣の方が鳴らしてます)、東証のセレモニーでは、役員とともに東証役員との面談に同席し、赤いカーペットを歩いたことは一生の思い出です。厳しかったCFOから、「東証1部に行けたのは自分の実績として語って良い」的なお墨付きと年間MVPをもらえたのは嬉しかったです。

労務・法務・IR・総務・情シス・事業企画・営業推進・マーケなどなど幅広い知識と、累計50名の方とのプロジェクトマネジメント、上場企業経営陣とのコミュニケーション、社外の関係会社との調整、2,000枚に及ぶ書類作成の進行管理と、二度とやりたくないと思うほど辛かったですが、本当に多くのことを学びました。

この後、現職のノイン株式会社に転職します。JACでは本当は色々失敗して挫折もしたり、育ててもらった人への感謝とか色々あるんですが、書き始めたらJAC部分だけで分量が3倍ぐらいになって全然終わりが見えなくなってしまったので一旦省略します。市場変更プロジェクトの話とかニーズがあればいつか書きます。

JAC退職時のスキルマップ

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創業と入社の経緯について

ノインは代表の渡部がもともと知り合いで、法人化するときに声をかけてもらったのもあり、法人登記から関わってます。設立は2016年11月ですが、正式には2017年4月に入社します。LINEで「会社作ってー。最速で頼めない?」「おお、ついに。了解。会社名ください。」「おけ、週明けには。いつまでにできる?」「んー、今月末には。」「えー、もうちょい早くできない?」「OKっす。本気出す。」という、飲み会の誘いみたいな数行のLINEのやり取りだけで、2週間弱で設立しました。

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(転職を決めたとき、子供はまだ0歳4カ月でした)

年収とパフォーマンスのバランスに苦しんだ1年目

入社後は、当然人数も少なく何でもやらねばならなかったので、「渡部の秘書」のつもりで私がやれそうなこと、そして会社としての優先順位が高いものを何でもやっていくスタンスで仕事をしていました。最初の1年はバックオフィス全般は当たり前として、7~8割は事業側の仕事をメインに、営業を中心にメディアの運営や業務委託案件のプロジェクトマネジメントにしばらく携わります。

バックオフィスに目を向けると労務(給与計算)あたりは未経験とはいえ、自分で何とかしなきゃいけなかったので必死で勉強しました。また創業融資や追加融資・エクイティファイナンスの事務などは経理・財務領域でも未経験だったので楽しかったです。移転とかも楽しかったな。移転は毎回めちゃくちゃ大変だけど嬉しい仕事ですね。もう6回もやってます。

この頃は経理としての業務は5%もなく、本当に誰でもできる仕事を大量にこなしていたため、このままずっとこのポジションで働いていくと転職市場での経理としてのキャリアは死んでいくな(年齢対比で経験が薄くなる)というのは強い実感がありました。当時はSBO(スタートアップバックオフィス)みたいな言葉もなく、スタートアップのバックオフィスを渡り歩くみたいなキャリアもなかったのもあります。この辺はSBOを採用する側の皆さんにはぜひ知っておいておきたいことではあります。

私自身に関しては、会社がダメだったときは、最悪頭を下げればJACに戻れるかもしれないし(出戻りが多い会社なので)、別にJACでなくても上場会社の経理だったらいつでも戻れるような気もしてたので、そんなに気にしてなかったです。一方で、自分の年収に見合わないような簡単な仕事が本当に多く、年収相当のパフォーマンスがだせる仕事が見つからないという意味ではかなり悩んでいました。

経理のキャリアとして死んでいったという話ではありますが、仕事は楽しかったですし元々事業側に強い興味があったので、化粧品ブランドに自ら会いに行けること、売上を上げる業務に携われること。自分でバックオフィス系のツール選定を自由にできること。そして何より前職では一切経験のなかった「意思決定」というものを高速でバンバン経験できるのは今の自分にとって非常にプラスになっています。

私の1年目が終わったころ(シリーズA完了時)の私の業務領域および発揮できるパフォーマンスはこんな感じだった気がします。これだけの量をこなせるという意味ではなく、その職種にフルコミットしたらこんなパフォーマンスかなというイメージ図です。

▼SBO1年目終了時

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EC事業の立ち上げと「なんちゃって〇〇」な2年目

2年目。つまりシリーズAの後はお金に余裕ができたこともあり、人数も増え少しづつバックオフィス業務が増えていきます。ただし業務量が増えることと専門性が求められる仕事があること(そしてできるスキルがあること)は別ですので、年収とやってる仕事のレベルの乖離の悩みは引き続きそれなりにありました。仕事量的には事業側とバックオフィスが50:50ぐらいだったように思います。EC事業の立ち上げや、仕入れの営業、CS、ロジまわりのオペレーションの整備運用あたりは初代担当は私です。

バックオフィスで行くと総務、法務、労務、採用周りをちょっとかじりだしていますが、経理以外の領域についてはやはりリーダークラスに届かない。「なんちゃって採用担当」みたいなレベルだったなと。もし今このころに戻れたら実務で改善できることは死ぬほどあります。

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(子供と一緒に出勤@新宿御苑オフィス)

以前書いた「NOINの歴史」の1本目の最後の崩壊とかはこのころの話です。

▼SBO2年目終了時

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採用にコミットしながら徐々に仕事のレベルアップができた3年目

3年目はCOOの千葉が入ってきて、事業面の多くを卒業できました!2年目の終わりごろに売上が爆発し組織がボロボロになってしまったので、その立て直しに奔走します。ありがたいことに会社が成長にあわせて少しづつ仕事のレベルが上がってくることを感じ始めた時期でもあります。事業面はまだ兼任はあるものの、基本的に千葉やその後入ってくる部長クラスにガンガン引き継げて、どんどん身が軽くなっていきます。そのために力をいれたのは「採用」です。社員数も20名~35名ぐらいを経験できました。管理部の部長職らしい意思決定も必要とされるタイミングも増え、実質的にチームを持つことになり、マネジメントに携わり始めたのもこのころです。

「NOINの歴史」の2本目はこのころの話です。

▼SBO3年目終了時

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会社の飛躍と個人の飛躍。一気に視界が開けた4年目

ノインに入ってから成長曲線に入れたのは個人的には4年目かなと思っています。2年間採用に本気に取り組んだおかげで、4年目の後半ぐらいには採用Mgrクラスのスキルと知見を得ることができました。また50名近い組織になったこともあり「報酬や雇用制度」の抜本的見直しを行うことにしました。コンサルの力を借りながら、労務周りをがむしゃらに勉強することで人事系の解像度が一気に高くなったと思います。

2021年4月より「裁量労働制の完全撤廃と固定残業制度の導入」「賞与制度の導入」「支払いサイクル1か月前倒し」などを行いました。社員の方にとっては大きな変更を受け入れていただく形になりましたが、結果的には想定よりも混乱はなく、100名~200名の組織を作っていくにあたり抜本的改革ができたと思ってます。実務的には就業規則・給与規程の1/3が真っ赤になるぐらい修正することになりました。海外に拠点でも作らない限り、もうこんなに書き換えることは一生起きないと思います。

また大丸や伊藤忠・ファミマなどの事業上きわめて重要なプロジェクトを進行するにあたり、ファイナンス以外で初めて高度な判断が必要にあったのが法務周りです。弁護士さんの力をお借りしながら、ここも個人的に大きく解像度が上がった部分です。大型の融資も順調に決めることができ、財務としても大きな成果は出せました。4年目は会社だけでなく、個人的にも飛躍できたタイミングだったように思います。

「NOINの歴史」の3本目はこのころの話です。

▼SBO4年目終了時

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HR領域への決意と管理部門を飛び出した5年目

さて、では5年目の今年は何をしているのかということなんですが、実は4月から管理部を「経理部」と「総務人事部」に分けて総務人事部の責任者になりました。組織が50人を超えたところで、管理部部長として色々やるより、本気でHRにコミットしようという個人的決意で組織変更を願い出ました。元経理Mgrの人事部長は結構珍しい気がします。

大きな変化はもう一つあります。2021年初から採用Mgr、労務リーダー、総務担当に、採用担当と、優秀なメンバーを採用できました。それまで2.5名ぐらいで50名ぐらいの組織を回してきてリソースの限界を感じていましたが、人員増のおかげで「重要かつ重い仕事」に集中的に取り組めるようになりました。

個人的に創業時からずっと構想を温めてきていたストックオプションの制度(信託型ストックオプション)を2021年6月に設計・運用を開始しました。ストックオプションは資本政策や税金がからむので、一般的にはCFOや経理部長などが作ることが多いと思います。HR的にはわかりにくいことが多く、従業員に説明ができないようなブラックボックス化することもあると思いますが、会計と労務の知見を生かし「透明性が高くロジカルな制度」を設計できたのではと思っています。ここはいつかnoteで公開したいと思ってます。

2021年7月には評価制度周りについても見直ししたりとHR的に新しいことに着手しつつ、実は最近は営業部のミドルオフィスを兼任し、①営業組織のBPRと②新規事業の立ち上げをやってます。ここにきて1~2年目に営業をやったり事業系を沢山やってたことと、バックオフィスで身に着けた業務フロー改善(BPR)の知見がちょうど生きるようになり、人生何があるかわからないなと思いました。SBOもミドルオフィスも楽しい!

▼SBO5年目

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5年やって感じるSBOのキャリアとこれから

キャリアの記事なので最後にまとめますと、やっぱりSBOのキャリアは非常に難しいなと思います。この記事をここまで読んだ方は、「俺はこんなに色々できるぜ(どやっ)」みたいに見えているように思いますが、そんなことはなことは全くありません。

「事業が伸びてお金が増えて、人数が2人から60人(アルバイト含むと100人)になったから、仕事もリソースも増えてやる仕事のレベルが上がった。結果として自分も成長できた」ということに他なりません。その点、事業を伸ばしてくれた会社の皆様には心から感謝してます。

もし事業が伸びなかったら、1年目のスキルセットからほぼ成長してなくてそろそろ転職を考えていた気がします。決して今1年目~2年目の私と同じことをしているSBOの方々のキャリアを否定するわけではないですが、創業者の皆様は、「事業を圧倒的に伸ばすことがSBOへの最高のギフトになる」というのはぜひ頭の片隅においておいていただけたらと思います。事業サイドも当然そうだと思いますけど、管理部は自分で仕事を増やせない分その色がもっと濃いです。IPOプロジェクトでも始まれば劇的に仕事のレベルが変わります。

そして個人的な見解としては、キャリアとして横に広げていくこと自体はあまり年収に響かせられない、成長の実感はあるし面白いけど、年収を伸ばすという意味ではいまいちだなと思ってます。やはり縦(Mgr→部長→執行役員→取締役)に仕事のレベルを上げていき、1時間当たりのパフォーマンスを上げていかないと年収はついてこない。少なくとも私は私自身をそう評価しています。現時点で私自身のパフォーマンスは、経理部長として仕事をしている時が一番高いのは確かなので、他の部分で頑張れば頑張るほど時間に対する対価は釣り合わなくなっていきます。

でも個人的には自分のキャリアなんかより「会社の皆さんが困ってること、これから困ることの解決に全力で取り組みたい」想いのが圧倒的に強いので、その仕事が自分の苦手な部分や、評価につながらない仕事でも、全力疾走するのみです。おそらく多くのSBOの皆さんも同じ想いで、会社中にころがる雑務を拾い続けてるんだなというのを感じています。

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(長男は5歳になり、次男も)


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