わたしがいて良かったし、わたしじゃない人がいて良かった
千葉で過ごす最後の1日。
実家のような安心感があるから大好きなココスで物思いに耽っている。
去年の3月末から住み始めたこの街。
なんだかんだ1年は住めていたのかと今更ながら思った。
1年。12か月。その12個の月はひとつずつ顔が違っている。
新しい仕事に心弾ませていた月。
異動したてで何もわからないながら食らいついた月。
ちょっと疲れたけど茨城の楽しさに助けられた月。
多忙すぎたけど一抹の達成感を感じていた月。
どうしても出社も仕事もしたくなかった月。
モラトリアムのような日々を茨城で過ごした月。
わたしはこんなにのんびりしていていいのか罪悪感を抱いた月。
いろんな時間を過ごした部屋で過ごすのが、なぜか最近は苦しい。楽しくない。わたしの家ではないと感じる。なんとなく不安を感じる。そんなネガティブな気持ちにさせるアパートが、最近はちょっと嫌いになってしまった。
だからちょうど良かったんだ、と3日前ぐらいまでは思っていたんだけど、昨日の夜とか今日は切ない。
もうこの街に来ないかもしれない。
いろんな思い出があったけど、苦しい思い出を除けば住みやすくてココスがあって自然が近くて、お気に入りの街だ。
ありがとう、わたしのお気に入り。
そう思って明日の引っ越しまで大事に過ごそうと思う。
ー
そんなセンチメンタルな気持ちになっていると、それにつられてわたしはこれまで何ができるようになったんだろうと自信をなくしてしまう。しまっている。
どんな職業でも暮らし方でもいい、むしろその方が面白いとされる最近の世の中。
「自分らしさ」ってなんだ。わたしはそんな社会の中でどんな価値を生み出せるのだろうか。それは永遠の問いになりそう。
若いんだからプライドも経験もなくていい。自分の価値や個性はこれから作っていけばいいんだよ……それもまた真理で正義だけど、それじゃあわたしは納得できないよ。
わたしなりに出た結論は、自分らしさは自分のエゴである、ということ。
エゴっていうとちょっとよくない言葉、独りよがりで自己中みたいな印象を受けるけど、エゴがなかったらみんな同じような人間になるよ、って思った。
だとしたら、だ。
エゴは個性であって、その人にしかわからない真理、論理のはずだ。
じゃあエゴも悪くないじゃん、ね?笑
わたしで言ったら、好きなことをやっていても案外人生どうにかなることを同世代に知ってほしいし、だからこそ自分の好きを知っていてほしいし、茨城のことをいいね!って言ってほしいし、みたいな。
それって相手にしたら大きなお世話でおせっかいかもしれないけど、わたしらしさに繋がるんだろうなあって考えると、自分がやってることも自分自身も何かしらの意味はあるんだろうなと思える。
自分がいるから自分と同じような人が集まるし、その人同士お互いに救いあって支え合ってるし。
そうやって支え合うグループみたいなのが多ければ多いほど、世の中のしあわせは多くなる気がする。
だからね。
わたしがわたしで良かったし、あなたがあなたで良かったと思う。
明後日からの新生活も、その気持ちと言葉を忘れませんように!
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