心療内科から遠く離れて(2016年ごろ)

2016年、もしくは2015年だったと思う。
私は精神的にくたびれていた。詳述はしないが、人間関係のもつれや先行きへの不安などがあり、それは陰鬱な態度や習慣的飲酒といった症状として現れていた。

両親は私を心配して、心療内科に連れて行った。これがいけなかった。
診察室にいたのは70くらいの男性医師だった。白衣を脱げば、そこらのパチンコ屋にいそうな感じだ。

診察ではもっぱら両親が喋った。私が口を開く機会はなかった。多くの男の子が経験しているであろう、中学や高校の三者面談を想像していただきたい。あの雰囲気だ。

私は医師の態度が気に食わなかった。表情が「所詮二十歳そこらのガキの悩みなんて」と小ばかにしているような感じがした。励ますつもりだったのかもしれないが、「そんなことたいしたことないよ」と言われるのも不愉快だった。「お前はその程度のことで悩んでいるのか」と言われたように感じていた。
「診察」が終わって会計を待つ間に、私はトイレに立つふりをして、そのまま逃げた。

しばらくして、私が逃げたことを察知したのだろう、母からメールが来た。もうそのメールは残っていないが、こんな内容だった。

「自分は悲劇の王子とでも思ってるの? お前が甘ちゃんなだけやぞ」

スッと血の気が引いて、頭がぐらっとする感じがした。視界が狭まり心拍数が上がるのが分かった。
私は携帯電話の電源を切った。もう家族の顔を見るのは嫌だった。隣の県まで逃げて、しばらく家に帰らなかった。あいにくキャッシュカードを持っていなかったから、現金で賄える日数だけだったが。

今考えると、母がどう感じていたのか理解できる。
最初は純粋な心配だったのだろう。悩んでいる息子のために、心療内科を見つけてやった、連れて行ってやった。こんなに配慮して心配しているのに、息子はよくならないどころか反発までしてきた。ここで、心配が怒りに変わったのだろう。

ここからちょっと説教臭い話になる。嫌な人はすぐにページを閉じていただきたい。

心が疲れている人には、決して改善を急がせてはいけない。
身近に心が疲れている人がいるのは、とても疲れることだ。周囲の人の苦労も分かる。私自身、「周囲の人」の側を経験した。それでも、待つことが必要だと思う。

最初は純粋に「元気になってほしい」という気持ちなのだろう。それでも相変わらずしんどそうにされると「こっちだってしんどいよ」という気持ちになる。最終的には「心配してやっているのに」という怒りの感情が芽生え、禁断の言葉を口にしてしまう。かくして人間関係が崩壊する。

結局、私は両親との関係を改善できた。双方の若干の歩み寄りもあった。私が余計なおせっかいを生じさせぬよう、心配させるような言動をしないよう気を付けている、ということもある。このためには独り暮らしが必須だ。
両親は相変わらずせっかちなおせっかいだ。要するに、自分のアドバイスがちゃんと役立っているか、確認しないと気が済まないたちだ。これは、もういい。還暦の二人に変化を求めるのは酷だ。私が変われば済む。

変われば済むのが、私だけならいいのだが……あいにく私はひとりっ子ではない。

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