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失われないランドセル文化の先に

D2C(Direct to Consumer)という言葉は流行りを超えて、いよいよビジネスの場に定着し始めましたが、日本ではまだ目立ったブランドがありません。リアルに良いものが溢れる日本で、新しいブランドはどのような形になるのでしょうか。いま勢いのある「objects.io」を見ていると、ランドセルが一つのヒントになる気がするのです。

培われてきたもの

 8月、岐阜県本巣市が取り組む「ノーランドセル登下校」が話題となった。市内の8つの小学校において、ランドセルを使用しない、リュックサックなどでの通学が推進されたのだ。夏の気温上昇が進む中、岐阜県では38℃を超える猛暑日が観測されている。背中に熱のこもるランドセルが熱中症の発生リスクを高めることは、誰もが容易に想像できる。おまけにランドセルは大きくて重たい。たくさんの教科書を入れたランドセルは5kg近くにもなって、このコロナ禍で手放せなくなった水筒の重みも加わって、炎天下を背負って歩く子どもたちの体力を着実に奪うだろう。

 それでも、自治体がわざわざキャンペーンを打たなければ止められないほどに、ランドセルは深く日本社会に根付いている。これまで幾度となく廃止の声が上がっている一方、今も小学校入学前の幼児はランドセルに憧れ、両親や祖父母はその期待に応えようと奔走する。

 この歴史は、明治20年(1887年)の学習院に始まったとされている。それまでも、特に軍ではいわゆるバックパックが重宝されていたけれど、初代内閣総理大臣・伊藤博文が後の大正天皇である嘉仁親王に入学祝いとして献上した通学用の鞄が、それに倣って、今と同じ箱の型をしていたそうだ。ランドセルという言葉は、オランダ語でバックパックを意味する「ランセル」から来ている。当時は高級品だったランドセルも、昭和30年代の高度経済成長期を経て、広く庶民に普及するようになった。

 今人気のあるランドセルメーカーは、いずれもこの頃に創業している。革工房山本は昭和24年(1949年)、池田屋は昭和25年(1950年)、土屋鞄製造所は昭和40年(1965年)。職人の手によって作り込まれる本格的な革製品は、多少値が張るものの、入学祝いとしての価値を持ち続けているから特別なものとして選ばれる。130年に亘って継承されているのはその形だけではなくて、ここに込められた、子どもの成長に対するお祝いの気持ちだったりもするのだ。

 だからランドセルは失われない。どの自治体も小学校もランドセルの使用を強制してはいないけれど、代わりがナイロンのリュックサックでは、何となく申し訳ない気持ちになってしまう。ランドセルはランドセルのままが良い。とは言っても、もちろん時代に合わせて変化するところもある。例えば、以前は赤と黒の2色が原則だったカラーリングも、今や数えきれないほどに多彩な展開を見せている。これはジェンダーの議論とも重なって、赤よりも紫や水色、茶色を好む女子を中心に、多様性を認め合うことの大切さを知るきっかけになるだろう。

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これからへの展開

 昨今のものづくりは、使い手の多様性に応えるべく、D2C(Direct to Consumer)ブランドの躍進が著しい。企画・製造からEC販売までを一貫して行うことによって、個客の声を聞こうとする姿勢は、同時に彼ら彼女らに自社のストーリーを直接届ける機会を増やし、両者の間に強固な信頼関係を築く。それはアーティストとファンとの関係性にも近く、既存の大手企業では手が回らなかった細やかな対応を可能とするだろう。

 D2Cの中心はアメリカだけれど、日本にも一部の流れがある。その代表が株式会社Zokeiが展開するobjects.ioかも知れない。クリエイターを主なターゲットに、洗練されたデザインのリュックサックや革小物を作る同ブランドは、土屋鞄でランドセル職人を勤めていた角森智至氏らが独立されて手掛けられている。そして、子どもたちのランドセルに対する想いを誰よりも理解する角森氏は、今も「たった一人のためのモノづくり」を謳われている。幼い頃のランドセルほどでは無いにしろ、私たちはようやく手に入れたものを、使い込んで、自分だけのものにしていきたいと思っている。それに寄り添ってくれるのがobjects.ioの製品だったりするのだ。

 このブランドの特徴の一つに、ジェンダーレスがある。シンプルさが際立つデザインは男女が共に美しいと感じるものであって、色は黒と白が基本。他にあってもグレーやネイビーといった、使う人の性別を選ばない色ばかりだ。色を増やすランドセルとは反対に、色を絞ることで多様性を受け入れようとする態度が面白い。実際、ポップアップストアで店員さんに話を伺うと、男女を問わず同じ色に人気が集まるそうだ。

 海外から持ち込まれた手法を自国文化に取り入れるのが得意な日本は、大陸由来の革の加工技術を磨き上げ、ランドセルという独自文化を醸成した。その過程で作り込まれた本質を見抜き、表現は時代に合わせて変化させていかなければならない。objects.ioはそれを体現されているのではないだろうか。ランドセルの機能面だけを見ていても、それが無くならない理由は分からない気がする。


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