見出し画像

曜日というリズム|水曜日は働かない

Webメディアのサービス停止が相次ぐ中、一方でデジタルコンテンツを再編集した書籍の発刊も多く見られます。偶然にも「曜日」をタイトルに使った2冊から、リズムを取り戻すということの大切さに気付かされると思うのです。

 Webメディア・cakesがこの8月を以てサービスを終了するという。運営会社であるnote株式会社は事業の主軸をもう一つのサービス・noteに移すことを決めたのだろう。この流れは2020年の社名変更からも見てとれる。当時より議論されてきたプラットフォーマーとコンテンツプロバイダーの兼業は、やはり時間を掛けても解決に至らなかったのだろうか。この間、世界最大のプラットフォーマーであるAmazonがPrime Videoに質の高いオリジナル作品を充実させていることを思えば、それは単に企画・編集部門の力不足という問題をすり替えているに過ぎないのかもしれない。他にプラットフォームを提供しているかどうかに関わらず、BLOGOSSlowNewsといったWebメディアが相次いでサービスの終了を発表している。と同時に、残念ながら、過去に公開されたコンテンツも失われていくことになるだろう。

 地球資源の保護を目的に、私たちは消費の在り方を見直そうとしている。食べ切れないほどの食事を避け、ワンシーズンしか着ることのできない服を嫌い、モノと長く向き合うことを当然のように思い始めてる。しかし、ことデジタルコンテンツに関しては、そうでも無いようだ。タイムラインに溢れる情報の上澄みだけをそっとすくい、残りがどこへ消えていくのかなんて気にしていない。瞬間風速を狙った情報発信は、下手な鉄砲も数撃てば当たるという周回遅れの概念を今にとどめている。辛いのは作り手ばかりだろう。いくら時間を掛けて作り込んだコンテンツも、正しく読まれるだけの時間を与えられず、あっという間にインターネットの深い海の底へと沈んでしまうのだ。そして配信メディアの終了とともに、完全に失われる。

 テキストが浪費されている。これは特に批評・思想界にとって由々しき事態に違いない。例えば、評論家・宇野常寛氏は「遅いインターネット」という概念を提唱することで必死に抗おうとされてきた。書くことよりも、まずは読むことを重視して、私たちにデジタルコンテンツの本質に近づく方法を伝えようとされてきた。そんな宇野氏は最近、ご自身がWebメディア・HB(現在はnote上に展開)に掲載してきた論評を一冊の本にまとめられている。フローとして流れゆくデジタルコンテンツをストックとしてとどめるためには、いまだ物質化が最適なのだろう。モノになれば必然的に大切にしようとする私たちがいる。それは『水曜日は働かない』(ホーム社)と題された。

 この挑戦的なタイトルに、何も宇野氏は休みを増やして、しっかりと読む時間を設けようと促しているわけではない。思想を実装に落とすために、自らが生きるために始めた朝のランニングが水曜日を休業日に落ち着かせ、結果として見えてきた世界を私たちに伝えようとされているに過ぎない。これがを「オンとオフ、昼と夜に境界線を引かないこと」だと表現されていて、ハッとする。働かない時間を能動的に定めれば、自由時間ばかりを目指す受動的な生き方から離れることができるのだ。

 同じように、デジタルコンテンツをまとめて書籍化されたものに『いくつもの月曜日』(Lobsterr Publishing)がある。イノベーションファーム・Takram佐々木康裕氏を中心とした3名で発行されているニュースレター・Lobsterr Letterは、サブスクリプションという性質上、Webメディアよりは丁寧に読まれているはずだけれど、一冊の本となることで何度も読み返すことのできるストックへと変化した。冒頭の「はじめに」で、ニュースレターは「3週間に一度回ってくる当番制の宿題」と言い当てられている。デザイナー・原研哉氏はこれを「仕事というより散歩の習慣か、あるいはランニングにはまるようなもの」と解された。著者のお三方はそれぞれのリズムで、いくつもの月曜日を刻まれたことだろう。そしてそれは、オンとオフの境界線を融かす行為だったに違いない。

 月曜日と水曜日。デジタルコンテンツを再編した二つの書籍が、共にタイトルに曜日を取り入れたのは偶然なのだろうか。本来、ただの記号であるはずの曜日は暗黙的に意味を纏っている。月曜日は良くも悪くも気持ちの入れ替わりを意識させるし、水曜日はちょっとした怠惰や倦怠感を匂わせる。そしてこれらは一定のリズムを刻んで繰り返される。この周期に楔を打ち込もうとするのが両著の共通点だろう。時の流れに無意識に身を任せていては、自分の考えを見失ってしまう。そう思うと、Webメディアが失墜していく理由も分からなくはない。インターネットの世界で日々流れる情報は増え続け、もはや濁流のようにリズムを伴っていない。この中で溺れたいなんて誰しも思っていないだろう。私たちは自らが好きなテンポで、好きなリズムを刻みたい。そのためには、オンとオフの間程度の習慣が求められていると思うのだ。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?