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ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家(シネアスト)

ポップコーンは買わない。vol.143


カルチャーを語るときに生じるハードルを超えるかくぐるか。どっちでもいい。

この一年ちかく、ジャン=リュック・ゴダールについて触れる機会が増えたというか、コンテンツとしても目にする機会が増えた。
それはやはり彼が2022年9月に亡くなってから、過去作のリバイバル上映だったり、本作であったり、先月も遺作となった短編が公開されたりと、依然としてゴダールにまつわる情報は尽きない。自分が後追いなので過去の情報の多さに気づいたということだ。

作品や、有識者の言論に触れれば触れるほどゴダールそのものへの興味がどんどんと湧いてくる。

正直なところ
「勝手にしやがれ」「気狂いピエロ」「ウイークエンド」「ゴダールの探偵」しか観たことがない。笑
それも全て劇場でのリバイバル上映での鑑賞だった。

比較的小さな映画館で、古いフランス映画を見ている時間ってなんでこんなに多幸感あるんだろうって思う。

上記のどの作品も観ている間は多幸感に満ち溢れていて、ずっとこの時間が続けばいいのにって思っていた。

ゴダールの映画って物語を追おうとすると疲れるので、衣装や景色、台詞回しやカメラワークなど、フィクションや非日常を楽しむ要素が散りばめられているので、それを観て楽しんでいる感覚がある。

気狂いピエロなんてまさにそういう映画だと思うし、公開当時の話を聞けば、劇中に登場したクマのぬいぐるみが爆売れしたとか。服装や髪型を真似する人が増えたとか。それは日本での話らしいけど。
日本の特に女性の消費文化の面白さを気狂いピエロから紐解いているポッドキャストあったりして面白く聴いた記憶がある。

ゴダールはミソジニストであったとも言われている。嫌悪といっても、逆に言えば恐れていた、崇拝していたというニュアンスにも近いのではないかと思っている。だからこそ彼の映画の女性は魅力的に映せたり、その反動で映画の中で痛めつけられたりできるのかなと思ったり。

思想に関しては、聴いた話と主観も混じっているので、これから勉強しなくてはと思っている。

最近劇場公開された、「枯れ葉」という作品。

フィンランドの作品ですが、雰囲気がゴダールの作品に近いものを感じた。と思った途端、劇中に出てくる映画館でのシーンには気狂いピエロの広告ポスターが貼ってあったりして、わ!やっぱり!と思わせてくれたり。時代設定としてはウクライナ戦争のニュースが流れたりするので最近だと思うのだが、70年代かって思うくらいのノスタルジックな雰囲気と洗練されてる映像がグッときた。最高でした。

現代でゴダールみのある映画を観ることができることへの意外性、喜びは当時でも新しく映ったのだろうが、現代でもそのフォーマットが古びておらず新しいとして捉えられていることに何かの可能性を感じた。

個人レベルで活用できる話ではないとおもうが、これはいい発見だったかもしれない?と思って心の中に名前をつけて保存することにした。

本作では、ゴダールの作品に出ていた演者のインタビューを基に作られた映画で、あんまり記憶に残っていないのだが笑←
なんとなく覚えているのは、ゴダールが、作品のためならどんなこともでも厭わない感じ、?傲慢さ?ワンマン的な?ニュアンスが際立っていたように思える。

現代に置き換えると、庵野秀明のような感じだろうか。
シン・仮面ライダーのドキュメンタリーが話題になっていたことも記憶に新しいが、自分が納得のいく映像、それに伴う演者への要求、演者のポテンシャルの限界、チームで作っていくからこその協調の難しさ、どれだけ我を通すか。オタクであるからこそのこだわりの強さは時に人を疲弊させることがある。

ゴダールと庵野の共通点を調べてみても面白いかもしれない。笑

最後に

ゴダールの作品を観ること、彼を知ることはカルチャーのシンボルとしての厚みがあるのでやってて多幸感が上がることもあるだろうし、ストラップとして吊り上げることの優越感みたいなことも事実あると思う。

ゴダール以外にもそういうシンボルとなる人物、作品いっぱいあると思う。時にわたしなんかはあんまり知らないのに語るのはどうなんだろうと自問することがある。もちろん語っていいと思うしかつての日本女性のゴダール消費があったように誇っていいと思う。が、わたし自身は性格的に色々みながら、調べながらゴダールが好きであることに自信を持とうと思う。

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