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片袖の魚

自分を不完全な存在だと思い込むトランスジェンダーの女性が新たな一歩を踏み出そうとする姿を描いた短編映画。詩人・文月悠光の詩を原案に、ゲイ老人の性と苦悩を描いた「老ナルキソス」で高く評価された東海林毅監督がメガホンをとった。トランスジェンダーの新谷ひかりは、周囲との間に言葉にできない壁を感じながらも、同じくトランスジェンダーの友人・千秋や会社の上司である中山、同僚の辻ら理解者に恵まれ、東京で一人暮らしを送っていた。そんなある日、出張で故郷の街を訪れることになったひかりは、高校時代の同級生・久田敬に現在の自分の姿を見て欲しいと考え、勇気を出して連絡するが……。自身もトランスジェンダーであるファッションモデルのイシヅカユウが映画初主演を務めた。
映画.comより引用

上映期間も場所も限られているため、劇場で観れた人は少ないと思われる。

私も図らずもという形で鑑賞できた。その日はたまたま映画館に入り浸る日だったので、たまたま上映していた本作を3本目として鑑賞したのだった。

本作は34分の短編。映画と思ってみるとあっという間に終わってしまうが、中身は濃いものだった。

トランスジェンダーの方自身が演じるトランスジェンダーの役は説得力の塊だった。

ミッドナイトスワンとかリリーのすべてとかあるけど、役者自体はそういう訳ではなかったりする。

当事者による体験からの演技だから感情がどう動くのかがよく伝わってきた。

でも果たしてこの映画が果たす役割ってなんだろう

マイノリティのために優しくするということではないような気がしてて、むしろ分け隔てなく利他的に接していくことなんじゃないか。

それが結局は社会の雰囲気になっていく訳だから。

システムとかの話ではない。ひとりひとりの心がけ次第。

道徳は改めて勉強することは必要なんじゃないかって思う。


自然界では性が入れ替わる生物が存在する。人間もその生物の括りの中にいるのに、どうしてそれを変だと思うのか。姿形が違うことで共通性を見出すことができない、共感できないのはあまりに愚かだ。

主人公は数少ない共感できる相手が魚だったのかもしれない。

人間であれ、虫であれ、魚であれ、同じ生物なんだから互いに共生しあっている意識を忘れてはいけない。人間が全てをコントロールしていると思ったら大間違いだ。

そんなやつが多いから、世の中って生きづらいのかなぁ。


正直私自身、読み取ることができてない部分が多い。原作の文月悠光さんの詩なんかも言い回しが難しく感じてしまって、よくわからないのが本音だ。

できればもう一度この作品を見たいのだが、どこかで配信してくれないだろうか。笑

原作も含めて改めて読んでみて見てみて考えを深めていきたい。


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