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「かっこいい」「格好いい」「カッコイイ」、どれが好き?

『築地本願寺新報』で連載中のエッセイストの酒井順子さんの「あっち、こっち、どっち?」。毎号、酒井さんが二つの異なる言葉を取り上げて紹介していきます。今回のテーマは「漢字」と「ひらがな」です(本記事は2024年6月に築地本願寺新報に掲載されたものを再掲載しています)。

 日本語は、漢字とひらがな、そしてカタカナという三種類の文字を使用して表記する言葉です。外国の人にとっては、だからこそ難しいのだそうですが、我々にとっては生まれた時から日本語を読み書きしているので、「そんなもんだ」と、特に違和感なく過ごしているのです。
 
 三種類の文字の中で私が最も好きなのは、漢字です。お習字を習っていた頃も、かな文字で和歌をさらさら書くよりも、漢字をぐいぐい書く方が楽しかった。もともと、丸より四角、曲線より直線を好む傾向があるせいか、漢字の角ばった感じに、恰好よさを感じるのです。
 
 書く文章においても、そんなわけで私は漢字を多用しがちなのでした。たとえば「恰好よさ」と先ほど書きましたが、「恰好いい」という言葉は、「かっこいい」と書いても「カッコイイ」と書いても、意味は通じます。が、やはりここでも「恰好」という漢字を使いたくなってしまう。
 
 そんなに漢字が好きならば「恰好良い」と書いてもいいではないか、という話もありましょう。しかしそれだと何となく漢字過剰な気もして、「恰好いい」程度におさめているのでした。
 
 それというのも私は、若い頃はもっと漢字好きで、漢語的表現も好んで使っていたのです。自分が血気盛んな分、漢字の力強さをてんこ盛りにしたい、と思っていたのでしょう。
 
 しかし年をとるにつれ、私の中では漢字に対するてんこ盛り欲求が、少し薄れてきたようなのです。「例えば」ではなく「たとえば」と書きたくなったり、「私」を「わたし」と書く時があったり。漢字をひらいて(「ひらく」とは、漢字をかなで書くことを意味する、おそらくは出版業界用語です)みてもいいかも、と思う時が、増えてきたのです。
 
 これが「丸くなる」ということなのかも、と私は思ったことでした。
「あの人も、年をとってずいぶん丸くなったねぇ」
 などと言われる人がいますが、往々にして人は、加齢とともに性格の過激だったり過剰だったりする部分が削れてくるもの。私の場合は、それが漢字愛好の気分にあらわれているのかもしれません。
 
 また漢字は、文字それぞれに意味があり、一文字ずつ独立して書かれるものです。対してひらがなは、一文字では意味をなさず、他の文字とつながることによって、意味を得る文字。筆で書く時も、かな文字は連綿とつながっていくのです。
 
 この、他者とのやわらかなつながりというのも、今の私が求めているものなのかもしれません。年をとって自身の弱さが見えることによって、手と手を取り合うことの重要性が骨身にしみてきた、と言いましょうか。
 
 とはいえ、漢字好きの性質が消えてしまったわけではありません。やわらかなひらがなやかりっとしたカタカナの中に、骨のように硬い漢字が存在するのが、日本語の美しさ。漢字が消えてしまったら、それはそれで読みにくいのですから。
 
 身体の中でやわらかな脂肪が次第に増えてきた年頃になって、やわらかなひらがなの分量が増えてきた私の文章。脂肪の率はこれ以上増やしたくないけれど、ひらがな率はもう少し増えてもいいかもね、と思っているのでした。
 
酒井順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト。1966年東京生まれ。大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。2003年に刊行した『負け犬の遠吠え』がベストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。近著に『枕草子(上・下)』(河出文庫)など。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。


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