見出し画像

「太った?」 という発言が与える、強烈さ

『築地本願寺新報』で連載中のエッセイストの酒井順子さんの「あっち、こっち、どっち?」。毎号、酒井さんが二つの異なる言葉を取り上げて紹介していきます。今回のテーマは「太る」と「やせる」です(本記事は2021年12月に築地本願寺新報に掲載されたものを再掲載しています)。

   久しぶりに会った老紳士に、開口一番、
「おお、太ったね!」
 と言われました。その瞬間、私の中で湧き上がったのは、何やら懐かしいようなショックのような、複雑な気持ち。

 その紳士と最後に会ったのは、もう20年以上前のことでした。その後の自分が、中高年らしく着々と脂肪を蓄えたことは、自覚しています。

 しかし今の世の中では、容姿に関する素直な感想を口にするのは、タブーとされています。たとえ相手が明らかに太っていたとしても、「太ったね」とは言わないことが、社会の約束になっている。そんな中での「おお、太ったね」だったので、私はびっくりしつつも「今の世の中、こういった"正直な感想"を聞く機会が、ほとんど無くなっている」とも思ったのです。

 昭和の時代までは、太っただのやせただの、毛髪が増えただの減っただのと、相手の容姿はお天気と同じくらい、ポピュラーな話題でした。しかしセクハラ概念が広がるうちに、「相手の容姿に触れることはタブー」という意識が広がることに。だからこそ私は、久しぶりに会った老紳士の発言に対して、懐かしさと同時にショックを覚えたのです。

 同時に私は、ようやく真実を知ることになりました。誰も体型のことに触れないので、「若い頃からあまり体型は変わっていないのでは?」などと信じ込もうとしていたけれど、老紳士の言葉によって、本当はみんな「太った」と思っていたのか、と気づいたのです。

 その老紳士は、オーバー80歳の方。他人の容姿に触れることがタブー化したという事実をあまり体感していないと思われ、だからこその忌憚のない発言だったのでしょう。本当ならその発言に対して「セクハラですよ」と言わなくてはならないのかもしれませんが、さすがに20年ぶりに会った時の第一声が「セクハラですよ」になるのは、憚られた。

 特に今、太った・やせたといった話のタブー感は、激しくなっています。コロナの波が来たり引いたりしている間、コロナ太りした人もいれば、コロナやせした人もいました。久しぶりに会った人の容姿が激変していて、「あ!」と思うことは多いものの、しかしそのことについて触れるのは禁物なのです。やせた人に対して、褒めているつもりで「やせたね」と言ったら、相手が体調を崩していた、といったこともあるのですから。

 太ったりやせたりしたことを自分で自覚している人は、「太っちゃって、嫌になっちゃう」 と、自分でカミングアウトするケースもあります。しかしこれもまた、対応が難しいのでした。「そうね」と言うわけにもいかず、「気づかなかった」とか「全然そんなことないよ」と言うのは、嘘くさい。どう対応していいのか、ドギマギすることになるのです。

 やはり容姿の話題については、よほど腹を割って話すことができる人以外の前では、触れない方がいいのでしょう。「あ」と気づいた側も、太ったりやせたりしたことを自覚している側も、容姿についてはスルーすることによって、その場の平穏は保たれる。

 私も、老紳士の「太ったね!」というポロリ発言を実は気にしていて、今は鋭意ダイエット中。とはいえなかなかやせないのだけれど、「思ったままの発言」の強烈さを、久しぶりに実感しております。
 
酒井順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト。1966年東京生まれ。大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。2003年に刊行した『負け犬の遠吠え』がべストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。近著に『処女の道程』(新潮文庫)など。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。

この記事が参加している募集