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「満」や「密」な状況がもたらす、濃厚な時間もある

『築地本願寺新報』で連載中のエッセイストの酒井順子さんの「あっち、こっち、どっち?」。毎号、酒井さんが二つの異なる言葉を取り上げて紹介していきます。今回のテーマは「満」と「空」です(本記事は2022年6月に築地本願寺新報に掲載されたものを再掲載しています)。

 このゴールデンウィークに、浅草に行く機会がありました。久しぶりに行動制限の無い大型連休ということで、混んでいるであろうことは間違いない。覚悟をして行ったら、やはり浅草は人また人で、食べ物屋さんなども大繁盛です。
 
 様々なお店の前に行列ができていたり、「ただいま満席です」という札がかかっていたり。コインパーキングにも軒並み、「満」のサインが出ています。
 
 そんな浅草の街を歩きながら、私は「満という字を、久しぶりに見た気がする……」と思っていたのでした。東京に住む人というのは、もともと「満」状態に慣れています。満員電車は毎日のことですし、人気のあるレストランやライブや芝居はいつも満席。東京という街自体が、「満」状態なのです。
 
 しかしコロナ時代となってから、「満」のムードはほとんど感じられなくなり、街は「空」だらけとなりました。映画館や劇場などは、一席おきに空けて座るシステムとなりましたし、街の人出もぐっと減少。外食をする機会も激減し、飲食店の方々は四苦八苦していたのです。
 
 私としては、劇場などの一席おきに座るシステムについては、「ああ、このまま続いてくれればいいのにな」と思ったこともありました。隣の人のことを気にせず、ゆったりと舞台を見ることができるからなのですが、しかしそのようなことを続けていては劇場の収益が上がりません。今は一部を除いて元に戻ったのであり、そうすると満席の劇場はやはり人のエネルギーに溢れ、舞台上の演者も乗ってこようというもの。

 このように久しぶりの「満」状態を経験すると、「活気があって、いいものだな」という気持ちになってくるのでした。コロナ初期、「満」の状態は、「密」と言われて忌み嫌われました。最もピリピリしていた頃は、少しでも人が集まると、
「密です!」
 などと言われたもの。そう言われると人々は集まることができず、じわじわと距離を空けていたのです。

 しかし久しぶりの街の賑わいを見ていると、「満」と「密」というのは違う、という気分になってきました。満ちている状態というのは、たっぷりと豊か。行列ができているお店で忙しく働いている人々も、やる気に「満」ち溢れているのであり、見ているこちらも嬉しくなってきます。

 このようなことに気づくことができたのは、我々がコロナによって一度、「空」で「疎」な状態をさんざ味わったからなのでしょう。どこへ行っても人と人との間に距離を取り、人がたくさん集まることは禁じられる…… という日々が長く続いたからこそ、久しぶりに体験した「満」の意味やありがたみが、浮かび上がってきたのではないか。

 考えてみれば「密」という文字も、悪い意味を持っているわけではありません。みっちりと中身が詰まったムードを醸し出すこの字の意味は、人間にとってそもそも必要な状態ではなかったか。「密」の字もまた、コロナの被害者である気がしてきます。

 「満」な状態を享受することができる時は、この先も続くのか。それともまた、元に戻ってしまうのか。早く「密」という字が復権し、満で密な状況がもたらす濃厚な時間を、安心して味わいたいものだと思います。
 
 
酒井 順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト。1966 年東京生まれ。大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。2003 年に刊行した『負け犬の遠吠え』がべストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。近著に『うまれることば、しぬことば』(集英社)など。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。