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親鸞聖人の筆からビームが出た?【第12回】川越山 無量寿院 正浄寺(栃木県大田原市)

今年3月に行われた京都の西本願寺で「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」が勤められたことを記念して、宗祖・親鸞聖人(1173-1263)が関東の地に残された由緒を伝える「ご旧跡」を、令和の時代に昭和の香りを残すおじさん僧侶2人が巡ってみました。今回は、佐貫草庵別伝地・佐貫観音(栃木県塩谷町)です。

ご旧跡紹介 

 1214(建保2)年、親鸞聖人は布教の際に、那珂川水系箒川のほとり、佐久山(現・栃木県大田原市)をお通りになった。

 増水で川を渡れなかった聖人は、同地の孫八宅にお泊まりになった。ちょうど幼子を亡くしたばかりだった孫八は、その夜の説法に感じ入り深く帰依した。やがて川の水が引き、親鸞聖人が対岸に渡り切ったその時に、感極まった孫八は、大きく声をかけ手を振った。
 
 すると聖人は孫八に布を持ってくるよういいつけ、孫八が持ってきた布に向かって、対岸から南無阿弥陀仏と空中にしたためた。すると孫八の持つ布に、川を越えて阿弥陀如来の絵像が写ったという。これが今に受け継がれる」である。

 孫八が建てた小堂は、2度にわたり衰微したが、1798(寛政10)年、佐久山領主・福原内匠資明が寺領を再興し仏舎を再建。住職には西本願寺の役僧だった西山源慶が就き、寺号を正浄寺とした。現在の本堂は、1869(明治2)年から10年がかりで建立したもの。総欅造りの材木は、箒川の上流・塩原温泉付近から切り出した大木を、北陸からの移民を中心とする門徒が川を堰き止める「流し運搬」という大仕事で運んだという。

現地ルポ

 その本堂には本願寺第2代・如信上人作と伝わる親鸞聖人像や、第3代・覚如上人作といわれる聖徳太子像などが安置されているほか、宮大工・阿久津仁吉が3年かけて刻んだという色鮮やかな牡丹や龍の彫刻が見られます。境内の親鸞聖人像は、国宝「鏡の御影」を再現立体化した「川越之像」と呼ばれるもの。どれも意匠が凝らされています。

 また、正浄寺には1765(明和2)年仙台侯寄進の銘が入った笙があり、その頃から伝わっているとみられる雅楽は、栃木県と大田原市の指定無形文化財となっています。西山住職が地元の小学校に教えに行き、春と秋の彼岸法要では正浄寺雅楽保存会と小学生が奏楽します。 

旅ある記

藤 今回「川越の阿弥陀如来」を拝観することはできませんでしたが、西山住職は「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年に合わせて、今年どこかのタイミングでお披露目できたら」とおっしゃっていました。
星 実現したら嬉しいニュースですよね。先ほど見せていただいた川越の阿弥陀如来にまつわる御絵伝も魅力的でした。親鸞聖人の筆からビームのようなものが出て……。
藤 ……ビームじゃないんだけども。川越の阿弥陀如来は何度か売られそうになって、その度に買い戻されてここに伝わるというお話もいいじゃないですか。
星 そしてここでも再建を支えた方々が北陸からの移民だというお話にも興味をひかれました。北陸移民のお話は唯信寺(=7月号参照)や豊安寺(=11月号参照)でも出ました。
藤 あとこの彫刻! この牡丹、どうやって彫ったんだろうねえ。ずっと見ていられますね。
星 私は新幹線の時間があるのでお先にドロンしますね。
(藤本真教・星顕雄)

公共交通機関でレッツアクセス!
〒324-0032 栃木県大田原市佐久山1301
電話 0287-28-0051
FAX 0287-28-3181
築地→(東京メトロ日比谷線・北千住方面・170円)→上野→(東北新幹線指定席・4 8 1 0 円)→宇都宮→(JR宇都宮線・黒磯方面行)→野崎→(車で10分)→正浄寺
※参拝には事前連絡が必要

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。

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