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「お忙しいところ、申し訳ありません」というフレーズを、なぜ我々は多用するのか。

『築地本願寺新報』で連載中のエッセイストの酒井順子さんの「あっち、こっち、どっち?」。毎号、酒井さんが二つの異なる言葉を取り上げて紹介していきます。今回のテーマは「忙」と「閑」です(本記事は2023年6月に築地本願寺新報に掲載されたものを再掲載しています)。

 大人はしばしば、他人を「忙しい人」と決めつけることがあります。会話の中でも、メールなどの文書においても、相手に何か頼み事をする時などは、
「お忙しいところ、申し訳ありません」
ということになりますし、
「どう?忙しい?」
というフレーズは、ちょっとした挨拶のようにもなっている。

 たとえ本心では、「この人はそんなに忙しくないはず」と思っていても、
「おヒマかなと思ってご連絡しました」
 などと言う人はいません。社会人としてのマナーもしくはサービス精神のようなものが、「お忙しいところ、申し訳ありません」と我々に言わせるのです。

 「『忙』という字は、心を亡くすと書きます。だから、忙しいのは良くないことなのです」
という話を聞いたことがあります。確かに、心身を壊すほどの多忙は避けるべきですが、しかしそうではない適度な忙しさは、むしろ心身の健康に良い気がしてなりません。

 働いている人にとっては、ヒマでいるよりも忙しい方が、"繁盛感"が出るもの。だからこそ我々は働く人に対しては特に、
「お忙しいでしょう?大変ですね」
と、力説するのです。

 その昔は、することがなくて遊んでばかりいるお金持ちの主婦のことを、「有閑夫人」と言ったのだそう。それは決して褒め言葉ではなかったわけで、ヒマというだけで人は揶揄されなくてはならなかったのです。

 実際、ヒマな時よりもほどほどに忙しい時の方が、精神の状態は良好なことが多いのです。日々、何やかやとりまぎれていると、余計なことで悩む時間がなく、身体も疲れるのでぐっすり眠ることができるもの。対してヒマな時は、考えても仕方がないような将来の不安や、過去の恥ずかしい出来事などが次々と浮かんできて、寝付けなかったりするのですから。

 忙しい時は、「もう少し時間があったら、この本を読んだり、あの映画を見たりしたいのに」と夢想するものです。が、いざ時間ができると、いっこうに本も映画も進まずにYouTubeばかり見てしまい、自己嫌悪に陥ることも(いやもちろん、YouTubeにも有意義なチャンネルはありますが)。

 そうしてみると、何も強制されない状態でヒマな時間を使いこなすというのは、かなり高度なテクニックのように思うのです。ヒマの使い方が難しいからこそ、人は学校や会社に通うなどして、強制的に時間を大量に使っているのではないか、とも思えてくるほど。

 新型コロナに対する緊急事態宣言の終了がWHOから発表されましたが、その後もリモートワークを継続して認める企業も、かなりあるようです。これからは、会社員だからといって自分の時間を会社に管理されるのでなく、「忙」と「閑」の配分を自分で決めることも可能な時代になるのかもしれません。

 居職生活が長い私は、コロナ初期、「ずっと在宅勤務をしてて偉い!」と、会社員の友人に言われたことがあります。彼は、在宅勤務になった当初は嬉しかったけれど、次第にどう区切りをつけていいやらわからなくなってきたというのです。

 その時、会社員の長年の習い性を見た気がした私。会社からの束縛をいつの間にか愛している人は、意外と多いのかもしれませんね。
 
酒井 順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト。1966 年東京生まれ。大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。2003年に刊行した『負け犬の遠吠え』がべストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。近著に『日本エッセイ小史』(講談社)など。

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