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あの親鸞聖人も富士山に登った?【第18回】新倉山正福寺(山梨県富士吉田市)

来年4月に築地本願寺で勤められる「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」を記念して、宗祖・親鸞聖人(1173-1263)が関東の地に残された由緒を伝える「ご旧跡」を、令和の時代に昭和の香りを残すおじさん僧侶2人が巡ってみました。今回は、新倉山正福寺(山梨県富士吉田市)です。

ご旧跡紹介

 寺伝によると、富士山麓の正福寺は、まだ富士山が盛んに噴煙を上げていた807(大同2)年、真言宗の寺として建てられた。1228(安貞2)年、第9代道祐の頃、親鸞聖人が甲斐国に足を踏み入れられ、その折に聖人の人格と念仏のみ教えの素晴らしさに心打たれた道祐は、ご本尊を賜って浄土真宗に改宗、正福寺と号したという。

 室町時代、郡内(当時の当地)の守護職・遠山伊豆守重政が蓮如上人に帰依し、正福寺第13代住職となった。その頃の住職は、富士山別当職を任ぜられていたという。

 また、親鸞聖人が相模国から河口湖を経由して、勝沼等々力の萬福寺聖徳太子廟を訪ねた際、その途中の忍野村にある天野家は、一夜の宿を請われたと伝えられ、その際、親鸞聖人のみ教えに帰依した主夫妻は法名をいただいたという。天野家の持仏堂「安養軒」では、今でも毎年9月28日に正福寺と共に報恩講が営まれる。天野家には蓮糸で織った阿弥陀如来像、聖徳太子・七高僧および仏弟子を描いた「光明品」、そして十字名号の3幅が伝えられており、個人宅なので公開はしていないが旧跡として知られる。

 富士北嶺界隈には同様の伝承を持つお堂が複数存在しており、聖人の足跡を現在に伝えている。
 

旅ある記

藤 今回は、遠山章信住職をお迎えしてお話しします。これまであまり注目されてこなかった山梨と親鸞聖人の関係を伺えると楽しみにやってきましたが、多くの伝承があること
に驚きました。
遠 ええ。私は親鸞聖人が京都にお帰りになる際に、箱根のついでにいらっしゃったわけではないと思うんですよ。
星 どうしてですか?
遠 いろいろ調べると当時親鸞聖人は、船で移動されることが多かったわけですよね。相模川を上ってきて、それが神奈川県に転々と親鸞聖人のご旧跡と言われるところがある理由ですが、関東にいらした20年のうちに、相模川を通じて1回は富士山に見えているんじゃないかと思っています。また蓮如上人が、親鸞聖人が歩かれた跡をたどったということ考えると、蓮如上人が立ち寄っていらっしゃる話があるので。そうすると、真実味もあるように思います。学術的に確定はしていませんが。
藤 史実的にどうかは別として、800年間もそれを伝えてくれているということがありがたいですよね。
遠 それにはやはり、何かしらの親鸞聖人のご縁がなければね、残らないでしょう。
星 ところで来る途中に話していたんですが、富士山の大きさやたたずまいは、やはり他の山とは全く違いますね。
遠 一応、富士山を登ったっていう伝説も残っていますよ。富士山世界遺産センターに、富士山に登った著名人リストの中に親鸞聖人の名前があります。
星 ホントですか。雑談のつもりだったんですが……。
(藤本真教・星顕雄)

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〒403-0031 山梨県富士吉田市浅間1-5-38
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メール shofukuji@fgo.jp
築地三丁目→(都営バス都05-1東京駅丸の内南口行き・210円)→東京駅丸の内南口→(徒歩)→東京駅→(中央線特急かいじ号)→大月→(富士急行線河口湖行き・東京駅から合わせて3520円)→下吉田駅→(徒歩9分)→正福寺
※参拝には事前連絡が必要

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。

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