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知財活用の歴史を立体的な目線で振り返る

 今日はデザイン経営ではなく、知財に寄った話を。

 知財の世界に身を置いて、はや20年超。このくらい長くやっていると、だんだん昔話の語り部みたいになってくるのですが、知財戦略、知財活用、知財経営などなど…企業が知財制度をどう活用するかというテーマについても、いろんな議論や試行が繰り返されるのを目にしてきました。
 その大きな流れを振り返ってみたいと思います。

 というようなことを考えたきっかけは、少し前になりますが、特許庁が推進している「I-OPENプロジェクト」のレポートに書かれている、ある一節を読んだときに感じたちょっとした引っかかりにあります。
 このプロジェクトは、「企業をどう伸ばすか」ではなく「社会課題をどう解決するか」を起点にしている点(であれば対象は企業ではなく個人やNPOでもよいことになり、そられが主体になると知財は保護・参入障壁というより、より開かれたものになることが求めらるでしょう)が、ものすごく画期的であると思います。
 なぜならば、特に我々以上の世代は「企業が競争することで社会が前進する」ことを大前提に仕事をしてきたものの(誤解がないように述べておくと、決してそれが「金儲け=善」を意味しているわけではなく、収益拡大を目指して努力することが社会を前に進める力になるという考え方です)、その限界や綻びがあちこちで顕になり、これからを担う世代から「社会を良くする=社会課題を解決する」という経済活動本来の目的に立ち返り、社会や経済の仕組みを再構築しようとする動きが生まれてきている中、それが知財の世界でも表面化してきた、おそらく初めてのプロジェクトだからです。

 そういう意味では、これまでの「企業が競争することで社会が前進する」ことを前提にした様々な取組みとは根本的な前提を異にする、極めて重要な社会実験だと思いますが(そうした思考の過程を理解しないまま「競争に勝って稼がないと意味ないだろ」と話を戻す旧世代的思考にはうんざりしますが…)、その中での知財に関する見方について、この分野に長く関わってきた者としてちょっと引っかかる部分がありました。
 それは昨年春に発行されたI-OPENレポートに記載されている、こんな一節です。

 これまで独占的な権利である特許権を獲得するまでを重視するビフォー IP(IP= Intellectual Property、知的財産 ) 主導のプロセスが主眼であったとすれば、第4次産業革命後において重要になるのは何か。それはアフターIP、つまり知的財産権を取得することで、その知的財産を媒介にいか にしてイノベーションの創造と普及を育むエコロジーを生み出せるかに他ならない。

(特許庁発行「I-OPEN」レポート P.4より抜粋)

 「ビフォーIPからアフターIP」というこの一節が、なぜ引っかかるのか。

 それは自分が知財の世界に足を踏み入れた20年くらい前にも、こうした表現ではありませんでしたが、ビフォーIPからアフターIPへの意識変革が強く叫ばれていたことがあるからです。「特許は取るだけでは意味がない。活用してこそ意味があるのだ」と。
 知財の世界に足を踏み入れた当時の自分は、むしろその動きに違和感があり、それを逆転させるような活動(アフターIPではなくビフォーIPを重視する知財活動)に注力してきました。金融出身の経歴を見て、「土生さんは『活用』やってるんですか?」なんてよく聞かれましたが、そうじゃないんです、「取って活用する」のではなく「活用されるように取る」ということです、と説明していました。
 2000年代後半~2010年代半ばの企業の知財部門も、「保有する権利の活用」より「戦略的な権利の取得」を重視する方向に向かっていたように思いますが(「三位一体」とか言われてたやつです)、今はまた、自分を含めアフターIPの重要性に目が向けられるようになっています。

 つまり、「ビフォーIPからアフターIP」というトレンドは直線的に進んでいるわけではなく、時代とともに行ったり来たりしている、ということです。

直線的ではないビフォーIPからアフターIPというトレンド

 上の図はその大きな流れを示したものですが、企業の知財部門が「特許部」と呼ばれることが多かった時代は、独占的な地位を獲得し得る「広く強い権利」を取得すること(あるいは他を圧倒するような数の権利を取得すること)が、知財の世界における絶対的な価値観でした。
 今もその意味が失われたわけではありませんが、「権利の取得」が何よりも強く意識されていたのが①の時代です。

 ところが、権利の強さや数にばかり目が行き、事業との関係が十分に意識されていないと、権利の内容以前の問題として、そもそも事業に生かされていない「休眠特許」が蓄積されてしまうことになります。
 特に1990年代後半~2000年代前半くらいの時期はそこが問題視されることが多く、大企業の知財部門が「特許活用」と称してライセンス先を探したり、権利行使を積極化したりするような動きが見られたり、行政サイドも「特許流通促進事業」を展開したりしていました(②)。
 ①→②が第1次「ビフォーIP→アフターIP」です。

 しかし、問題は「特許が活用できていない」ことにあるのではなく、「活用できない特許を取得している」ことにあるのではないか。重要なことは、事業部門の戦略に沿った事業に活かされる権利の取得であり、事業部門と研究開発部門、知財部門が連携して戦略的に権利を取得していけば(いわゆる「三位一体」の知財活動、中小企業であれば社長の経営方針に沿った権利を取得すれば)、自ずと権利は活用されるはずである。
 つまり、目指すべきは事業計画とリンクした戦略的な知財活動にある(③)。
 第72代横綱稀勢の里(現在の二所ノ関親方)の師匠であった鳴門親方(第59代横綱隆の里)は、「まわしは取るものではなく『いただく』ものだ」と指導されていたそうですが、目先の成果に捉われず本質的に重要なことをしっかりやれば、結果的に必要な状況を作り出すことができるはず。
 そんな思想に基づくのが、②→③の「アフターIP→ビフォーIP」です。

 その後にやってきたのが、いわゆるVUCAの時代であり、戦略的知財活動の前提となり得るような精度の高い事業計画を、変化の激しい時代にそもそも策定することができるか、という問題が顕在化してきました。
 自分も以前は「知財戦略」をテーマに挙げることが多かったですが、2010年代後半くらいからか、「知財活用」の語を使うほうがしっくりくることが増えているように思います。
 そうした環境変化に伴う問題意識から生じてきたのが、政府の知財戦略ビジョンに示された「価値デザイン」の考え方や、経産省・特許庁の「デザイン経営」宣言といった知財政策の動きであり、その流れで登場してきた一つがI-OPENプロジェクトと言えるでしょう。
 そのあたりについてはマガジン「デザインと知的財産」の記事にもあれこれ書いていますが、ここにおいて知財の意味は変化し、正解が見えない環境下で知財を起点に探索的に新しい価値を創り出していく、アフターIP重視の流れが鮮明になってきます。
 ③→④の第2次「ビフォーIP→アフターIP」です。

 しかし、このビフォーIPとアフターIPのトレンドは、単純に行ったり来たりしているわけではありません。あたかも螺旋階段のように、ビフォーIPとアフターIPという区分とは異なる軸で、確かにある方向を目指して登っているように思います。

知財活用は統合的な方向に進化する

 一つは、知財による分離から知財による統合へ
 権利同士の関係、知財とその他の経営資源との関係、知財の保有者とそのステークホルダーや社会との関係など、ミクロからマクロまで、いずれも統合的な方向に進んでいるということです。
 知財制度とは、自社対競合、いかに競合より優位に立つかという二項対立の関係性を前提に整備された制度なので、この制度を使って企業価値をいかに高めるかという、自社中心、分離的な視点や意識が起点となりましたが、その制度から生まれた知財が、社会全体の価値を意識し、パートナーシップや共創による統合・調和の方向が意識されるようになっています。知財は他者との関係を分離する壁ではなく、統合の媒介や象徴として働くという、役割の転換です。
 尤も、今も知財の分野において、企業価値を前面に出した論調が少なくはありません。しかしながら、企業価値という視点から見ても、自社の利益だけを追求することが企業価値を高めるのではなく、その社会的な存在価値が企業価値に反映されるという方向に向かっていくのではないか。その点において、社会との関係性をも視野に入れた統合的な視点は不可欠です。

 二つめとして、こうした変化の背景に、知財という経営資源が、企業の競争力強化だけでなく、社会課題の解決に活かされることが、強く求められるようになってきている流れがあるのではないでしょうか。

知財を企業の競争力強化だけでなく社会課題の解決に活かす

 先に書いたように、これまで信じられてきた「企業が競争することで社会が前進する」という考え方を前提にした企業活動は、様々な綻びが明らかになってきており、そうすると知財を単に企業の競争力強化に活かすという思想だけでは、社会を前に進め、よりよいものにしていくことは困難です。そうした中で、社会課題を解決するために知財を活かすという視点の転換は、避けられない動きとなってくるのではないでしょうか。

 先日参加したあるプロジェクトでご一緒させていただいたプロジェクトデザイナーの萩原修さんが、「これからのプロジェクトは、企業の中にプロジェクトを作るのではなく、社会や地域のプロジェクトに企業が入っていくイメージで捉えることが必要」と仰られていたのがとても印象的でしたが、まさにその感じ。
 アフターIPといっても、知財を自社の利益のためにどう活用するかではなく、社会のどういう問題に対して自社の知財を投下することでどう解決できるか、というアプローチの転換が必要になってくるのではないかと思います。

 ここまでで言いたかったことを整理してみると、要するに、時代の変化に伴う知財の扱い方の変化は、ビフォーIPとアフターIPという軸だけでなく、時系列に沿った社会の変化の軸も加えて、立体的に捉える必要があるのではないか、ということです。

 こうした時系列的な縦方向の変化の他にも、ビフォーIPとアフターIPのどちらに重心が置かれるかで、知財の性質や位置づけ、捉え方にも変化が生じてくるように思います。
 すなわち、知財という存在は、ビフォーIPでは競合を意識した「武器」としての側面が強くなるのに対して、アフターIPになると活用される「資源」としての意味合いが大きくなります。

 つまり、ビフォーIPからアフターIPに重心が移行すると、知財活動においては、「武器」を磨いたり使いこなしたりするスキルに対して、有効な「資源」を掘り起こすスキルの重要性がこれまで以上に増してくるのではないでしょうか。
 戦略性や論理思考が要求される前者のスキルが、経営コンサルのスキルに近いのに対して、混沌とした中から何かを見つけ出して可視化する後者のスキルは、デザイナーのスキルに近いものがあるようにも思われます。知財とデザインが近づこうとしている背景には、そんな理由があったりするのかもしれません。

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