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写真のアイデンティティは「印象派とサカナクションに共通する何か」|#重要文化財の秘密 を見て
先日、国立近代美術館の「#重要文化財の秘密」を見てまいりました。
鮭〈高橋由一筆/油絵 紙〉が展示されていることで話題になってます。
![](https://assets.st-note.com/img/1683524671431-xACEpOxO3x.jpg?width=1200)
日本画から洋画、彫刻まで幅広く展示された本展。
休憩を取らずに見たら、MOMATコレクション込みで3時間かかったほどの大ボリュームでした。
徒歩移動に自信がある私でもヘトヘトです…が大満足。
様々な作品を観ましたが、やはりというか、印象派の影響をうかがえる作品に惹かれてしまいました。
絵画の取っ掛かりとして勉強したこともあるのでしょうが、「なにか強烈に引き付けられるもの」を感じるのです。
今日は、「この感覚サカナクションと共通しているのでは?」というお話し。
※掲載に当たって、美術館指定の記載事項に則り情報を記載をしております。
展示作品
まずはざっと、撮影可能かつ気になった作品のご紹介。
今村紫紅『近江八景』 東京国立博物館蔵
目を引く青の色使い、動と静の表現が圧巻。
![](https://assets.st-note.com/img/1683524420361-0ZxyoSQxOY.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1683524426454-zQ8NB5mODT.jpg?width=1200)
黒田清輝『湖畔』 東京国立博物館蔵
有名な1枚。
表情や色使いもさることながら、空気感が芦ノ湖畔そのもの。
私個人が箱根好きなのでお気に入り。
![](https://assets.st-note.com/img/1683524762845-wOcExp58jv.jpg?width=1200)
竹内栖鳳『絵になる最初』 京都市美術館蔵
習作のために呼び寄せたモデルが、脱衣の際に恥じらいだシーンを描く、という面白い切り取り方。
モデルの内面まで伝わってくるような作品。
![](https://assets.st-note.com/img/1683525085445-CfrgbVSdsR.jpg?width=1200)
鈴木長吉『鷲置物』 東京国立博物館蔵
彫刻には疎い私ですが、このディティールには目を奪われてしまいました。
羽毛1枚1枚のしなやかさ、鋭い眼光からまるで生きているのではないかと錯覚させられるほどのリアリティでした。
![](https://assets.st-note.com/img/1683525070785-1hg66HpTxA.jpg?width=1200)
展示の感想
私の主張の前に展示の感想を。
今回MOMATコレクションも込みで、日本美術史における重要な作品たちを一挙に観られたことは貴重な体験であると実感しています。
日本で生まれた、水墨画や屛風絵などの圧巻さ。
海外の油絵技法を、日本の文化に混ぜ込んだ挑戦。
そういった歴史をなぞることで、日本人としてのアイデンティティを強く持てるというか。
自らの出自を生まれていない年代から辿れた、そんな気でいます。
まだまだ日本の芸術に疎いなと実感させられたので、時間を作って勉強しようという気持ち。
金額以上(というよりこれで1,800円は破格)の美術展でした。
印象派に惹かれた話
ここからは私の頭の中の話。
上にあげた作品のほかにも、沢山の絵画・彫刻を目にしました。
なかでも印象派やその影響を受けた作品には、どこか惹かれるものを感じてしまいます。
上にあげた『近江八景』は印象派の筆触分割や点描の技術が用いられており、直感的な視覚に訴えかけてきました。
空気遠近法を活かした写実的描写というよりは、心象的な表現、写真でいうところの「記憶色」のような描き方は大好物です。
また黒田の『湖畔』は、人物の影に青や緑を用いていることが分かります。
モネやルノアールが用いた「色のついた影」に共通した、巧みな観察眼と心象的な描写の融合。
この色使いがあるからこそ、私をはじめ人々の心を打つ情景なのでしょう。
印象派やその派生絵画の魅力は、「パッと見で綺麗だと思わされる」。
現代的に表現するなら「エモい」という言葉がのどから発せられるよりも前段階、網膜から脳に情報が伝達したその瞬間「いい」と思わされるのだと解釈しています。
それは数多くの展示作品が並んだ場所でも(でこそ)発揮されます。
印象派は薄っぺらい、宗教画のようにもっと教養のある絵画こそ本流。
なんていう意見も目にしたことがありますが。
印象派にだって、筆触分割や色のついた影など、技巧が凝らされています。
「なぜ直感的にいいと思わされるのか」という点にこそ、印象派絵画を掘り下げるべき理由がある。
認知科学の端っこを齧った私の興味はそこです。
また印象派は、その歴史的背景も併せて興味深いジャンルです。
新古典主義への反発、グループ展の開催、その後の系譜なども併せて理解することで、その絵画の意味や価値をより精彩に理解できる点も魅力です。
印象派とサカナクション
ここでタイトル回収。
私、サカナクションのライトなファンです。
ライブ行ったりアルバムコンプリートするほどじゃないけど、音楽を流しておくなら優先度高め、程度の。
彼らの魅力は「聞いて心地がいい、しかし歌詞を熟読すると深みがある」点だと思っています。
つまりファーストインプレッションと、その裏にある重厚な沼、どちらも楽しめる二面性。
ここに印象派絵画との共通点を見ています。
一例として『ミュージック』から。
過ぎ去った季節を待って
思い出せなくて嫌になって
離ればなれから飛び立って
鳥も鳴いてたろ
鳴いてたろ
このパートは、序~中盤に2回のサビを挟んだうえでの大サビ。
それまでどこか控えめだった曲調が一転して、壮大なイメージを植え付けてきます。
これがファーストインプレッション。
曲に関しては、一郎さんが様々なジャンルの音楽から要素を抽出し、理論的に組み立てているから成立しているもの。
インタビューなど見ると、その思慮深さや技巧のすばらしさを伺えます。
そのうえで歌詞を見てみると。
この曲は遠い地を離れた鳥について描かれています。
「岩」から「街」に来た鳥は故郷に思いを馳せつつ、今の地で生きようと変化する心境が伺えます。
上記のパート、鳥の視点で見るとそのままの意味ですが、鳥を作詞の山口一郎さんの視点として捉えると。
北海道から出てきて、必死で曲を書き、歌い続けてきた一郎さんの心情として見えないでしょうか。
曲の最後。
いつだって僕らを待ってる
まだ見えないままただ待ってる
だらしなくて弱い僕だって
歌い続けるよ
続けるよ
様々な比喩表現を用いて書いてきた曲の最後は「だらしなくて弱い僕だって
歌い続けるよ」という根源的な決意で締めくくられます。
いい。
このほかの曲も1曲で記事1本書けるくらい興味深いのでぜひ。
このように「直感的な良さ」vs「深掘った時に見えてくる、興味深い答え」に私は惹かれるのです。
それは印象派にも、サカナクションにも言えます。
実質同じです(過言)。
写真と文章の関係、アイデンティティ
ここで話を私のテリトリーに移します。
写真と文章です。
写真と文章の関係は、「印象派絵画と、その歴史的背景や技術」や「サカナクションの音楽と、歌詞」の関係にあります。
そしてそれは写真のアイデンティティでもあります。
写真は圧倒的に第一印象の分野です。
しかしそこから脱しようと歴史上の偉人たちが取り組んできた背景があります。
具体例を挙げると、中平卓馬らの『provoke』。
「思想のための挑発的資料」と題し、様々な実験的写真を発信しています。
この誌を見ると、写真と合わせて文章が綴られています。
学生運動の時代に生きた彼らの、政治的哲学的思想を盛り込んだ写真に対する持論です。
激動の時代において、写真に対する価値観そのものに対する挑戦をした彼らの熱量は凄まじいものです。
活字中毒気味の私が読んでも、意味を10%も理解できないような。
しかし写真だけ見ても分からない、文章と共に鑑賞して初めて見えてくるものがあると思っています。
トモコスガさんの『写真作品のステートメントを考える』で、写真と文章の関係について語られています。
超訳すると「文章を読んだ前と後とで、写真の印象が変わる文章がいい」。
裏を返せば、文章を介することで写真の印象は変化します。
例えば。
![](https://assets.st-note.com/img/1683533453422-c2BhqxjEVx.png?width=1200)
この写真見て「おー綺麗だなー」と思ってくれた方、大好きです。
ここに一文足してみます。
横浜から江の島まで、徹夜で30km歩いた末に見た朝焼けです。
道中の記録は記事に綴りました。
某SNSで写真→一文の順に提示したとき、「30km!?」「徹夜で朝焼けか…」と驚いてくださったのを覚えています。
この1葉を撮るための過程や苦労、心情なんかを想像してくださったのだと思います。
文章によって写真の印象は変えられる、と実感したエピソードでした。
『proveke』しかり、朝焼けしかり。
写真という、具体性があるのに時間や視覚以外の要素が削がれて抽象的な表現になった媒体に対し、文章は重要なツールなのです。
写真ならではの表現技法、つまり写真のアイデンティティ。
印象派やサカナクションのような写真と文章
私は印象派絵画が好きです。
私はサカナクションの楽曲が好きです。
自分の写真は?好きです。
ですが世は大SNS時代。
プロからハイアマチュアからエンジョイ勢まで混ざった混沌。
その中に立つと、私の作品はいささか訴求力に欠けると実感しています。
なのでこう考えます。
「文章読んだら印象が変わる写真」に興味がある、とてもニッチな通たちに訴えかける写真と文章を目指せないかと。
なぜ自分の写真を好きと言えるか。
撮影した日のエピソードや、役者さんとの関係性、役者さんの好きなところなど、私の考えが読み解けるからです。
しかし他人から見ればそんなもの分かりません。
伝えられる手段は文章です。
印象派やサカナクションのような。
深掘って見たときに、印象が変わったり、より注意深く見たくなるような、そんな作品。
11月に予定しているグループ展では、そういった作品作りを目指しています。
「アイデンティティがない 生まれない らららら」
自分らしさなんて分かりゃしない自分の、他人からしてみたら「あさぎらしさ」。
そんなものを、役者さんのアイデンティティを通じて見せられたら、見せたい。
そんな気持ち。
おわり。
参考文献
この本を読んでて「なんか書きたいな~」と思ったのが書くキッカケ。
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