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恋文供養人 第8話(最終話)「マスター」

【第7話はこちら】

「もうずいぶんと昔の話になります。気が遠くなるくらい、昔の」

 席に座った途端、マスターは唐突に話し始めた。

「私はずっと青森に住んでましてね。二十歳の時、親友が2人いました。2人とも高校の同級生で、テツオとミヤコさん。テツオは建築会社社長の息子、ミヤコさんは貿易会社社長の娘。私はごく普通のサラリーマンの息子という、ちょっと変わった組み合わせでした」

 マスターはボトル棚から1本のウィスキーの瓶を持ち、僕の目の前に置いた。

「私はバーテンダーの修行も兼ねて、バーで働いていましてねぇ。店の酒を少しずつ持ち出しては、テツオとミヤコさんと3人でちびちびと飲んでいました。取るに足らない話をしながら」
「いいですね。そういう親友って羨ましい」

 高校を卒業して連絡を取り合っている友人は何人いるだろうか。多分、片手の指で足りてしまう。

「ミヤコさんはピアノが上手で、よく音楽室で弾いてましたよ。僕はいつも、ベートーヴェンの『エリーゼのために』をリクエストするんです。ほら、らららららららららー。ららららーらららーって。すると、2人とも『またかそれかよ!』って笑ってね。楽しかった。3人でいれば、怖いものなんて、何もありませんでした」

 マスターが微笑む。驚いた。こんなに上機嫌なマスターは初めて見た。いつも「それ、違いますよね」とか「嘘ですね」なんて、弁護士ドラマのごとく相手をぶった切るキャラとは大違いだ。

「やがて、テツオとミヤコさんは恋仲になりました」
「あー、やっぱりそうなるんだ」
「でも、2人とも私を遠ざけたりするようなことはしませんでした。むしろ、私が遠慮して少し距離を置いたくらいです」

 僕は言おうか迷ったことを言ってみることにした。

「マスター、もしかしてミヤコさんのこと、好きだったんじゃないの?」
「はは。バレましたか」
「うん。分かる」
「でも、テツオとミヤコさんはお似合いでしたよ。御曹司と社長令嬢ですからね」

 心の中で、「んー、そういうことじゃないんだよなー」と言って腹に収める。

「2人もこのまま行けば、やがて結婚というところでした。突然、ミヤコさんがお父様の仕事の都合で、しばらく函館に行くことになったのです。早ければ2年くらいで帰って来られるだろうと」
「あらま」
「テツオにとっては最愛の恋人、そして私にとっては親友で、毎日のように会ってましたからね。2年と聞いて愕然としましたよ」
「青森と北海道、気軽に会いに行ける距離ではないですからね」
「まだ青函トンネルが開通する前でしたから、青森と北海道の行き来は青函連絡船だけでした」

 青函トンネル開通前と聞き、一体いつの時代の話なのか気になったが、とりあえずそのまま聞くことにする。

「はぁ……」

 マスターはため息をついて宙を見る。

「ミヤコさんが乗った青函連絡が転覆して、乗員乗客全員が亡くなったと」
「え? そんな!」
「テツオの落ち込み方は、それはもう見ていられないくらいでしたよ」
「いやそうでしょう……気の毒に」
「月並みな言い方ですが、2人とも体の一部のような存在でしたからね。ミヤコさんの死は、体の半分が亡くなったのと同じです」

 僕は何も言わず、水割りのグラスを持ったまま沈黙に身を任せた。

「数日後の夜遅くに、テツオが突然ウチに来ました」
「はい?」

 てっきり話が終わったのかと油断していた僕は、あやうくグラスを落とすところだった。

「そして、私に紙切れを渡してこう言ったんです」

 ――ミヤコはあの船に乗っていなかったかもしれない。

「えーと、どういうこと?」
「紙切れは、転覆した船の乗客名簿でした。きっと親の、社長のツテを使って手に入れたんでしょう。名簿にミヤコさんとお父様の名前はありませんでした」
「何かの手違いで名簿から漏れてしまっただけか、実は別の船に乗ってて難を逃れた、とか?」
「私とテツオも同じことを考えました。生きているなら、きっと連絡が来るだろうと。そんな時、ある噂を耳にしました。ミヤコさんのお父様の会社は、実は借金まみれで火の車だったと」
「もしかして、夜逃げして別の人になって生き延びている、とか?」
「ええ、そうです。別の人になり切るのであれば、それまでの人間関係は全て断たねばなりません。そうだとしたら、もう私とテツオの元に連絡が来ることはありません」

 まさかの展開に、頭が混乱していた。本人確認が厳しい現代では難しいだろうが、時代が時代で、しかも周到に準備していれば、不可能ではないかもしれない。でも、あまりにも悲しい別れ方だ。名前と身分が変わってしまったら、もう見つけようがないし、見つけようとすること自体が相手にとって迷惑となる。

「それでも、私とテツオは待ち続けました。いつかミヤコさんから連絡が来ることを信じて。でも、それぞれに生活があります。テツオは結婚し、父親の仕事を継いで、別の土地に引っ越しました。私も家庭を持って、そのまま青森に住み続けましたが、ミヤコさんのことは忘れる努力をしましたね」
「そうだよね。待ち続けるって、しんどいもんね」
「それから47年が経った頃、私の家に、函館から1通の封書が届きました」

 マスターはボトル棚から白い封筒を手に取り、僕の前に置いた。

「読んでいいの?」
「ええ。ぜひ」

◇◇◇

石原正之 様

私は遠藤初江と申します。
突然手紙を送りつける無礼を、どうかご容赦ください。

私の知り合いに佐田美也子という人がおりまして、石原さんやそのご友人の話をよくするのです。ずっと昔、何も言わずに姿を消してしまったことを、とても悔やんでいると。いろいろと複雑な事情があったようです。

よろしければ、返信を頂けないでしょうか。

追伸

ベートーヴェンの「エリーゼのために」、まだお好きですか?

◇◇◇

「これって、もしかして……」
「ミヤコさんからだと確信しましたよ。きっと今は遠藤初江という名前と身分で暮らしているのでしょう。私はすぐにテツオに連絡して、手紙のことを話しました」
「で、テツオさんはなんて?」
「『ミヤコは死んだ。もう忘れた』と」
「まぁ、そりゃそうか」

 テツオさんの反応は真っ当だ。2、3年ならまだしも、47年という年月は長すぎる。

「マスターはずっと青森にいたんですね。そして、ミヤコさんからの手紙が届くように、ずっと同じ家で暮らしていた」
「未練がましくてお恥ずかしい話です」
「全然恥ずかしくなんてないよ! カッコいいよ! 最高にイケてるよ!」

 本心だ。マスターは小さく「ありがとうございます」と言った。

「私は函館に行き、遠藤初江さんと会いました」
「どうでした?」
「ミヤコさんでしたよ。間違いなく。私とテツオのこと、1日も忘れたことはなかったと」
「ああ、よかった……」

 目頭が熱くなる。

「偽名を使い、別の船に乗っていたようですね。ミヤコさんは何も聞かされておらず、函館に着いた途端、父親に『今日からお前は遠藤初江として生きなさい』と言われたそうです」
「それにしても、なぜ40年以上経って連絡してきたんでしょうねぇ」
「それなんですが……。ミヤコさんは癌で、もう余命いくばくもないと。それで、生きているうちに私とテツオに会って謝罪したいと。それだけが心残りだと」
「テツオさんは? まだ許せないって?」
「何度もテツオに言いましたよ。ミヤコさんに会いに行こうと。やむにやまれぬ事情があったんだから仕方ないと。でも、テツオは頑なに拒否しました。『ミヤコは死んだ』の一点張りで……」
「うーん、そうか」
「7か月後、ミヤコさんは亡くなりました」
「テツオさんとは……」

 マスターは黙って首を横に振る。

「ミヤコさんの死を伝えると、テツオは泣きました。声を上げて、まるで子供のようにわんわん泣いていました。バカですよ、あいつは。本当にバカです。うう……」

 マスターはカウンターに両手をつき、嗚咽した。きっと恋人だったテツオさんの方が辛かっただろう。でも、自分なりに区切りをつけた。忘れて、前に進もうと。

「テツオを連れて、ミヤコさんの墓参りに行きましたよ。47年ぶりに、また3人が揃いました。それでいいんです」

 マスターは涙を流しながら笑った。くしゃくしゃの笑顔で、僕ももらい泣きした。

 マスターはグラスを持ってきて、氷を入れてウィスキーを注いだ。

「乾杯しましょう!」

 マスターがグラスを持つ。

「何に乾杯する?」
「本間さんの好きなものでどうぞ」
「それじゃあ……救いようのない世の中に、乾杯!」

 カツン……と心地いい音がした。

「本間さん。もうここに来ない方がいいですね」
「うん。そのつもり。大切な人に、心配かけたくないから……」
「いいと思います」

 お互いに、ぐいっと水割りを飲み干す。そして、静かにグラスを置いた。

「いつか、また会うことってある?」
「会える確率は万に一つです」
「出た! 万に一つ!」

 2人で顔を合わせて笑う。

「万に一つじゃ、会うかもしれないなぁ」

 気が変わらないうちに、出入口の方に歩く。

「ありがとうございました。本間さんと出会えてよかったです」

 深々とお辞儀をするマスターに、僕もお辞儀を返した。自分史上、最高のお辞儀を。

 頭を上げると、そこには何もない空間が広がっていた。左にカウンターとボトル棚があるのが見える。

「じゃあね」

 マスターが立っていた場所に手を振り、店――建物を出た。

 翌朝、沢本さんは僕を見るなり、うんうんと頷いた。

「どうだった?」
「見送ってきたよ」

 沢本さんは小さく「そう」と言い、少しだけ微笑んだ。

「あ、それはそうと……」

 僕の目の前に、伝票が突き付けられる。

「日付、間違ってますから」
「あー、ごめんごめん」

 いつものように謝る。

「くく……ぶはっ!」

 なぜか唐突に笑いが込み上げてきた。

「あっはっは! はいはい、仕事行きます。今日も忙しくなりそうだ」

 困った顔の沢本さんを置き去りにして、僕は両手に軍手をはめた。昨晩洗濯した作業服は気持ちがいい。

 多分、僕はこの仕事を気に入っているのだ。作業服を着て、汗まみれになって走り回る、底辺のこの仕事が。

 埋もれた誰かの思いが、ふとしたきっかけで掘り起こされる、この仕事が。

(了)


「恋文供養人」、最後までお読み頂き、ありがとうございました。


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