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今までの人生60(ちょっと少しの前進3)

隔週のメンクリ通院
先生との面談

父の四十九日法要は家族と市内の
母方の来てもらえる親戚だけで
慎まやかに行った。

悲しみで泣くことも無く・・・
私は本当に父が亡くなったことで
公共の交通機関に乗れるようになり
戸籍謄本の件も納得ができて
少しずつ前よりは良くなっている!
と思えるようになっていた。

集まってくれた
母の姉弟は小さな病気や怪我はあっても
全員元気だった。

5人兄弟の4番目の母。
実家の近所に住んでいる伯母以外は
父の葬儀でものすごく久しぶりに会ったので
やはり皆歳を重ねて来たなぁと思いながらも
話しにも花が咲いた。

長女とは10歳の年の差。
次女とは9歳 (近所の叔母) 長男とは3歳上。
そして母の下に3歳下の弟。


不思議と女は元気だなと思った。
話が盛り上がって楽しそうだったからだ。

心配だったのは唯一酒豪の長男の伯父。
呑んでも呑んでも呑み続ける。
元々酒飲みだったのは
幼い頃から知ったいたが、
熟年離婚していた伯父は
酒びたりになったのだろう。

私がうつ病で引きこもっていた間に
離婚し子供たちとも疎遠になり
お酒ばかり飲んで体を壊し
2回ほど入院をしたこと
があったらしい。
母達姉弟が飲酒を控えるよに話しているのを
聞いて私は心配になった。

帰宅しても家に1人で
料理も出来ない伯父が
どのように生活しているのか
気になって仕方なかった。

時間もそこそこ経過し
長男の伯父以外はお酒を呑んでいなかったので
各々車で帰っていった。

伯父はベロンベロンだったが
吐きそうな感じではなかったので
一応袋を持たせタクシーで帰宅させた。

私の弟たちは本州だったので
四十九日法要は無理しなくていいと
母と話していたらしく
お花やお菓子が届いていた。

無事済んだね・・・
と、呟いた母にウンウンと頷き
部屋の片付けを始めた。

親戚とは私も普通に話せることがわかり
また少し回復してるかな?
と嬉しくなった。

もちろん親戚も私のうつ病の具合には
触れてこなかった。

せっかく実家に来た事だし
数日実家に宿泊することにした。

まだ片してないものを片したり
思い出話をしたり
特に変なも見ず、
久しぶりにのんびり実家で過ごした気がした。

さぁ帰宅するぞと決め
母と話していると
母の携帯が鳴る。

伯父が救急車で搬送されたと・・・

え!?
数日前あんなに元気だったのに!?

もう夜だ・・・

以前も運ばれ入院したことがある病院だったらしく
母は手早くタクシーを呼び
出かける準備をして
伯母と3人で病院に向かった。


今日はここまで


今日は大晦日。
今日は眠剤飲まないで好きなだけ起きていたい。
一年に一回くらい
いいよね?
眠剤飲まなくても寝ちゃうかもだけど(笑)

30代後半でうつ病になり、 病気になった原因や、 51歳を機に第二の人生を歩もうと未来を望むことを決めた、 これからのことを綴っていきたいと思います。