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今までの人生84(私のうつ病と伯母の認知症16)

予約時間も遅かったのだが
認知症の伯母の検査は大変だ。
動かないでくださいね。
が2分しか通用しない・・・
もちろん受付時にも検査技師にも
伯母が認知症なのは伝えてあるが
時間がかかり受付窓口も締まったころ
やっと結果が出た。

椎間板ヘルニア。

痛い部位からしてヘルニアの可能性は高いだろうな
と私は思っていた。

あまりにも痛がるのでそのまま入院し
オペ日を決めて
椎間板ヘルニアのオペをすることになった。

ここからも大変だ・・・

伯母を入院させる=納得させる
手続きが必要=従姉の書類記入の手伝い
必要物品や着替えの用意をして
また病院に戻ってこなくてはならない。

母は結果待ちだけで膝も痛くなり
足に浮腫も出てきていたので
一旦タクシーで皆帰宅し
母にはゆっくり休むように伝えた。
もうすっかり夜だ。

着替え等持っていくのでさえ
従姉は一人じゃ不安だと言う。
コロナで病棟、病室までは行けない。
受付も終わっているので
緊急外来受付入口が分からなかったら不安だからと
ただ荷物を渡して帰ってくるだけのことにさえ
私は付き添った。

不安だと訴える従姉を1人では行かせられなかった。

ただ伯母が病院にいると思うと
一人の時間がないことに私は安心した。
だが安心してゆっくりできたのは
私と母だけだった・・・

伯母は腰が痛い時は看護師に甘え
痛くない時は
なぜ私は病院にいるんだ?
と看護師を困らせ
家に帰る!
と暴れだし
納得させるために自宅に電話をさせ
従姉と直接話をさせた。

話した時は納得し腰も痛くなってきて
ベットに戻ることになる。
看護師には認知症2分前のことも
覚えていられないことを再度伝えその夜は終えた。

入院していても落ち着かない状態に
従姉もほとほと疲れただろう。

それでも伯母を見てくれている人がいる
と言うだけで従姉は眠ることが出来て
仕事にも行った。

オペ前日の夕方
また伯母からの電話。
看護師もなかなか大変で・・・
と言っていたらしい。
ベッドから起き上がる時はコールしてと
お願いしても認知症の伯母には通用しない。

勝手に歩いて電話をかけに行き
看護師と従姉を困らせた。
痛くなるとちゃんとナースコールし
さすってくれと要望していたそうだ。

コロナでなければ付き添い入院も
可能だったかもしれないが
私だったらどうしていただろうか?
と、考えもした。

オペ当日は午前中だったらしく
従姉が仕事から帰宅後、病院に電話し
オペは成功しヘルニアは治るとの事だった。
リハビリがあるためオペ後も入院は続いたが
退院日は従姉と母と私で迎えに行き
退院ピザパーティーに招待された。

伯母は腰が痛くないため
オペした事も退院してきたことも忘れ
ピザをご馳走になっている母と私に

「美味しい物食べさてもらえて嬉しいでしょ!」


と言った・・・

従姉は伯母に

なんてこと言うの!
心配と迷惑かけたんだから
ご馳走して当たり前でしょ!

と言うと何か心配かけたかい?

こんな感じだ・・・

従姉も気まずそうに私たちに ごめんね という顔を
していた。
私も母も伯母の言葉のせいもあってか
食欲もなくなり残ったピザをおすそ分けしてもらい

帰る時も

あんた達だったらひとの家の食べ物持って

帰っていい身分だね!

と言われとても気まずい気持ちで帰宅した。


今日はここまで


6時に起きたけど
寝つきが久々に悪かったせいか
9時まで布団の中でゴロゴロしていた。
そんな日もあるよ!
自分を励まし活動開始だ。

30代後半でうつ病になり、 病気になった原因や、 51歳を機に第二の人生を歩もうと未来を望むことを決めた、 これからのことを綴っていきたいと思います。