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今までの人生34(地下鉄に乗れない)

なんとかちゃんと徒歩かタクシーでだが
隔週で通院できるようになり
そんな生活が2年くらい続いた。

その間に父の容体は
悪くなったり良くなったり
入院・退院を繰り返していたらしい。

私のメンクリの日は夕方に母と話していたが
父の様子がおかしいと思って
すぐ救急車呼んだから大丈夫だと
またすぐ退院できそうだよと言っていた。

(この日記の最初のころになるが
 父は私が結婚してしばらくし
 離婚する5年までの間に
 脳出血で倒れて障害者になっていた。
 当時は寝たきりになると言われていたのだが
 父は頑張った。
 きっと弟の息子(父にとって初孫)
 が、可愛くて仕方なかったのだろうと思う。
 ここでも私が子供を産めていたら・・・
 と、自分を責めた)

母の言う通り2.3週間で父は退院し
また杖をついて今までと変わらない生活を
送っていると言っていた。

私も頑張って病院に通院した。

季節は巡り2015年の春。


父がまた倒れて入院した。

後から聞いた話だが、前回退院してきた時には
ほぼ一人では歩けなく介護用ベットを自宅に借り
リハビリも訪問でしてもらわなくてはならないほど
父は弱っていたらしい。

母は私を心配させないようにと
父の事はいつも事後報告だった・・・
この春の入院を期に
今まで入退院を繰り返していた病院ではなく
もっと介護とリハビリを中心とした病院への
転院を勧められたらしい。

私がまだ公共の交通機関に乗れていない
43歳の春だ・・・
母は一人で手続きをし
今までの病院よりももっと遠い病院に
父を転院させた。
理由は見学に行って遠くても父にとって
良い環境と感じたからだ
と、言っていた。

「私もお父さんに会いたいし
 お見舞いに行きたい!」

母に言った。

「お姉ちゃんはまだ公共の交通機関に
 乗れないでしょう?
 とてもじゃないけど自宅から病院まで
 タクシーではいけない金額だよ?
 お母さんが毎日お見舞いに行ってるから
 大丈夫!」

情けなかった。
この状況でも私はまだ公共の交通機関に
乗れていない。

練習はした。
私の一番利用する公共の交通機関は地下鉄
スマホのイヤホンで音楽を聴き
地下鉄の駅に徒歩10分弱
無心で歩く。
地下鉄のパスを持ち改札に近づく・・・

ここまで出来るのに改札を通れない。
周りの人は不審がって見ていただろう。

でも父に会いたくて母に内緒で
数日おきに気分が良い日は練習を続けた。
同じことの繰り返し。
改札は通れない。

メンクリで先生に相談する日々。

「気持ちはわかるけど
    焦ると良くなって来ている心に
    負担がかかるからもっとゆっくり
 練習していきましょう。」

そんなことは分かっている。

そのくらいのことは理解できて努力できるところ
までは多少回復していた。

それでもここまでで、すでに5年。


なのにまだ地下鉄にさえ乗れない・・・

もどかしく
情けなく
頑張りたいのに
頑張れなく
悔しくて
自然と涙を流しながら
地下鉄の駅から自宅に戻る。


今日はここまで


これからメンクリ
隔週で通院しているので
この2週間の生活状況や
気持ちの変化などを聞かれるだけ。

もう通院しなくてよくない?
私仕事したいんですけど!

そうゆうい気持ちと戦いながら
最近はメンクリに通う。

私は焦っている。
自分で分かる。
なので気をつけなきゃと思っている。
焦るな。焦るな。
働けるその時はもうすぐ来る。
今は辛抱の時。
と、言い聞かせて
行ってきます!

30代後半でうつ病になり、 病気になった原因や、 51歳を機に第二の人生を歩もうと未来を望むことを決めた、 これからのことを綴っていきたいと思います。