見出し画像

だれ一人として、見る人もなかったのに。


忘れられない、一文がある。

アンパンマン作者である、やなせたかしさんの『サボテンの花』という短編小説の

最後の一行。

ある日、驚くほど美しい花が咲いた。

だれ一人として、見る人もなかったのに。

この一文に、これは、ハッピーエンドなの?幸せって、何なの?とまるで、禅問答を突きつけられている気持ちになった。

“驚くほど美しい花”

誰にも見られないのならば、

咲いていないのと同じなのでは?


なのに、胸を締め付けるほど、悲しく、美しく、印象に残っているのは、自分の中にある価値観に触れる、何かがあったからだろう。



それが、たとえば、
文章や絵、歌、ダンス…だったとして。


動物や植物が無欲に、
見られていようが、いまいが、
表現できることを、

人がするのは難しい。


表現者として、見られていないのにそれをする意味はあるの?


その問いかけは、『サボテンの花』でも繰り返される。

「どうしてこんな所にいるんだい。ムダだよ。辛いだけで役に立たない。」

サボテンは、砂漠で水を分け与えるために旅人に切られながらも、息も絶え絶え答える。

「ぼくがあるから、あの人が助かった。ぼくがここにいるということは、むだじゃなかった」

そんなサボテンが、ラストに花を咲かせる。

それも、驚くほど美しい花を。


なのに、誰も……
誰一人として見てない。

……

報われなさすぎやろ!!


美しいよ、そうなりたいよ。


でも、なれないよ。


そんなの、無理やん。


仙人やん。


自分のためにやったから、満足だと思える。

その気持ちも、、、分かる。


分かるけど、せめて見て。

一人でいいから、見て。

存在の証明は一人ではできない。

誰かの記憶に居たいという願望すらも

捨てる。

誰にも知られず、役に立つ。

神様なの?

やなせさん……。


脱線した。


でも、結局…

もし、『サボテンの花』の結末が、たくさんの人に見られて、讃えられていたのなら、きっとスッキリするけど、記憶に残らなかった。


誰にも見られなかったからこそ、作品として完成した、のだろう。


報われて欲しいのに、報われないものが美しいなんて……人間の心情って面倒なもんだ。



いただいたサポートは刺繍糸を買うお金にしたいと思います。サポートが活動のモチベーションになります。ありがとうございます(^^)