「へ〜!」と思った令和のお坊さんの話
「これからのお坊さんのあり方について、仲間と話し合う事があるんです。お坊さんって、お経をあげて一方的に説教をして終わりでいいのか?って。そして、だいたい、最終的に《もっと人の話を聞いていこう》って結論に行き着くんです」
初七日に、お坊さんを家に呼んでお経をあげていただいた。
そのお坊さんは住職の息子さんで、30代前半。見た感じ、私より若い気がする。
目のぱっちりした若いお坊さんは、冒頭の言葉につづけて言った。
「なので、私の時は最後に質問タイムを取っているんです。疑問でも、悩みでも、なんでもいいです。とくに無いなら無くてもいいですが……」
すると、親戚が手を挙げて🙋🏻
「なんで初七日なんですか?7という数字に意味はあるんですか」
「三途の川ってあるんですか」
「ご愁傷様ですとか、ご冥福をお祈りしますって言い方で大丈夫ですか?」
そんな質問をしていた。
すると、【浄土真宗の立場】での話が始まった。
「本音を言うと、浄土真宗にとって、初七日や四十九日に意味はないんです。だから、いつ祈ってもいいんです。
亡くなったら誰でも、その瞬間すぐに仏になれるという教えだからです。
他の宗派では、故人がちゃんと仏になるために冥土で旅をしないといけないと考えます。無事に仏になれるよう遺族が供養するために7日や49日に意味を持っているのです。
浄土真宗では、亡くなった方を無事に仏にするために供養することがメインではありません。初七日、四十九日などは、今、生きている人が【どう生きていくか考える機会】としてとらえているんですよ。」
ほぉーーー!
「次に、三途の川というのも、浄土真宗では考えません。亡くなったらすぐに仏になるという教えですから。他の宗派では、亡くなったらみんな一度冥土(地獄)に行くんですね。そこに三途の川があるんです。
そもそも、〈三途〉とは、中国からきた考え方で、地獄界・餓鬼界・畜生界の三つの悪道のことなんです。罪が軽ければ渡れるとか、遺族の供養によって罪を軽くするとかして川を四十九日で渡って仏になるんです。」
え、冥土の土産とかいうけど、冥土って、地獄のことやったん!
「最後に、お悔やみの挨拶についてですが、あまり『ご冥福をお祈りします』というのは私は好みません。先ほどお話ししたように、冥福の冥は、冥土(地獄)のことですね。だから、意味的には、『地獄へ行かれるのですね。どうか無事で』って感じになるんです。ご愁傷様ですというのも、死を嘆き悲しむものとして捉えていますよね。」
「じゃあ、なんと言うのが無難なのですか?」と親戚は間髪入れずツッコんだ。
「なんと言うのが無難かというのは、ご愁傷様ですに変わるテンプレートを探しているような印象を受けます。やはり、相手やその時の状況に応じて感じた事をお伝えするのが良いです。私の場合を申し上げると、『(いつも仲良くいらっしゃったので)さみしくなりますね』と遺族の方のお気持ちにそって言う事が多いです。」
お坊さんが帰られた後、
「あのお坊さん、若いから質問しやすかったわねー」
と、親戚にはとても好評で、次は何を質問するか考えとかなきゃねー!などと、話題になった。家に帰って、夫にもその話をすると、実家の供養の仕方と違う!面白い!と思いの外、食いついてきた。
死生観には興味があるが、私は無宗教なので、「へ〜、そんな考えもあるんだ」くらいで聞いていた。
忘れないうちに記事にしておく。