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『鎌倉殿の13人』

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2022年(令和4年)放映のNHK大河ドラマ第61作に関する記事。
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#源義経

今はまだ人生を語れず。

「私の人生は・・・であった」と語れるのは死ぬ直前である。 noteではこけているが、まだ若い…

『鎌倉殿の13人』関連記事(18~20)

源義経の活躍「源平合戦」~源義経の死まで 1.第18回「壇ノ浦で舞った男」 ●「壇ノ浦で舞っ…

2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第20回)「帰ってきた義経」解説動画集

2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第20回)「帰ってきた義経」

1.義経北帰行 ■『吾妻鏡』「文治3年(1187年)2月10日」条 文治三年二月小十日壬午。前伊豫…

源頼朝&義経兄弟の仲違いの原因(1)「腰越状」以前

「九郎義経、無断任官した上、未だ官位を返上せぬこと許しがたし。九郎は兼ねてより、公私のけ…

源義経の「腰越状」

 元暦2年(1185年)、源義経は、平家を討伐した。そして、平宗盛を鎌倉へ護送した。源義経…

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検非違使自由任官問題と美少女たち

源義経  「はっ、検非違使!?」 丹後局  「おめでとうございます」 後白河法皇「わしの思いを、形で示したかったのだ。検非違使になって、京の安寧を守ってくれ」 中原親能 「おそれながら、九郎殿は、鎌倉殿からの任官推挙が出ておりません」 源義経  「私が断りました。官位欲しさに戦をしている訳では無いので」 丹後局  「まぁ、どこまでも健気な九郎殿」 後白河法皇「頼朝は、忘れてよい」 ※任官推挙:御家人の任官には源頼朝の任官推挙が必要で、源頼朝を通さずに御家人が直接朝廷に申し込

「一ノ谷の戦い」の真実(2)

後白河法皇「九郎、一ノ谷の合戦では、見事な働きであったの」 源義経  「ありがとうござい…

第16回の再放送を観た。

■北条時政  北条時政は伊豆国へ帰り、史料上の次の登場は京都守護就任であって、いつ鎌倉へ…

「一ノ谷の戦い」の真実

『鎌倉殿の13人』の 第15回は、上総広常の暗殺 第16回は、源義経のデビュー であった。 「上…

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梶原景時とサリエリ

『鎌倉殿の13人』の梶原景時は、ちょっと違う。 『鎌倉殿の13人』の梶原景時は、源義経の奇策…

源義経と関係があった女性の数は?

 ━━英雄色を好む という。英雄は何事にも精力(性欲、食欲、睡眠欲)旺盛で、性欲1つをと…

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2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第10回)「根拠なき自信」

 治承4年(1180年)10月20日の「富士川の戦い」で、平家の追討軍を見事に退けた源頼朝(大泉…

第9回の再放送を観た。

ラストシーンは、私なら平清盛が怒ってるシーンにしちゃいますね。 『鎌倉殿の13人』では源義経と源頼朝の対面シーンを持ってきた。 最初は「本当に源義経か?」と疑っていた源頼朝ですが、 藤原秀衡の手紙を読んで態度が一変。 手紙には何が書いてあったのでしょうか? 想像するに 「源義経が平清盛を討つ時には加勢する」 とでもあったのでしょう。 そして、今回、坂東武者は、 ・特に平清盛を恨んでいない。 ・遠征は無理。 ということが分かり、今後の源平合戦の大将は、 坂