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今はまだ人生を語れず。


「私の人生は・・・であった」と語れるのは死ぬ直前である。
noteではこけているが、まだ若いので、一花も、二花も咲かせたいと思う。
「他力本願」と言われようと、サポーターが現れればの話だが。

「人間とは・・・な生物である」と語れるほど悟りきってもいない。
聞かれても「人間とは、らら~らららら~ら~ら」と(流し台だけに)受け流す。ただ「花を咲かせるには誰かのサポートが必要」とは言い切れる。

源義経のような故人であれば、探求すれば、「源義経は・・・な人であった」と言えるようになるかもしれない。

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『鎌倉殿の13人』(第19回)「果たせぬ凱旋」のラストシーン。
源義経の捕縛を源頼朝に命じられた北条父子の前に源義経が現れた。

北条義時「誰だ?」
源義経 「私だ」
北条義時「九郎殿」
源義経 「捕まえたければ、捕まえるがいい。逃げるのには飽きた」
北条時政「九郎義経は、九州へ逃げ落ちたと聞いている。こんな所にいるはずがない。偽者であろう(微笑)」
源義経 「兄上とのことは、今からなんとかならぬか?」
北条義時「ご存知ないようですが、法皇様は、九郎殿追討の宣旨を出されました」
源義経 「祈るような思いでここへ来てみたが、無駄だったか」
北条義時「申し訳ありません」
源義経 「平家を滅ぼしたのは、ついこの間ではないか。私の、何がいけなかった?」
北条義時「九郎殿は、人をお信じになりすぎるのです」
北条時政「策に長けた者は、かえって騙されやすいものだ」
北条義時「この後は、どうされるおつもりですか?」
源義経 「さぁ。奥州にでも帰ろうか?」
北条義時「おやめなされ。九郎殿が奥州に入れば、必ずそこに戦の火種が生まれます。戦はもう、終わりにしましょう」
源義経 「戦の無い世で、私のような者はどうやって生きていけばよいのだ?」
北条義時「あれだけ平家を掻き回したお方です。あれだけの知恵があれば、どこでも生きていけます」
源義経 「御台所に伝えてくれ。『九郎は、御台所の膝の暖かさを、生涯忘れない』」
北条義時「必ず」
北条時政「あなたはおっしゃった。『経験もないのに自信もなかったら、何もできぬ』と。では、自信をつけるには何がいるか? 経験でござるよ。まだまだ、これからじゃ」
源義経 「さらばだ」
北条時政「まるで、平家を滅ぼすためだけに、生まれてこられたようなお方じゃなぁ」
北条義時「九郎殿は、まっすぐ過ぎたのです。うらやましい程に」

SNSでは、
・「九郎義経は、九州へ逃げ落ちたと聞いている。こんな所にいるはずがない。偽者であろう(微笑)」ってかっこいい。
・「あなたはおっしゃった。『経験もないのに自信もなかったら、何もできぬ』と。では、自信をつけるには何がいるか? 経験でござるよ。まだまだ、これからじゃ」って伏線回収してる!
・「まるで、平家を滅ぼすためだけに、生まれてこられたようなお方じゃなぁ」で泣けた。
と台本が大絶賛されているが、私は気に入らない。その理由は「敬語を使っていない箇所が何ヶ所もあるから」ではなく、「まだ若い。人生これから」と言っているのに「平家を滅ぼすためだけに生まれてこられたようなお方」と源義経の人生を総括していることである。「平家を滅ぼすためだけに生まれてこられたようなお方」と決めつけることが出来るのは、源義経の死後だ。現代人はこの後、源義経が死ぬことを知っているので「そうだなぁ」とうなずいてしまうが、この時点では、源義経は若く、彼の人生は、まだ先が長いと想像される状態であり、後半生で鎌倉を火の海にして征夷大将軍になるかもしれないし、農学者になって知恵を使い、虫送り装置を発明するかもしれないのである。(北条時政は、本人には「まだ先は長い」と励ましておいて、本人が去ったら「追討の宣旨が出て、さらに今日、守護&地頭設置の許可が下りた以上、もう先は短い。『源義経の業績は、平家追討だけだった』ということになろう」と言った、という解釈でOK? ただこの解釈だと「日本国内には逃げ場が無い」ということであり、「中国大陸に渡り、もう一花咲かせる」という方法はある。)
北条親子に何か言わせるとしたら、
北条時政「突然現れ、平家を滅ぼし、去っていかれるとは、まるで、つむじ風のようなお方じゃったなぁ」
北条義時「この先、戦の無い世で、新しい生きがいを見つけて下さることを祈りましょう」
程度で。

第19回を「神回」だと言う人が多いが、私的には「台本の粗が目立った回」であり、「ちゃんと推敲すれば、完璧な台本になったのに」と思う「残念な回」であった。

何が悲しいかって・・・源頼朝が「この首で平泉が守られるのなら」と言ったことです。どうも、源頼朝は「私が生まれてきた理由は(平家を倒すことではなく)死をもって平泉を救うためだ」と死を受け入れたようなのですが、実際は源義経の死が奥州合戦の発端となり、平泉は滅びました。

★青葉市子
https://twitter.com/ichikoaoba_info/status/1290282910797320193

★奥土居美可

★Mi-Ke

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