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梶原景時とサリエリ

『鎌倉殿の13人』の梶原景時は、ちょっと違う。
『鎌倉殿の13人』の梶原景時は、源義経の奇策を、
「常人には奇策と映るであろうが、実は素晴らしい策」
と認めている。「天才、天才を知る」といったところか。

『鎌倉殿の13人』の梶原景時は、

━━何故あの男だけに思いつくことができるのか?
━━何故自分には思いつくことができないのか?

と、梶原景時は嫉妬して自問し、出した自答は、

━━八幡大菩薩の化身じゃ。

であった。人ではなく、大菩薩だという。(私は「八艘飛び」を知ってるので、「鞍馬の天狗が乗り移った」と表現するけどね。)

━━最も頼りになる者は、最も恐ろしい。

上総広常の死後、この言葉が当てはまるようになったのは、源義経である。
死亡フラグが立った。

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作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの死因は謎であるが、黒い訪問者が来て死んだので、黒い訪問者=幻覚であって薬物中毒死とも、黒い訪問者=殺人者で毒殺ともされる。その死の謎を扱ったのが、ピーター・シェーファーの戯曲『アマデウス』であり、1984年にミロス・フォアマン監督が映画化した。

■映画版『アマデウス』のあらすじ(Wikipedia)
1823年11月のある夜、ウィーンの街で自殺をはかった老人・アントニオ・サリエリが、精神病院に運ばれた。彼は病床で「許してくれ、モーツァルト!君を殺したのは私だ」と言い続けていた。
後日、病状が安定したサリエリを神父フォーグラーが訪問し、話を聞こうとする。当初は神父を蔑み拒否していたサリエリだが次第に軟化する。そして、にわかには信じ難い驚愕すべき内容の告白を始める。
サリエリは、若い頃は音楽への愛と敬虔な信仰心に生きており、オーストリア皇帝ヨーゼフ2世に仕える作曲家として、人々から尊敬されていた。しかし、彼の前に天才作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが現れたことが、サリエリの人生のすべてを変えてしまう。その類い稀なる音楽の才能は大衆から称賛され、天真爛漫かつ下品で礼儀知らずな人間性は他の作曲家から軽蔑を受ける。しかし、ただ一人サリエリだけは、「モーツァルトの才能が神の寵愛を受ける唯一最高のものであること」を理解してしまい、自分はモーツァルトの真価が分かる才能しかない凡庸な人間だと思い知らされる。そしてモーツァルトへの激しい嫉妬に苛まされるサリエリの苦悩が、大きな悲劇を生んでいく。

 映画では、モーツァルトが1度聞いただけの曲を暗譜(耳コピ)して弾き、さらに「こう変えたら、もっといいんじゃない?」と、身分の高い人が作曲した何の変哲もない曲を華やかな名曲にアレンジしてしまうシーンが印象的であった。ただ、残念なのは、当時の人はモーツァルトが天才だと気づかず、ただ生意気な小僧だと思っており、ただ1人、宮廷楽長としてヨーロッパ楽壇の頂点に立っていたサリエリだけがモーツァルトが天才だと気づき、嫉妬した。

━━なぜ神に誰よりも忠実な私を神は苦しめるのか。
━━なぜ神はモーツァルトを天才だと理解できるだけの才能しか吾に与えなかったのか。

なお、「Amadeus」は、ラテン語で、「神が愛する男」「神に愛された男」の意味です。神に愛されると早世しますね。


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