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『鎌倉殿の13人』

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2022年(令和4年)放映のNHK大河ドラマ第61作に関する記事。
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2022年5月の記事一覧

2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第21回)「仏の眼差し」解説動画集

2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第21回)「仏の眼差し」

  梅雨に入る ドラマの方は 半ばなり (Reco)   時政が ふるさとにのこす 梅雨の…

今はまだ人生を語れず。

「私の人生は・・・であった」と語れるのは死ぬ直前である。 noteではこけているが、まだ若い…

第20回の再放送を観た。

1.「藤原秀衡の舞」の意味は?  芸術は難しい。  東京オリンピックの開会式では、舞台『未…

『鎌倉殿の13人』関連記事(18~20)

源義経の活躍「源平合戦」~源義経の死まで 1.第18回「壇ノ浦で舞った男」 ●「壇ノ浦で舞っ…

2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第20回)「帰ってきた義経」解説動画集

2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第20回)「帰ってきた義経」

1.義経北帰行 ■『吾妻鏡』「文治3年(1187年)2月10日」条 文治三年二月小十日壬午。前伊豫守義顯日來隱住所々。度々遁追捕使之害訖。遂經伊勢美濃等國、赴奥州。是、依恃陸奥守秀衡入道權勢也。相具妻室男女。皆、假姿於山臥并兒童等云々。 (文治3年(1187年)2月10日。前伊予守・源義顕(義経→義行→義顕)は、最近(畿内の)あちこち(多武峰、鞍馬山、比叡山、洛中など)に隠れ住み、何度も追捕使(追手)から逃れていた。遂に(畿内に隠れ住むのは無理だと感じ)伊勢国(三重県)か

2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第19回)「果たせぬ凱旋」解説動画

2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第19回)「果たせぬ凱旋」

源義経「私は決めた。この先、法皇様第一にお仕えする。京の都で、源氏の名に恥じぬように生き…

第18回の再放送を観た。

 『鎌倉殿の13人』は、どこまでが史実で、どこからが創作なのかよく分からない。  たとえ…

2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第18回)「壇ノ浦で舞った男」解説動画

源頼朝&義経兄弟の仲違いの原因(1)「腰越状」以前

「九郎義経、無断任官した上、未だ官位を返上せぬこと許しがたし。九郎は兼ねてより、公私のけ…

源義経の「腰越状」

 元暦2年(1185年)、源義経は、平家を討伐した。そして、平宗盛を鎌倉へ護送した。源義経…

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安徳天皇の最期

 安徳天皇の仮御所(行宮)は、福原→「一ノ谷の戦い」後に屋島→「屋島の戦い」後に柳ヶ浦と遷り、寿永4年(1185年)3月24日の「壇ノ浦の戦い」で安徳天皇は柳ヶ浦行宮を出て、壇ノ浦で入水し、崩御した。 安徳天皇「尼ぜ、私をどこへ連れて行こうとするのか」 二位尼 「波の下にも都がございます」  豪華な唐船には替え玉が乗り、安徳天皇は普通の舟に乗っていたという。そして、安徳天皇を抱いて入水したのは、 ・母方の祖母・二位尼(平時子)(『平家物語』) ・按察局(あぜちのつぼね

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