紫陽凛

「しようりん」と読みます。 小説、エッセイと短歌。たまに文学徒。 一応本が出ました

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おひさしぶり、note

1.「おひさしぶり」の経緯  Twitter(X)の補助として、140字では書けないことをしたためる場所として開設したnoteアカウント。  なのでこれまでの記事も、Twitter(X)の延長、自由帳みたいなものだったのです。  そんな私が「note始めてみようかな」と思い立ったのは、もうとにかく #クリエイターフェス のおかげ。  やってみよう!  って歌詞があるじゃないですか。今まさにそんな気持ちです。  というわけで、先人にならい、自己紹介から始めて行きたい

    • くらくくろく

      触れたくて 震えてる声が  って一節がずうっと頭の中をリフレインするので、ずっと真夜中でいいのに。「暗く黒く」を聞かなければならない気がしている。でもワイヤレスイヤホンが電池切れなので聞けない。  pixivにて「日本SFクラブの小さな小説コンテスト」通称さなコンが幕を開けて、絶筆中、否ちょっと筆休め中の私はどうしようかなと思っている。相も変わらず何も考えることができないし、さなコンの開示情報を読めなくてフォロワーさんに箇条書きにまとめてもらうなどした。本当は参加するつも

      • やめちゃうか

         すごい調子が悪くて会社を休んでしまった。どれくらい悪いかというと、10段階のうち9くらい悪い。普段は5のあたりを漂っているのにすこぶる悪い。  休ませてくださいと言ったきり職場への電話を切ってそのまま出かけた。  罪悪感の中で本屋へ行き、ダニエル・キイス「アルジャーノンに花束を」とカズオイシグロ「わたしを離さないで」「夜想曲集」の3冊を買い、買った本の重たさのままに腕をだらんと垂らした。  何やってんだろうな。  カバンの中に制服を入れてこなかった、代わりにみやしろちうこ

        • 今、なんの音楽を聴いても泣き出しそうだから、無音で旅をしてる。

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        おひさしぶり、note

          助手席ジュークボックス

           昨日も今日も助手席に座っていた。スマホはBluetoothでカーナビに繋いでApple musicの音楽を垂れ流せるようにしてある。数少ない旅行の機会を楽しむためである。  この週末は三兄弟(私弟妹)三人で旅行に出かけた。姉妹は嫁いで長男は地元に帰って……別々の場所から訳あって集結し、祖父母を伴い、妹の子供を連れての六人旅であった。  私はゲストである赤子を退屈させないよう、そして慣れない運転で2時間運転する弟を眠らせないようにする使命を背負っていた。祖父母に悪いが、人力

          助手席ジュークボックス

          帰省の途中のとりとめ

           ひどく頭が痛いので、休憩のサービスエリアでホットココアを買って飲む。5分の休憩は限られているからそのまま高速バス内に戻って出発を待つ。戻ってくる人たちを待つと、運転手はカウンターを持って、かちかちと人数を数える。  ひどい頭痛と昨日から頭を悩ましている異常な憂鬱感について、理由はわかっているのだけどあえてここにはそのことは書かない。私にできるのはこれをやり過ごすことだけで対抗することではないからだ。書いたってどうしようもない。赤が白になることはなく、赤は赤いままである。

          帰省の途中のとりとめ

          漠然としたしんどさに名前をつけると「怠け癖」になるのをなんとかして欲しい

          漠然としたしんどさに名前をつけると「怠け癖」になるのをなんとかして欲しい

          椎名林檎『正しい街』

           酔った状態でこのnoteを書いているのだが、これを読み返した正気の私が羞恥でひっくり返らないことを祈るしかない。  椎名林檎の『正しい街』を熱唱したくなった。理由はとくにない。ただ、この街は冬の匂いも正しくない、ここには知った川も知った海もない。見知らぬ盆地が広がっているだけで、私は切り離された私の根っこを思いながら川べりを歩いている。  郷愁に近いものが私を支配している。でも私の故郷はとうのむかしに散逸して消えた。家族の営みが崩壊した瞬間から、私の帰るべき場所はなくなっ

          椎名林檎『正しい街』

          個性とか魅力とかSF

           「意外と自分の個性とか魅力とかは自分から見えないよね」って話をしようとしたけれど、個性とか魅力とかを発露できる土俵にそもそも立てているのかという疑問がむくむくと湧き始める午後八時過ぎ。私ってどうなんだろう。  自分のパラメータの尖ったところが作品にもたらす良さとか悪さとかを私たちはまず書いてみないと(本を開いてみないと)分からないんだから、「だから」自分を知りたいっていうならちゃんと書かないといけないなぁと思う。「自分にSFの土壌が合っているかどうか」とか。  自信がな

          個性とか魅力とかSF

          【短編】歯痛

           病んだ歯を抜いたら歯の根元に「怒」と小さく書いてあり、私は何者かに「怒」を蝕まれていたことと、「怒」を失ったことを同時に知る。 「よくみてください、『怒』です」と歯科医が言った。私はまじまじと血まみれの「怒」を見つめた。  確かに歯軋りで堪えることの多かったかつての激怒は、私の脳天を貫き、足先や手指の先まで行き渡っていた。私は爪をガリガリ噛んだり、飲んだ缶コーヒーの容器をぺちゃんこに踏み潰したり、やはりギリギリと音がなるほど奥歯を噛み締めることによってやり過ごした。

          【短編】歯痛

          承認欲求のこと

           何かnoteを書こうと思ってからきっかり42分経った。これは洗濯機に洗濯物を放り込み洗剤を注ぎ入れふたを閉めてから、洗濯機が「できたよ」というまでの時間である。  そのあいだ私は書く「こと」を探して、タイトル欄に「たぬき」だの「青磁」だの「にどと夢に出てくるな」だのと書いては、このタイトルで何も書けやしないやとバックスペースキーを連打し続けていた。書きたいのに書く「こと」がない。普通逆だ。  「想像力が満ち満ちているから」とか「書くことがたくさんあるから」ではなくて、「

          承認欲求のこと

          たくさんの大学ノート

           お出かけのために充電していたワイヤレスイヤホンを忘れて途方に暮れるような人生だから、ボールペンとメモ帳は鞄の数だけ常備している。  ワイヤレスイヤホンはさすがに鞄の数だけ買うのは不可能だろう。ソニーのいいやつ。夫にお願いしてお揃いにしたものだ。  私にとって、ノートはたくさんあるに越したことはない。ただ、目の前にあるノートに思いついたままに書くので、思考が文字通りにとっちらかってまとめるのに苦労する。ひどいときは四冊突き合わせてプロットを練成したりする。「たくさんのノート

          たくさんの大学ノート

          きらいじゃないな

           私に文体があるかどうかは客観的に見てどうなのか知らないのだけど、ぶっちゃけ小川洋子に及ばない時点で意味もないし瑣末なことだと思う。  小川洋子をすべての至上としている私にとって、私の文体は拙くて反復が多い。無駄も多いし、何よりどこかで彼女の真似をしようとしているから、ダメだ。小川洋子は二人もいらない。  うまいと言われたこと、記憶にないような気がするのは、常に二番手以下だった負け犬の記憶が足を引っ張っているからだろう。中学生の時はまだしも、高校も大学も「私より文章や小説が

          きらいじゃないな

          調子よくないな

           もはや読まれようとする努力も投げ捨てたので、単刀直入かつどうしようもないタイトルになってしまうことを最初にお詫びしたい。これは日記だ。  ともあれ調子が良くないのだ。何がと言われても答えられない。漫然とだるくて、つらくて、涙は出ないが眠くて仕方がない。現実が辛すぎるから寝て過ごしてそのまま寿命を終えてしまいたい、みたいな勢いで眠たい。春だから?  ちなみに配偶者に打ち明けたところ「頑張れ」と言われた。「逆にどうして欲しい?」とも聞かれた。そうなのである。他人にはどうともな

          調子よくないな

          すいせいボールペンととりとめ

           今まで水性のボールペンがあまり好きじゃなかったのだけど、最近書き口のよいボールペンを見付けてからその水性ボールペンばかり使っている。とうめいな量産のペン軸に、スヌーピーの特別な模様を入れた芯を入れて売っていたもの。何年前だか忘れたけれど、かわいかったから買ったものだ。スヌーピーの芯の中のインクは使い切ってしまったから、別の、なんの変哲もない黒と透明の液体が詰まった替え芯を使っている。インクがちょっと薄いからか「濃い」を売りにした商品も同時展開されているんだけど、どうもノート

          すいせいボールペンととりとめ

          ここで感じる大震災と、地元で感じる大震災は全然違う。人には人の大震災があり、私たちは「東日本大震災」というグラデーションを見てるに過ぎない。そう感じる。山脈を隔てた故郷の海へ、今日おまえは凪いでいるか。

          ここで感じる大震災と、地元で感じる大震災は全然違う。人には人の大震災があり、私たちは「東日本大震災」というグラデーションを見てるに過ぎない。そう感じる。山脈を隔てた故郷の海へ、今日おまえは凪いでいるか。