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たくさんの大学ノート

 お出かけのために充電していたワイヤレスイヤホンを忘れて途方に暮れるような人生だから、ボールペンとメモ帳は鞄の数だけ常備している。
 ワイヤレスイヤホンはさすがに鞄の数だけ買うのは不可能だろう。ソニーのいいやつ。夫にお願いしてお揃いにしたものだ。

 私にとって、ノートはたくさんあるに越したことはない。ただ、目の前にあるノートに思いついたままに書くので、思考が文字通りにとっちらかってまとめるのに苦労する。ひどいときは四冊突き合わせてプロットを練成したりする。「たくさんのノート」の弊害だ。自分の性格というか、そそっかしさというか、間の抜けたところというか、そういうところをカバーするだけで人生の目盛りを数割食っている気がする。器用に生まれた人はそれを誇ってほしい。私のようなものもいるので。

 ところで、コクヨのCampusノート、五ミリの方眼のものを愛用している。線を引くのにも図を描くのにも文字を書くのにも適しているから、いきなり間取り図を練成したくなっても方眼紙なら何とか定規なしでも大体のことはできるようになっているのである。方眼紙がつよい。

 そしてペンなのだけど、ちょっと前までアクロボールを激推ししていた私、最近はっきりと文字を書くのに疲れてしまい、ふにょふにょの筆記体みたいな文字を書くようになってしまった。油性のアクロボールははっきりくっきりした線が特徴だが、なめらかさはゲルインキに劣る。だから今使っているのは、濃くないほうのSARASAだ。濃いほうだと(どこかにも書いたけれど)ノートを貫通するのでよくない。

 最近は特に、SFを書きたいな、と思いつつ、SFに寄った脳で、平安貴族転生ものを書いている。これは同人誌に収録して出す予定のライトノベル、ファンタジーだ。なんだかよくわからないながらも、書き進めている。
 先述の通り私は(たくさんのノートを必要とするような)正直な脳みそをしているので、SFとファンタジーの並行錬成が難しい。だから、今は和風ファンタジーのことを考えながらSFを読んだり書いたり、マアとにかく忙しい。ノートはしっちゃかめっちゃかで、どっちのことだか判別できない。カタカナが多いほうがSF、だなんてそんなことはなく、「超宇宙渡航法」みたいな文言も出てくるものだから、ちゃんと読んだうえで判別して取り組まなければならない。

 ちょっと野望があって、SFも書きたいなあと思っている。ただそれだけのことなのであるが、私の好む話の展開上、どうしても、「SFもどき」に寄ってしまいがちだ。私の尊敬するケン・リュウや、坂崎かおるさんのようになんとかしたいものである。なんとかする、というのが一番難しいのだけど。

 


 さて、ここで世間をにぎわせている小説の強み云々の話にちょこっとだけ触れようと思うのだが、がっつりは触れない。というか、あまり触れたくない。双方とも肩入れするには癖が強すぎる。

 私が語りたいのはただ一つだ。

 いままであなたは(他の記事も含めて)私のこの日記だか雑記だかを読んできたことと思う。これをほかの媒体で味わおうと思ったら何になるだろうか? 映像? 漫画?
 仰々しく映画にでもしてみるか?

 想像してみただろうか。きっとあなたはこう考える。「絶対足りない」。何にするにしても、絶対にこの文章には何かが欠けている。メディアリミックスに値するものではない。絵を必要とはしないだろう。

 でも、だけど、この文章は無味乾燥として面白くない駄文だったか?

 こんな挑戦的なことを書いている自分が恥ずかしくなってくるけれども、私の書く日記はそれなりに需要があるものと判断している。ボールペンの種類だの、書いているジャンルがああだこうだ、だの、そんなどうでもいいことを書いているにしては上手く調理できていると思っている。

 文章の特色として、ごく内面的なありふれた情景を描写することに特化している、という点が挙げられると思う。これは共感性の時代、いまとマッチする。んじゃないかな。適当言いました。そんな感じの新書を読んだばかりだったんです。許してください。

 ともかく「共感」。自分にもこんなことある、という類似点。そして笑顔で「いいね」を押せる記事。求められている共感の種類は様々ある。私の場合それが、「人生ちょっとうまくいかないけど毎日生きてますよ」というバリエーションしかないのはともかくとして、そういう場所もある。文字でしかアプローチできない箇所が絶対にある。文字の与える奥行きでしか表現できない領域があって、そこに絵や映像で書きこみを入れたら野暮だ、みたいな場面がある。ワビサビ、みたいなもので。

 そういう意味で、私は純文学は死なないと思っている。
 いや、思っている、じゃだめだ。
 純文学は死なない。

 絶対に死なせない。最終的に私は純文学につながっていきたいんだから。

 というわけで今日も長々と、日記のようなものを書きました。進捗は未だゼロ、そして抜いたばかりの親知らず跡地ははっきりした不在を主張してきます。さみしいね。

 この件についてはこれきりとしようと思います。またボールペンの種類とか人生がうまくいかないこととかを日記にしたためますので、ゆるゆると付き合ってくださるとうれしいです。



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